【調査研究Ⅰ】学びの調査地② 長野県大鹿村
「相手を責めることはせず、ニュートラルに、客観的な事実から訴えていくのが大事」
2013年度から東京農工大学農学部に異動していた私は、同僚で同じ学科の土屋俊幸教授(現名誉教授)から、ずっとラブコールを受けていました。定年退職が迫ってきたから、実習の担当ルートを引き継いで欲しい、という要請です。
いろいろと忙しかった私は、のらりくらりとかわしていたのですが、お話を伺ううちに〈面白そう!〉と思いはじめました。そして、科研費を初めて取得した2016年度から、土屋教授と一緒に実習の引率をし始めました。
この実習の訪問先が、長野県大鹿村だったのです。
人生で初めて訪れた大鹿村では、ほんとうにいろいろな学びと気づきがありました。そのなかのひとつが、南アルプスの主峰・赤石岳への、大鹿村からの登山ルート上で、最後の人家のある地区・釜沢(かまっさわ)の地区長(当時)をされていた、谷口昇さんとの出会いです。
釜沢地区は、揺れていました。この年、まさに始まろうとしていたリニア新幹線の工事。リニア新幹線ルートで、長野県の山梨県側の入り口に位置していたのが大鹿村であり、トンネル工事のための穴が掘られる釜沢地区では、水源が枯れるのではないか問題、発破音が深い谷中に響き渡る騒音の問題、残土をどこに仮置きするか問題など、たくさんの課題がまさに浮き彫りになっていたのです。
地区長の谷口さんは、立場上、前面に立って、JR東海の担当者さんと話し合う立場にありました。しかしながら、けっして反対という立場から相手を責め立てるのではなく、将来的に見てどうか、本当に自然環境は守られるのか、生活環境は、水源は守られるのか、といった疑問について、相手にも納得してもらえるよう、できるだけ客観的に対話するよう心がけられたそうです。
そのモットーとして、谷口さんが語られたのが、冒頭にある言葉なのです。
引き継いできた釜沢の自然と生活の知恵を、次世代にも受け継いでいきたい。そのことをわかってもらうには、立場をニュートラルにして、相手を責めることなく、できるだけ客観的な視点から、そして将来から見て問題ないかという視点から話さないといけない。
そうした思いが、冒頭の言葉には込められているのです。
私は、このときも、たいへんな衝撃を受けました。
〈実害が生じ始めてもなお、事業者側の人たちとなんとか分かり合いたいという姿勢で話し続けることって、並大抵の努力でできることではない。その裏には、ニュートラルというモットーがあったんだ!〉
そして、公共事業という巨大な壁とぶつかった地域の方たちが、どうすれば考え方の違う相手との議論が成り立つか、と考え抜いた末に生まれる「対話の作法」というものがあるのではないか、と気づかされたのです。
大間町のように、町をなんとか残したいという共通の背景があったとしても、やはり、原発に賛成か、容認か、反対かで立場が違えば、言葉では「議論の場に一堂に会する土台がある」と言えても、実際にはとてもできそうにない・・・そんな壁にぶつかっていた私は、地域にふってきた巨大事業という壁に向き合い、事業者と、あるいは立場の違う地域住民や行政となんとか議論しようとする方たちの「対話の作法」にこそ、なにかヒントがあるのではないか、そう思ったのです。
この気づきをもとに、地域の方がたの「対話の作法」にまなびながら、困難な課題を抱える地域での議論の〈場〉づくりのきっかけをつかめないだろうか、という内容で科研費(基盤C)に応募したところ、採択されました。
(テーマ)地域的公共圏における熟議民主主義の成立可能性の探求――市民の対話の作法に着目して
(期 間)2023~26年度
こんな気づきを与えてくださった谷口さんには、感謝してもしきれません。そんな谷口さんのインタビュー記録の一部は、ひとつ前の科研費の最終報告書(2021年3月発行)に掲載しましたので、ご希望の方は澤までご連絡ください。
研究の思考のすじみち
「研究の3本柱」に照らし合わせていえば、大間町から大鹿村へとつながった研究のプロセスは、次のような段階をたどったことになります。
第一段階として行ったのは、原発公害やリニア新幹線という巨大な公共事業が、なぜ、自然環境の・社会環境の・生活環境の破壊につながるのか、その社会経済システム上の問題点を浮き彫りにするという【ステップ1】の研究です(研究実績→論文10など)。
第二段階は、そうした社会経済システム上の問題と対峙している地域のみなさんが、おおきな壁にぶつかった際、どういう思いで行動されているのか、という点についての学びから、維持可能な社会を築くには、いろんな立場の人が自由に意見を言い合える〈場〉が重要なのではないかという気づきからスタートしています。これは、未来社会をデザインするうえで大切だと思う視座を探求する【ステップ2】の研究です(研究実績→論文17,18,21,22など)。
第三段階は、地域での議論の〈場〉づくりを進めるにあたって大切な視座のひとつに、谷口さんのニュートラルの考え方にみられるような、多様な立場の地域の方がた相互の共生を見据える対話の作法がありうるのではないか、という点です。この視点はまさに、2023年度からの科研費研究のなかで考察しているテーマですが、2024年の夏に、奥本さんの思想から対話の作法を抽出する論文を、下北半島の調査でご一緒したみなさんと発刊を準備している共著書のなかで公開する予定です。
このように、哲学・思想の理論研究を進めるだけでなく、あわせて、最先端の現場とそこで生まれている思想に学びながら、現実と理論との往還研究をすること。そのうえで、維持可能な未来社会をつくっていくために重要だと思われる環境哲学・環境思想を紡いでいくこと。これらは、私がもっとも大事にしたいと思っている研究上の姿勢です。
(2024年3月15日掲載)