東京農工大学農学部環境哲学研究室
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◆単著書◆

3,澤 佳成『開発と〈農〉の哲学――〈いのち〉と自由を基盤としたガバナンスへ』はるか書房、2023
開発と〈農〉の哲学 食糧自給率が40%を切っている日本。でも、私たちの食生活は豊かです。それは、世界中から食料が輸入されているためです。工業資源の少ない日本。でも、私たちはふつうにPCを使い、ケータイ(スマートフォン)を使用し、便利な暮らしを送っています。ですが、そうした私たちの普通の暮らしの影で、私たちに食料やケータイの鉱物などを供給してくれている地域で、小規模農家が、農地だけでなく、住むところを追われる事態まで起こっています。でも、私たちは普段、そのような情報に接することはありません。どうしてこのような状況に陥っているのか? 本書では、その構造的なメカニズムを明らかにしつつ、では、どうすれば、そうした構造的な暴力を改善していけるのか、という考察を、私たちと私たちを取り囲む〈いのち)と、私たちの自由を基盤とするガバナンス、という視点から考察しました。
2,澤 佳成『人間学・環境学からの解剖――人間はひとりで生きてゆけるのか』梓出版社、2010
人間学・環境学からの解剖 私がはじめて大学で教鞭をとった東京家政大学での講義「人間論」の内容をベースに書き下ろしたものです。4部構成からなっていて、第1部は「人間存在の深淵を探る」と題し、人間とはいったいどんな存在なのかという疑問について探っています。第2部は「自由と責任の関係を考える」と題し、ボランティアの事例から入り、自由と責任の関係について探求を進めています。第3部は「人間が生きることの意味を探る」と題し、人間が働くことの意味や人間の権利について考えています。第4分は「現代社会における人間の危機」と題し、自己責任論や環境危機の問題について考え、問題の打開策について考えています。最後には、人間が生きる意味について考える一助にして頂けたらと思い、受講してくれた学生の感動的なレポートを収録しています。
1,澤 佳成『新潟震災ボランティア日記――被災地の「自立」論?』新風舎、2006
新潟震災ボランティア日記 2004年10月。新潟県中越地方を、最大震度7の地震が襲います。当時、大学院生だった私は災害ボランティアへ参加。そのときに見聞きし、感じたことを、体験記としてまとめました。サブタイトルを「被災地の『自立』論?」と表現した理由はこうです。災害時には、そのまちの社会福祉協議会が災害ボランティアセンター(VC)を立ち上げると決められています。私が活動していたまちのVCのなかでは、震災からまだ2週間もたっていなかったのに(!)「被災者は『自立』しなければならない」という考え方が支配的になっていました。その考え方のもとに物資の配布方法も決められていて、社会的に弱い立場の被災者ほど、全国からあつまる善意をうけとれないという事態が発生していました。これって、結局「自己責任論」と変わらないのでは?という疑問から、体験をまとめました。

◆共著書◆

6,清原悠編
『レイシズムを考える』共和国、2021
レイシズムを考える 第12章「公的レイシズムとしての環境レイシズム――環境正義運動の示唆する社会変革への視座」を担当しました。
アメリカで誕生した「環境正義」理念。この理念には、環境破壊から受ける被害を回避するために必要な私たちの権利がちりばめられています。ところで、この理念、実はレイシズムと関係があるのです。アメリカでは、1970年代、人種的マイノリティの住む地域に産業廃棄物処分場が多く立地している事実が明るみになりました。環境問題の発生する場とレイシズムとが密接に関係していたのです。そこから生まれたのが「環境レイシズム」という概念です。私の章では、この環境レイシズムの歴史と、それを改善しようとする市民運動から環境正義の理念が生まれた背景についてまず明らかにしました。そのうえで、公害のおおくは、編者の清原悠さんの指摘される「公的レイシズム」の側面があるのではないかと考え、私なりの定義を示しました。最後に、では、そうした問題をもふくむ環境破壊をどうすれば改善していけるのか考察しました。
5,時代をつくる文化ラボ制作(小谷英生・小山花子・和田 悠・澤 佳成)
『リアル世界をあきらめない――この世界は変わらないと思っているあなたに』はるか書房、2016
リアル世界をあきらめない 第4章「環境へのマニフェスト」を担当しました。
東京都調布市の崖線に広がる「若葉の森」。2008年末、都市のなかのこの貴重な森を道路が通るという住民説明会が開催されます。1962年に引かれた道路計画線が復活したというのです。さあ大変! 地域住民のみなさんが森を守ろうと集まったおかげで、計画の復活から9年たった今もなお、森は市民の憩いの場であり続けています。住民のみなさんは、どうやって森を守ってこられたのでしょう? その取り組みに、持続可能な社会の構想に有益なヒントが隠されているのではないか、という視点からまとめました。
4,尾関修二監修、環境思想・教育研究会編
『「環境を守る」とはどういうことか――環境思想入門』岩波ブックレット、2016
「環境を守る」とはどういうことか 第5章「原発公害を繰り返さぬために――「環境正義」の視点から考える」を担当しました。
だれもが良好な環境のもとで暮らす権利をもつのだと謳う環境正義。この理念は、ある問題をきっかけに誕生します。それは、環境破壊の問題と人種差別の問題が、じつは密接に関係しているのではないかとアメリカで提起された「環境レイシズム」の運動です。鉱山などの採掘現場ではたらく人びとはネイティブ・アメリカンが多い、環境に汚染をもたらす工場が設置される場所は有色人種の暮らす地域が多いといった現実が、20世紀中盤のアメリカにあったのです。特定の地域の人びとを差別したうえに成り立つ豊かな生活。そして、公害が起こっても、被災地の人びとが十分な救済をされず、分断される現実。これもまた環境レイシズムといえるのでは?という疑問から、本章をまとめました。
3,尾関周二・矢口芳生監修、古沢広祐・津谷好人・岡野一郎編
『共生社会Ⅱ 共生社会をつくる』農林統計出版、2016
共生社会Ⅱ 共生社会をつくる 第3部第2章「グローバルな共生の可能性――携帯電話をとりまく「つながり」から考える」を執筆しました。ケータイゴリラってご存知ですか? 私たちの必須アイテムとなっている携帯電話。小型化するために使われているレアメタルの鉱脈が、ゴリラの住む地帯に広がっていて、森が伐り開かれ、森が破壊されているのです。しかも、ゴリラの住むコンゴ共和国では、資源をめぐる人間の争いが絶えず、600万人ともいわれる虐殺犠牲者が出る状況で、人びとの生活環境も破壊されています。こうした現実から、私たちがふだん消費するという行為と、ものを生産するという行為との関係から考えられる持続可能な社会のあり方について、考えました。
2,尾関修二・亀山純生・武田一博・穴見愼一編著
『〈農〉と共生の思想――〈農〉の復権の哲学的探求』農林統計出版、2011
〈農〉と共生の思想 第12章「〈農〉的共同体と共生型の市民像――近代民主主義と〈キョウ民〉の思想」を執筆しました。私たちが生きていくうえで欠かせない農の営み。しかも、この営みが持続可能なものでなければ、自然環境が破壊され、ひいては私たちのいのちの危機が迫ってきます。そうならないようにするため、自然と人間との共生の視点から、農の営みを持続する必要が出てきます。このとき、人間は、自然とのかかわりのなかで、4つの〈キョウ〉的な営みを視野にいれたらよいのではないか、と考えました。自然との〈響〉き合い、ほかの地域の人びととの農の技術の〈教〉えあいとさまざまな〈協〉力、そして、こうした〈共〉同的実践の遂行、という意味です。
1,尾場瀬一郎編『西洋思想の16人』梓出版社、2008
西洋思想の16人 「エーリッヒ・フロム」の章と「アマルティア・セン」の章を執筆しました。