園芸学研究室について
園芸で扱う作物には、野菜、果樹、花卉があり、これらを園芸作物と言います。園芸学では園芸作物の品種、生産および利用に関する研究を行います。
当研究室では、園芸学に興味のある意欲的な学生が集まり、ブルーベリー、イチゴなどの高品質・高収量生産を可能とする技術開発や植物工場における栽培研究、ペチュニア、コデマリなどにおける植物組織培養や遺伝子組換え技術を用いた花色や葉色の改良、キュウリやハツカダイコンなどにおける植物での有用物質の生産に関する研究を行っています。
私たちは、施設園芸と植物組織培養の研究を中心に、様々な園芸作物における発芽から生長、開花、結実、老化までの幅広い領域について研究し、園芸作物の持続的生産に貢献します。
定例活動
ゼミ(セミナー)
毎週木曜、学生が研究の中間報告や英論紹介を行います。他者からのアドバイスや新たな発見で研究が前進します。
卒論・修論研究
教員と学生との相談で決定します。卒論・修論作成における研究では、計画、実行、考察、まとめの各段階において、先輩や教員がサポートしますが、「まずは学生が考える!」を基本にして指導を行っています。(詳しいテーマは論文・発表をご覧ください。)
パーティー
新配属歓迎会や前後期末、クリスマス会、卒業式等、節目のタイミングで年6回ほど飲み会があります。当研究室はスマートドリンキングを推奨しているため、アルコールが苦手な方も存分に楽しめます。夏には全長15mの本格的な流し素麺も行います。
植木市
毎年、秋の大学祭では「植木市」を行っています。50年以上にもわたる伝統行事です。学生が企画・立案・実行のすべてを行います。植木市を通じてシクラメンやパンジーなどの種類を覚え、栽培方法の勉強をすることもできます。
研究室旅行
夏休みに1泊2日の旅に出ます。美味しい食べ物や美しい景色、温泉等で英気を養います。
スポーツ
体を動かすことが好きな教員、学生が多く存在します。不定期で昼休みにキャンパス内でソフトボールやバドミントンを楽しみます。秋には生物生産科学コースの研究室対抗ソフトボール大会があり、優勝経験も多数ある強豪研究室です。
梅酒づくり
6月には梅やアンズを収穫して、果実酒を作ります。梅が豊作な年には梅干しも作ります!自分達で一から生産した果実酒での乾杯は格別です。
コアタイムについて
当研究室では、コアタイムは設けていません。研究に自発的に取り組み、PDCAサイクルを回すことができる学生が活躍しています!!「研究がおもしろい!もっと続けたい!」や「自主・自立の精神」が芽生えることを期待して、あらゆる角度からサポートします。研究のみならず、イベントも学生主体で行う「活気のある研究室」です。
※実験植物を管理するため、日々の観察は欠かせません
沿革
・明治9年(1876):農事修学場となる.
・明治10年(1877):荏原郡上目黒村駒場野へ移転し,農学校(初代校長関澤明清)となる.
・明治9~13年:イギリスからジョン・カスタン(農学)やエドワード・キンチ(農芸化学)らが来日し教鞭をとる.
・明治14年(1881):農商務省に移管し,駒場農学校と改称し,農学本科・農芸化学科・獣医学科(修業年限3年),および普通学科(修業年限2年)を設置した.
・明治14~25年:ドイツからマキス・フェスカ(農学)やオスカル・ケルネル(農芸化学)を招聘し調査や教育を委嘱する.
・明治19年(1886):内務省樹林試験場の後身東京山林学校と合併し東京農林学校となる.農学部・林学部・獣医学部,および予備科・速成科の構成.
・明治23年(1890):文部省に移管し,帝国大学の農科大学となる.農学科・林学科・獣医学科および乙科の構成.
・明治26年(1893):講座制が確立され,20講座を開設,現生産・環境生物学専攻に関連する講座として農学第二(作物学),園芸学,動物学・昆虫学・養蚕第二,農業物理・気象学の4講座を設立,なお農芸化学科が農学科より分離独立.
・明治30年(1897):京都帝国大学が開設され,東京帝国大学農科大学となる.
・明治31年(1897):乙科を実科(後の東京高等農林学校)と改称.
・明治32年(1898):農業教員養成所(後の東京教育大学農学部)を設置
・大正8年(1919):学部制をとり東京帝国大学農学部実科となる.
・昭和6年(1931):園芸学講座を園芸第一(果樹・蔬菜)と園芸第二(花卉・造園)に分離.
・昭和10年(1935):本科は本郷へ,実科は府中へ移転して東京高等農林学校となる.
・昭和19年(1944):東京農林専門学校と改称.
・昭和24年(1949):学制改革により,東京繊維専門学校と合併して農学部・工学部で構成する東京農工大学が発足. ここから農工大園芸学研究室がスタートしました.