№5. 食料増産に向けて作物の品種改良への新たなアプローチ
大学院農学研究院
生命農学部門 大川泰一郎 准教授
研究の概要
大川先生は、食料増産のための子実収量、バイオマス生産量の高い作物の改良に関わる植物生理学的な研究を進めています。生理研究の成果をもとに、2008年には稈(かん(注1))が非常に強いため倒れにくく、バイオマス生産量の大きいイネ長稈品種「リーフスター」を開発しました。2010年には、イネゲノム研究をもとに、稈の強さに関わる形質について研究を展開し、1つの遺伝子で稈を太く倒れにくくし、籾の数量も増やす強稈性遺伝子を解明しました。この研究は、イネを倒れにくくし、収量性を高めるのに有効な作物の品種改良の新しいアプローチを示すものです。研究成果は、英国科学雑誌「ネーチャー・コミュニケーションズ(電子版)」に掲載され、多くの分野から注目を集めています。
Ookawa, T. et.al., 2010. New approach for rice improvement using a pleiotropic QTL gene for lodging resistance and yield. Nature Communications 1(8):1-13.
※注1 稈(かん): 稲・竹などの、中空になっている茎
プロフィール
大川先生は1989年に本学大学院農学研究科修士課程を修了された後、本学農学部助手に着任しました。その後、1994年に博士(農学)を取得し、1999年11月に助教授(平成19年から准教授)になられました。その間、名古屋大学農学部での内地研究、アフリカ稲研究所でのネリカ稲改良に関する短期在外研究、ドイツ・マックスプランク研究所植物分子生理学部門での光合成に関する長期在外研究等、国内外を問わず各地で幅広く研究を実施し、イネ、コムギ、ダイズなどの主要な作物の収量増加に関わる植物生態生理学的な研究に携わってこられました。たとえば、「収量の多いイネ、ダイズ品種の光合成」、「物質生産機能の解明」、「大型の長稈水稲品種の物質生産機能と倒れにくい稈の性質の解明」、「イネおよびダイズの葉の老化に伴う光合成速度の維持に関する研究」などがその例です。これらの基礎研究から、大川先生は、稈の強さや収量性に関する形質の量的形質遺伝子座(QTL)の特定と原因遺伝子の機能解明、新しい機能をもった品種開発、といった根源的な機能解明や新しい品種開発といった世界が抱える問題である「食糧難」へアプローチする研究を展開しています。
1.作物の品種改良はこれまでどのように行われてきましたか?
20世紀後半、穀物生産量の飛躍的な増加が成し遂げられました。この最大の要因は、化学肥料の使用増加ですが、肥料使用量の増加はイネ科作物の稈を伸ばし、倒しやすくするため、倒れにくい品種の開発が不可欠でした。この問題を解決するため、イネやコムギの育種家は、穂は小さくならず稈だけを短くする遺伝子(半矮性遺伝子)を利用して、新しい品種を開発しました。このような半矮性遺伝子をもつイネ、コムギなどの品種は世界中に拡がり、「緑の革命Green Revolution」と呼ばれています。
2.21世紀の食料生産向上のために、どのように研究を進めてきましたか?
世界の人口は2050年には90億人に達すると予測されており、急激な人口増加により食料不足が深刻になることが懸念されています。世界の飢餓人口は増加しており、実際に2008年には食料危機が起こりました。一方、イネやコムギなどの穀物の面積当り収量は頭打ちの状況にあります。我が国では、食料自給率はカロリーベースで40%にまで低下しており、飼料自給率も25%と低い状況にあります。将来、世界的な食料危機が起こるリスクが高まることを考えると、作物の生産性向上に関わる研究を進めていくことは極めて重要です。
20世紀には、半矮性遺伝子による短稈化によって、稈よりも子実の割合を50%にまで高めて単位面積当たり子実収量をあげてきましたが、21世紀に入り収量ののびは小さくなっています。植物体全体のバイオマスに占める子実の割合をこれまで以上に高めることには限界があります。子実収量を高めるためには、長稈化し植物体全体のバイオマス生産量を高めることによって、同時に子実も多くする方法があります。そこで私たちの研究室では、これまで「緑の革命」で用いられた半矮性遺伝子ではない稈を強くする新しい遺伝子(強稈性遺伝子)を使って、植物体が長く重くても倒れにくく子実収量の高い作物が開発できないかと考えて、研究を進めてきました。
3. イネ新品種「リーフスター」はどのように開発されましたか?
まず稈の強度に関わる原因は何かを検討し、稈の強さがイネの遺伝資源の間でどの程度異なり、その原因が何かを探りました。その結果、稈の強さには大きな相違があり、稈の太さ、稈の材質など原因となる形質にも大きな違いがあることがわかりました。
植物体の大きい強稈性品種育成のために、遺伝資源の中から茎の太い強稈系統「中国117号」を母、「コシヒカリ」を父とする交配を行いました。2世代目に、稈が著しく太くしかも曲げ、折れに強い材質をもち、親の中国117号を大きく上回る強稈性を備えた3個体を選抜することができました。この性質はつぎの3世代目にも遺伝し、遺伝率の高い性質でしたので、品種開発のために農林水産省中国農業試験場稲育種研究室の育種研究者との共同育成を開始しました。農業生物系・特定産業技術研究機構(農研機構)作物研究所多用途稲育種研究室における収量等評価試験を経て、2005年に農研機構と東京農工大学との官学共同出願を行い、2008年に農林水産省において「リーフスター」と命名され、水稲農林413号として登録されました。研究開始から品種になるまで12年の歳月を要しました。この品種は強稈でバイオマス生産量が高いので、新しい品種の交配母本として利用されているとともに、飼料用イネ品種として畜産の盛んな栃木県、茨城県をはじめ、関東以南の各地で栽培面積が拡大しており、我が国における飼料自給率の向上に貢献しています。
4. どのようにして強稈性遺伝子を発見されましたか?
強稈性遺伝子に関する研究はリーフスターなどの強稈性に関する基礎研究をもとに、科学研究費補助金および農林水産省新農業ゲノムプロジェクトの一環として、名古屋大学生物機能開発利用研究センター、農業生物資源研究所QTLゲノム育種研究センター、富山県農林水産総合技術センターの研究者と共同で、次のように進めました。我が国の代表的なイネの日本型品種コシヒカリ、ササニシキは稈が細いため、曲ったり基部で折れることにより、登熟期に台風による風雨などで著しく倒れ、収量低下や品質低下をもたらします。一方、印度型品種ハバタキは稈が太く強い稈をもっています。そこで、ハバタキのもつ茎の外径と内壁の厚さなど太さに関わる遺伝子の単離を試みました。DNAマーカー選抜によって作出された日本型品種とハバタキとの染色体断片置換系統群(CSSLs)を用いて、ハバタキのもつ稈を太くする染色体領域は、第1染色体と第6染色体の2か所にあることがわかりました。第1染色体のQTLはとくに茎の内壁を厚くする効果が高く、これをSTRONG CULM1(SCM1)と名付け、第6染色体のQTLは稈の外径を大きくする効果が高く、このQTLをSTRONG CULM2 (SCM2)と名付けました。稈の強度を高める効果は、茎の内壁の厚さを増すよりも茎の外径を増す方が大きいので、さらに第6染色体のQTLの存在する領域を狭めた結果、SCM2遺伝子は、成長点で発現し穂の分化に関与することが知られているAPO1という遺伝子であることを見出しました。この遺伝子は成長点で穂につく枝や花、稈の細胞分裂を制御する性質を持っています。日本型品種に比べてハバタキの稈が太く、籾の数量が多いのは、この遺伝子が、稈を太くし、花の数を増やす時期に、日本型品種より多くかつ多面的に発現することが理由だったのです。この研究成果は、イネだけでなくコムギなど他のイネ科作物の品種改良にも応用することが可能です。
ササニシキに比べて、第1染色体にハバタキ断片をもつSL403は稈壁が厚くなり、第6染色体のハバタキ断片をもつSL420は稈の外径が大きくなる.
左:コシヒカリ、中央:第1染色体長腕にハバタキの半矮性遺伝子sd1を含む断片をもつコシヒカリNIL-sd1、右:第6染色体長腕にハバタキの強稈性遺伝子APO1を含む断片をもつコシヒカリNIL-SCM2.
稈を太くする遺伝子APO1を含む第6染色体長腕の484kbのみハバタキ(赤)の染色体断片をもつNIL-SCM2.
コシヒカリとNIL-SCM2の登熟期の台風通過後の倒伏の相違.
コシヒカリとNIL-SCM2の稈(Ⅰ~Ⅴ節間)横断面の太さの相違.
5.食料問題、作物の品種改良に興味を持つ若い学生や研究者に伝えたいことは?
21世紀の世界は人口の増加と不安定な食料生産により食料の国際価格が高騰し、これまでのように安い輸入農作物を入手することは困難になると考えられます。それぞれの国には自国の農業を発展させ、食料自給率を高める責務があります。学生には高い志をもって大学で広い学問領域について学び、食料問題の解決に向けて作物の品種改良などの分野で、将来国内外で活躍しうる人になることを期待しています。農工大では、「使命志向型教育研究-美しい地球持続のための全学的努力」(MORE SENSE)を基本理念に掲げ、21世紀の人類が直面している課題の解決に取り組み、日々教育と研究を行っています。また、フィールド研究を重視し、農学部附属広域都市圏フィールドサイエンス教育研究センターにおいてフィールド実習および研究を行っています。私たちのイネの研究も多摩川近くの歴史あるフィールドミュージアム本町の水田農場で、長年にわたり学生諸君、研究室、農場スタッフとともに、複雑な要因がからむフィールドで現象をみつけ出して整理し、遺伝子のレベルまで幅広く考えて探究した成果といえます。「木をみて森をみず」という研究にならないように、日々マクロからミクロまで幅広くみる考え方が、研究上とても重要なことと考えています。若い皆さんが目標に向けて切磋琢磨し、躍進されることを祈っております。私もさらに大きな目標に向かって、突き進んでいく所存です。
平成23年3月掲載 インタビュワー◆サイくん