№1. イオン液体の研究が新しい段階に入った!
共生科学技術研究院
生命機能科学部門 大野 弘幸 教授
研究の概要
ここ数年、“イオン液体”と呼ばれる新しい液体が注目を集め、世界中で多くの研究がなされるようになってきました。大野教授は、早い時期にイオン液体が面白い材料であることに着目し、研究を進めています。多くの展開をされていますが、中でも2005年に生体由来のアミノ酸をイオン液体の成分としたアミノ酸イオン液体の開発に成功したことは注目されています。この研究成果は米科学雑誌「Journal of American Chemical Society」(2005, 127, 2398)に掲載され、2009年の現在までに被引用件数が150件を超え、多くの分野から注目を集めています。
プロフィール
大野先生は昭和56年3月に早稲田大学大学院理工学研究科博士後期課程修を修了し、工学博士を授与されたのち、早稲田大学理工学研究所 研究員、米国 Case Western Reserve Universityのポスドク、早稲田大学助手を経て、昭和63年 8月から東京農工大学工学部に助教授として赴任され、平成9年 1月に教授となられました。
大野教授は高分子科学を基礎として様々な研究を展開してこられました。たとえば、酸化還元活性な高分子の合成、リン脂質リポソームの解析と高分子化、関節プロテオグリカンの構造解析と老化の影響、イオン電導性高分子の設計と評価などです。本学教授になられた頃からイオン液体の研究を開始し、高分子科学と組み合わせた展開を精力的に進められています。
大野教授のホームページはこちら(別ウィンドウで開きます)です。
イオン液体って何ですか?
イオン液体はイオンのみからなる「塩」の一種です。「塩」とは陰イオン(アニオン)と陽イオン(カチオン)のみからなる物質で、代表的なものに食塩として知られるNaCl(Na+:陽イオン、Cl-:陰イオン)があります。NaClなどの無機塩は小さなイオンから構成されており、イオン間の静電相互作用が非常に強いために、800℃以上に加熱しないと液体になりません。無機イオンの代わりに大きい有機イオンを用い、イオン間の相互作用を弱めると、室温付近でも液体状態の「塩」ができることが分かってきました。100 ℃以下で液体状態の「塩」のことを「イオン液体」と呼んでいます。イオン液体は、①ほとんど蒸発しない、②イオンのみから構成されるので電気を良く通す、③液体として利用できる温度域が広い(氷点下~400℃程度)、④有機イオンを構成イオンとしているために多様性に富み、様々な物性・機能を持たせることができる、など興味深い特徴を持っています。
アミノ酸からイオン液体ができるのですか?
イオン液体はほとんど揮発しないことから、揮発性の有機溶媒に代わる環境にやさしい新規な液体として注目を集めてきました。しかしながら、これまでに開発されてきたイオン液体の多くはフッ素原子を含み、環境への暴露による環境汚染の原因となる可能性がありました。そこで、環境にやさしい、生体由来のイオンを構成成分とするイオン液体の開発の必要性を感じました。はじめに着目したのがアミノ酸です。アミノ酸は、生体由来であることから環境低負荷であることのみならず、天然アミノ酸だけでも20種類と種類が豊富であること、安価であること、さらなる化学修飾が可能であることなどの特徴も有しているために、イオン液体のイオン種にするには最適であると考えました。そこで、アミノ酸をアニオンとし、イミダゾリウムカチオンと組み合わせてみると、室温で液体の塩が得られました。これらは水や分子性液体を全く含まない液体であり、アミノ酸を成分とするイオン液体を世界で初めて合成しました(J. Am. Chem. Soc., 127, 2398 (2005), Acc. Chem. Res., 40, 1122 (2007))。
20種類のアミノ酸から作られたイオン液体
このアミノ酸イオン液体はどんな役に立つのですか?
アミノ酸イオン液体は、使い終わったら自然に分解されるような、環境にやさしいイオン液体として開発しました。反応溶媒、潤滑剤、被覆材、薬剤輸送担体など、様々な応用が期待できます。また、アミノ酸を化学修飾することにより、機能を付与したイオン液体にすることができると考えました。その結果、下限臨界供溶温度(LCST)挙動と呼ばれる珍しい相挙動を示すイオン液体が見つかりました(Angew. Chem. Int. Ed., 46, 1852 (2007))。LCST挙動とは、水と混合した際に、冷却すると相溶し、加熱すると相分離するという挙動です。ふつうは加熱すると溶解度が高くなり、均一相になるのですが、この系では逆に相分離します。LCST挙動を示す高分子の混合系はこれまでに見つかっていましたが、イオン液体での報告はありませんでした。しかも、この変化はわずかな温度の違いで制御できます。一例を図に示しますが、色素で赤くしたイオン液体は25度では水と相分離しているのに、22度にすると完全に相溶します。このようなわずかな温度で相状態を制御できれば、たとえば昼夜の温度差だけでこのような変化を引き起こすことができます。夜には均一系の液体中で反応が進行し、昼には相分離して生成物が水相にあれば簡単に分離することができますね。
さらにこのLCST挙動を示すイオン液体は、たんぱく質を抽出できることが最近の研究でわかってきました。そのメカニズムの解明や分離操作についてさらなる研究を行っているところです。
イオン液体の今後の可能性はどうですか?
アミノ酸イオン液体は我々が2005年に報告して以来、世界中の研究者の注目を集め、多くの研究者が応用に向けた研究を行っています。たとえば、アミノ酸イオン液体がCO2を吸着できること、化学反応の良好な溶媒や触媒になること、光学活性分子の分離ができることなど様々な面白い性質を示すことが分かってきました。
私たちはアミノ酸イオン液体以外にも様々なイオン液体を開発しています。最近の大きな成果はバイオマスを温和な条件で処理できるイオン液体の開発です。バイオマスの代表はセルロースですが、これまではセルロースを溶解させるのには高温で危険な条件が必要でした。私たちはまったく新しいイオン液体を設計し、非加熱でセルロースを溶かすことに世界で初めて成功しました。さらに、たんぱく質を安定に保持することのできるイオン液体の開発など、バイオテクノロジーにも展開できるイオン液体を提案するなど、新しい領域を開拓しました。一部は最近の総説にまとめました(Nature Materials, 8, 621 (2009))。これらの成果が認められ、平成21年に科学研究費補助金(基盤研究(S))「バイオサイエンスを支えるイオン液体」が採択され、研究が一段と加速できるようになりました。従来の分子性溶媒では達成できなかった「イオン液体ならではの科学」を確立するために、今後さらに精力的に研究を行っていきます。
イオン液体に興味を持つ若い研究者の養成は?
研究室では大学院博士後期課程の学生を受け入れる体制ができています。すでに多くの学生が博士の学位を取得し、国内外で活躍しています。イオン液体が面白そうだと思った方は博士の学位取得を目指すべきです。今後は研究所や企業でもイオン液体を使う頻度は急速に増えると思われます。その時に先端研究者として活躍するためにも今からイオン液体を自由に扱えるようになるべきだと思います。研究は必ずうまく行くとは限りませんから、失敗を繰り返してもめげないタフな人を歓迎します。上手く行くまで継続すれば、必ず成功しますから。特に若い時に分野を問わず全力を出す経験をした人はイオン液体の研究に最適だと思います。スポーツ、芸術、学問など、なんでも結構ですから、思いっきり青春を捧げ、失敗した方、今度はイオン液体をとことん研究してみませんか?
インタビュー後
大野先生はとても背が高く、初めは近寄りがたい怖さがありましたが、お話を聞くうちにとても気さくな先生であることがわかってきました。学内外で多くの役職を持たれてとてもお忙しい先生ですが、研究室の学生さんともできるだけ時間を作っていろいろお話されるそうです。大野先生はワインがお好きで、研究室の学生さんとよく飲まれるそうです。飲みながら研究の話をしたり、人生の教訓を教えたりと、普通では言いにくいようなことを赤ワインの力を借りてどんどん言われるとのこと。学生さんもみなさん明るく、自分たちを高めるために頑張るという強い意志を持たれているのがとても印象的でした。
平成21年11月掲載 インタビュワー◆サイくん