Molecular Environmental Science:分子レベルで環境を科学する

土壌中の栄養および有害元素を分子レベルで分析し,どのような化学状態で存在しているのかが分かれば,生物や環境中における元素の毒性や吸収についてのメカニズムの解明につながります.植物や微生物が土壌から元素を取り込むためには,その元素が土壌中で溶解している必要があります.その溶けやすさを決めるのが元素の化学状態(形態)です.例えば,有害金属で知られるヒ素(As)は,5価の「ヒ酸」よりも3価の「亜ヒ酸」の化学状態で存在している方が,環境中で移動しやすく,生物毒性も高いということです.元素の化学形態は,環境中で元素の動きを支配している根源的な要素なのです.

このようにして環境,特に物質循環の基盤となっている土壌を中心として,元素の存在状態を明らかにする
分子環境科学 Molecular Environmental Science」を開拓し,植物への栄養・有害元素の可給性や,環境・生態系における元素の動態について,ミクロの視点から明らかにしていきます.詳細はこちらの書籍にまとめられています こちらをクリック


現在進行中の研究テーマ

 有害元素やナノ粒子による土壌汚染:除染の方法を探る

壌汚染に関わる問題は,私たちの環境や健康だけでなく,食の安全や不動産価格といった産業・経済活動にも影響を及ぼすため,解決すべき重要な課題となっています.特に重金属類(有害元素)による土壌汚染は,農薬や有機化合物汚染よりも件数が多く,一旦汚染されると分解されずに残留するという特徴があります.
 有害元素によって汚染された土壌を除染・修復する前に重要なことは,その有害元素が汚染現場でどのような状態で存在しているのか(化学状態)を知ることです.化学形態を知ることによって,その有害元素が土壌中で溶けやすい・移動しやすい状態であるのか,あるいは植物に取り込まれやすい状態であるのかが分かります.
 私たちは環境中の有害元素の化学状態を,放射光X線分析という手法を使って明らかにすることに取り組んでいます.放射光X線分析は
SPring-8Photon Factoryと呼ばれる施設で行われます.ちなみに小惑星探査機「はやぶさ」が惑星イトカワから持ち帰った微粒子もこれらの施設で分析されました.世界に誇る日本の科学分析施設です
>>「はやぶさ」プロジェクトについて

主な研究テーマです

ナノ粒子による土壌汚染: 
 私たちはナノ粒子を利用した日用品を多く使用しています.ナノ粒子のなかでも特に銀は,その消臭・殺菌効果を利用して,デオドラント剤,プラスチックや歯ブラシには(ナノ)銀粒子が添加されている商品が多く流通しています.
 これらの製品に含まれている銀は,最終的には汚泥,焼却灰,土壌に蓄積するといわれています.これまで,銀の環境中における挙動(土壌中での溶解性・生物・生態系食物連鎖への影響)はほとんど分かっていません.銀を含めた他のレアメタル(タングステン)のナノ粒子の環境影響に関する研究を進めています.

自然由来重金属汚染土の対策と政策提言: 
 自然由来汚染土というのは,微量の重金属を含む地下の地層が建設工事などによって地上に掘り起こされたときに発生します.元来地層に安定して存在している重金属であるため,環境・健康リスクは極めて低いものですが,現行の法律では基準値をわずかでも超えると汚染土として厳格に処分されなければなりません.
 この自然由来汚染土が問題なのは,東京オリンピックの施設や,リニア新幹線に関連した建設工事に伴って年間400万トンの膨大な量が発生していることであり,その処分に多額の社会コスト(税金)が掛かることにあります(詳細はこちらの資料).

 工場跡地などで発生する人為由来汚染土と比較して,自然由来汚染土に含まれる重金属の濃度は極めて低く,安定な状態(溶けにくい)で存在している場合がほとんどです.したがって,自然由来汚染土に高額な費用をかけて処分するのではなく,工事現場内等で盛り土などとして活用することが,社会コストの削減のための有効な手段です.しかし,現行の法律(改正土壌汚染対策法)では,自然由来も人為由来汚染土も一律に汚染土として処分しなければなりません.

 自然由来汚染土の対策にかかる社会コストを削減するためには,現行の法律を改正して,自然由来汚染土は汚染土として取り扱わなくてよいという条項を定める必要があります.そのためには,
(1)汚染が人為由来なのか自然由来なのかを判定すること,
(2)自然由来汚染土に含まれている重金属類のリスクについて明らかにすることが必要になります.
 
 私たちはこれらの研究の成果が,最終的に日本の環境政策に貢献できることを目指して取り組んでいます.

環境負荷を抑えた土壌汚染対策
 汚染土のほとんどは,処理施設へ運搬して管理(埋め立て)されていますが,処理施設が現場の近隣にない場合には,汚染土を船舶で運搬することもしばしばです.そのため,汚染土の処理には非常に多額の社会コストが費やされています.このような汚染土を掘削して別の場所へ搬出する方法は,汚染土を移動させているだけですので,搬出先が満杯になった場合には,次の場所を探さなければならず,結局国内に汚染現場が点在することになってしまいます.

 このような汚染土の分散を避けるうえで有望な技術が,不溶化による措置です.この技術は,土壌に有害元素を溶けにくくするための資材を添加し,汚染が拡散したり植物や土壌生物に取り込まれないようにします.汚染土壌を持ち出すことなく現場で行うことができるため,安価で効率的な汚染技術として注目されています.
 しかし,資材を土壌に添加した後に,有害金属がどのような化学状態で不溶化しているのかについては,ほとんど研究がなされておらず,これが不溶化処理の普及を妨げている原因となっています.処理土の長期的安全性や環境リスクの評価を実施するうえで,有害元素の化学状態を知ることが,不溶化の普及につながります.

イネへのヒ素・カドミウム吸収抑制のための対策
 カドミウムとヒ素は,自然環境中に普遍的に存在する元素で,農作物の栽培過程において吸収・蓄積されるため,コメなどのほとんどの食品は,低濃度のカドミウムとヒ素を含んでいます.食品に含まれる汚染物質に対して適切な対策を行い,その濃度を低減することは,食品の安全性と健康の確保の観点から国際的に原則となっているうえに,農水省・厚労省の喫緊の施策として現場レベルでの解決が求められている課題です.
 
 これまで,イネへのカドミウム吸収を抑制するために,水田の水管理や資材を添加する対策によって,土壌中のカドミウムを難溶化する方法が現場で採用されています.これらの方法によって,土壌中のカドミウムとヒ素がどのような化学状態に変化するのか,それによるイネへの吸収抑制との関係性を明らかにすることが,現場レベルでの対策の指針や設計をするために重要です.


汚染の環境影響評価には生物学的知見も重要:
 修復した汚染土壌の安全性は,有害金属の生物への毒性や蓄積量によって評価することも重要になります.生物毒性の評価は,土壌の菌叢や酵素活性を指標としたり,植物の生育状況を観察することによって行います.特に水田土壌の汚染修復に関する研究では,汚染土壌にイネを生育させた実験を行い,コメへのカドミウムやヒ素の蓄積量が,土壌管理や資材によってどのように低下するのかを検証しています.

 
兵庫県播磨郡にあるSPring-8の全景.
円形状の施設の中にあるそれぞれの「ビームライン」で実験を行う.私たちは土壌や植物などの環境試料中の元素を分析します.


放射光施設(SPring-8)の内部



つくば市にある放射光実験施設「Photon Factory」で室員の高本が土壌中のリンを分析

銀およびナノ粒子の銀が含まれている日用品は1000点以上あると言われている.


走査型電子顕微鏡で撮影した
歯ブラシに入っているナノ銀粒子(竹内撮影)
 

東京のベイエリアの開発によって大量に発生している建設土(保高徹生氏提供)


水酸アパタイト

廃石こうから合成した水酸アパタイトで土壌中の重金属を不溶化(企業との共同研究で特許申請)




温室でのイネ栽培実験によって,土壌中のカドミウムの化学種とコメへの移行特性を明らかにする

 リン:資源の有効活用や植物への供給機構・生態系循環を明らかにする

 日本はリン原料の100%を輸入し,そのうち70%を化学肥料の製造に消費しています.農地に施用したリン肥料の90%は,土壌に吸着されてしまうため,植物にはわずかしか吸収されません.とても効率が低い元素です.しかも,リンの原料となる鉱石は130年後には枯渇するといわれています.
 社会的には注目が低いですが,リンの資源問題は石油枯渇よりも喫緊性の高い問題です.その理由は,エネルギーやプラスチックの資源である石油は,太陽光や他の似たような物質で代替可能であるのに対し,リンは他のいかなる元素でもその生体機能を代替することができないためです.

リンに関する現在進行中の研究テーマです.

農地や森林土壌のリンの蓄積形態
 日本の黒ぼく土は,世界の土壌と比べても,リンの吸着量が際立って多いのが特徴です.このような土壌で農業を行うには,リン肥料を多く施用して植物へのリンの供給量を高める必要があります.しかし,長年の施肥が積み重なって,今では多くの農地にリンが過剰に蓄積されています.これが現在問題となっている植物へのリン過剰障害や,湖沼の富栄養化の原因です.また,リンは生態系の発展において極めて重要でありますが,その環境動態・循環については,窒素と比較して研究が進んでいません.

 日本には長期連用圃場と呼ばれる何十年も同じ土壌管理をして作物の栽培試験をしている試験地が点在しています.長いものでは80年間を超える貴重な圃場もあります.このような土壌は,リンなどの元素の長期的な循環・蓄積や生物利用を明らかにするうえで極めて重要な材料となります.農地生態系でのリンの長期動態が明らかになれば,長期的な視点での土壌・施肥管理の設計や,蓄積しているリン(legacy phosphorus)の有効利用につながります.

土壌や堆肥に含まれるリンの形態と移動性

 鶏ふんなどの家畜ふん堆肥を化学肥料の代替として積極的に利用する施策は,リン鉱石の資源保全のために国際的にも必須の課題になっています.有機農業が農政の重要な施策となっていることからも,今後堆肥の利用はさらに増加していくと思われます.

 土壌と同じく堆肥中のリンも,溶けやすい形態や溶けにくい形態で存在しています.その組成は家畜ふんの種類によっても異なりますので,作物への利用性は一様ではありません.そこで,堆肥中のリンの化学組成を詳細に明らかにして,それらが土壌中でどのように変化し,作物へ吸収あるいは土壌から流出するのかを追跡することが,堆肥の活用において重要な研究となります.

 放射光X線分析やNMR法を使って,土壌や堆肥中のリンの化学形態を詳細に知ることが重要になります.例えば,溶けにくいアパタイト態[Ca
5(PO4)3OH]やフィチン態のリンがどれくらい含まれているのかや,これらの形態が環境中や堆肥化の過程でどのように変化するのかを明らかにしていきます.

 化学的手法に加えて,生物学的観点(酵素や微生物学)からも環境中でのリンの可給性を明らかにしていきます.環境中(土壌・植物体)のリンの多くは,フィチンなどの有機態のリンで存在しています.有機態リンの溶解と生物可給には,酵素の働きが必須であるため,生物学的手法も導入して,生態系内でのリン循環や,肥料の効率についての研究を始めています.



黒ぼく土に含まれる団粒の電子顕微鏡による観察
(比重2.0-2.25の重液で分離,Wagai氏提供)
堆肥のリンの化学状態




核磁気共鳴法(液相31P-NMR法)で同定した堆肥中のリンの化学種.単にリン酸と言っても,無機リン酸(PO4)の他にピロリン酸,および有機態リンのフィチン酸やDNAなどが存在しており,それらの生物利用性は異なる.

 

縦型密閉発酵装置を用いた鶏ふんの堆肥化期間中に,無機リン酸(PO4)がアパタイトやフィチン酸のような溶けにくい化学種に変化した.Hashimoto et al. (2014) ES&T.