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おまけについて

  夏が終わって、今年も一連のだいすきクラブの活動である実験教室は中止となった。人生今から始まりのちびっ子たちの活動が制限されるのは、ほんと気の毒なことだと思う。見通しに対して昨年の今頃は、「来年は問題ないだろう」と、なんの根拠もなく感覚的に思っていたが、完全に間違えてしまった。今年も当然「来年こそは」と思っていてさすがに大丈夫と思いつつ、一抹の不安もあり・・・という状況である。感染症に対する根本的な考え方を変えないと同じことが繰り返されるような気がしないでもない。
 その中学生向けの実験教室で行った偏光フィルムを使ったさまざま実験を、201981日の記事で紹介し、反射光の偏光依存性(釣り用サングラス)の「原理・原則」を説明しようとして、202015日の「フレネルの功績」の「おまけ」のところでMaxwell方程式から電磁波(光)の波動方程式が導かれることを示し、202029日の「おまけ」で少しだけ、電磁波の性質を導いた。そして今日の記事の「おまけ」でフレネルの式を導出し、なんとか現象を説明することができた。

 というわけで今回は本拙文シリーズでも登場している「おまけ」(御負け)についての諸々を・・・。

 本雑文の「おまけ」は、最初はなかったが比較的早くから登場するようになった。雑文自体は趣味の一環であるものの、公開することがモチベーションであり、できれば「面白くていい話、役に立ちそうな話」として書いているつもりではあるが、やはり客観的に考えると独善的、個人的嗜好に依存したものであり、そんな文章を読んでくれた方々にお詫びの気持ちで追加したものが「おまけ」であって、本筋のショボさを覆い隠すという小賢しい発想が源泉である。
 洋の東西、老若男女も問わず、自分も含めて「おまけ」に弱い人はたくさんいるという認識である。テレビショッピングで商品1個買うともう1個ついてくる場合は、1個を半額で売るより売り上げが上がるらしい(実はもう一つ付いてくるという感じで、最初から2個でいくらと言わないことが重要・・・)。

 定量的でわかりやすいデータが、アメリカのSanta Clara大学のJerry M. Burger先生の論文にでているので少し紹介したい(Increasing Compliance by Improving the Deal: The That's-Not-All Technique, Journal of Personality and Social Psychology, 1986, 51, 277-283)。カップケーキをテーブルに並べて値段は伏せておく。「おまけ」につけるクッキーも見えないところに置いておく。60名の被験者(売り場であるテーブルで立ち止まり実験者である売り子に値段を尋ねて人たち)に対して、ランダムにグループに分けする(各30名)し、売り子はグループに応じて2通りの答え方をする。

1グループ(that’s is not all (それだけじゃないよ)):被験者には1人目の売り子(実験者)が175セントと答え、それと同時に書類に目を落としていた2人目が1人目に肩を叩き、1人目が手を上げて(被験者が値段に対して反応する暇を与えず)、「ちょっと待ってください」と被験者に告げ、2人目と2-3秒言葉を交わし、手を下げて「その値段には中サイズのクッキー2枚が含まれます」。そしてクッキーの入ったプラスチック製の袋を取り出す(もし被験者が別々に買えないのかと訊いてきたら、「それはできません」と答える。

2グループ(control):カップケーキの値段を尋ねたときにすぐに、クッキーを見せて「このクッキーと併せて75セントです」と言う。1グループと同様に尋ねられたら、別々に売れないと答える。

結果:購入した割合はそれぞれ73%と40%で第1グループが高かった・・・。「おまけ」効果(お得感)のマーケッティングへの応用例ということだろうが、基本、おまけを貰うとお得感とならんで人々の中には「幸福感」が芽生えるということだろう。

 このように「おまけ」を商売における心理戦の媒体として捉えることも楽しいといえば楽しいが、別な分類として「おまけ」の独立した価値がある場合もたくさんある。箪笥を一棹買うと、実はもう一棹付いてくるようなものと違って、「仮面ライダースナック」(197173年。古くてすみません。ショッカーの怪人のカード欲しさが余って、大人買いして本体のお菓子をその辺に捨ててしまうという事象が各地で起こり、社会問題になった。お菓子自体は星形の甘みがあるもので、美味しいものだった)では「おまけ」のカードそのものの魅力により、本体+おまけのセットの商品価値が高まった例だろう。カードの価値は、怪人たちがポーズを決めている表(おもて)面の写真もさることながら、裏面の怪人に関しての解説にあったという(当然、ネットもなんにもない時代、テレビで「仮面ライダー」を視聴するだけでは、ゲットできない情報が唯一カードの裏面にあった)。
 先述のように老若男女おまけ好きということには、疑う余地もないが、個人の「おまけ」に纏わる歴史を厳密に共感するには、世代と性別の一致が必要となろう。仮面ライダースナック世代は2021年現在で、5560歳ぐらいの男性が中心となるだろう。仮面ライダースナック世代にとって、73年発売の「プロ野球スナック」(現プロ野球チップス)(カード付)は馴染みがあるが、92年のJリーグチップス(カード付)発売時には、大人になってしまっていたと感じる。一連のカードモノ(カードではないが、グリコのキャラメルも)では、「中身がわからない」という大きな特徴がある。グリコの場合は、男の子も女の子もお客様なので、車とかの乗り物などの「男の子用」とミニチュア家具などの「女の子用」に分けられていた。

 仮面ライダースナック世代で、おそらく多くの人が思いを寄せていたのが、学研の「科学」及び「学習」だろう(「6年の科学」という具合に学年別の月刊誌で広い世代から支持されていたと思う。私は「科学」のみを愛読していた)。『学習』(コンセプト:「できる」よろこびと深く学びとるチカラを)は1946年(昭和21年)、『科学』(コンセプト:小さな発見・大きな感動・科学っておもしろい!)は1957年(昭和32年)にそれぞれ創刊された大変歴史のある雑誌であり、特に「科学」においてその魅力を決定的なものにしていたのが、付録(おまけ)の教材だったと考察できる。その「学習」と「科学」だが、20103月をもって休刊となってしまった。200912月に休刊が発表されたときには、なんとも言い難い寂しさを感じたことを覚えている。その報道では、児童数の減少やニーズの多様化等の市場環境の変化による部数の減少が原因とされたが、巷ではPL法により、実験系の「おまけ」を提供することが難しくなったともいわれた。といろいろと考えられるが、やはり子供たちが忙しくなってしまったことが、一番の要因だろう。
 付録は本の内容と関連することも多かったと記憶しているが、基本的には「もう一個おまけする」系ではなく「仮面ライダースナック」系の独立した付録(おまけ)である。「風船を使ったホバークラフト」、「ゴムを使った風力自動車」、「アリが観察できる巣」、「青写真(日光写真)」(下図)などをかろうじて覚えているが・・・。ちょっとだけ年下の友人によると「鉱石セット」がうれしかったそうで、「学習」のほうでは「昔の硬貨のレプリカの作成キット」や「紙漉きセット」みたいなものも楽しかったと懐かしそうに教えてくれた。とにかく楽しみが少ない時代だったということもいえるのだが、発売日が待ち遠しくて仕方なかった。低学年時代(1971年の消費者基本法の制定前)は、学校に業者の人が売りに来ていた。販売日には180円とか200円(たしかそんな金額)を紙袋に入れて学校に持参し、昼休みに並んで買ったことを覚えている。
 月並みな言い方だが、興味深い記事と創意工夫に溢れた付録によりサイエンスに対し興味を持つ大いなるきっかけを与えてくれた素晴らしい雑誌であったと思っている。付録を組み立てるという「モノ作りの楽しさ」を感じつつ、知的好奇心もくすぐられるという優れモノ・・・。この雑誌との出会いがきっかけで理系に進んだという人も少なくないと思われる。そんな雑誌が休刊というのがいかにも寂しい。ちょっと前までよく言われていた生徒さんの「理科離れ」と、こういった雑誌の販売部数の低迷、休刊といったことが少なからず相関しているのではないかと愚考している。

           
                                   図 青写真の原理

 追記:上の陰画では、光還元で2価となり、これがフェリシアン化カリウム(ヘキサシアニド鉄(III)カリウム、赤血塩)と反応して、水に溶けにくい紺青となる。
一方、下では光還元されていない3価の鉄とフェロシアン化カリウム(ヘキサシアニド鉄(II)カリウム、黄血塩)と反応して、水に難溶となる。この場合は、光が当たったところが、白の陽画となる。ただし、フェロシアン化カリウムは2価の鉄とも反応して、青白色の難溶性物質を生成するので、コントラストは低くなる。ちなみにCN配位子は両錯体とも安定で、実質的に解離しない。

 とてもとりとめのない文章になったが、最後にもう一つ・・・。本川達雄先生の「おまけの人生」によると、累計の心拍数が15億回を超える40歳ぐらいが生物学的な人間の寿命のようで、個人差があったとしても50歳を過ぎたら「おまけの人生」であるという人生観もあるということで・・。そう考えると50代(あるいは40代)のストレスフルな生活も幾分楽に思えるし、ちょっと先に訪れる自らが定め世の中でもよく認知された「おまけの人生」をどんな風に過ごすかなと、今、勝手な思いを巡らし愉快な気分になることに対しても、罪悪感を感じる必要もそれほどないのかなと思う次第です。

 

「おまけについて」のおまけ

 反射光の偏光依存の考察だが、長い月日が経ってしまいこれもコロナのせいで・・・ということはあるわけがない。外出が少なくなり、時間があるようで、なんか自分のものにならないというか・・。高等学校のとき、クラブ活動を引退したとき、勉強時間がスムースに増えない状況に似てなくもない(私の本質的な問題なのだろう)。何はともあれ、夏ということで思い立ち、少しずつに話を進めたが、結局、Maxwell方程式の意味(特に微分系)と境界条件のところが、残ってしまった。またまた少々お待ち下さい。
 コンセプトは「曖昧さを残さない」ことであって、教科書等で省略されることが多いところの計算も実行している。こういったプロセスが物理的なイメージ、理解をする上でどれくらい役に立つかはわからないが、化学の実験なんかと同じで実際に手を動かすことが、本質の理解の第一歩のような気がしています。

ココからpdfファイルが開きます。

 (2021.9.11)