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エール

  久し振りにNHKの朝の連続ドラマに嵌った。私の場合、BSプレミアムと総合の2回視聴というパターンだったが、同年代の知り合いはそれにプラスして715分から「澪つくし」を併せて視聴という猛者もいて、まだまだだなと思う。その「エール」が、途中の中断を経て今週末でエンドとなるということで、朝の時間に空白感が生まれることは確かだろう。作曲家の古山裕一(古関裕而氏)さんと登場人物が、常に順風満帆というわけではない中で、互いに支えあいながら、背中を押しつつ押されつつ前に進んでいくという物語である(人物名などの固有名詞を一部改称して、フィクションとして再構成)。そのようなストーリーに心を奪われたのは、私の個人的感性によるものと思われるが、私たちのジェネレーションに響くものもあったとも推察できる。あるいは、ずっと続いているコロナ禍で他人を思う大切さを共感している人が多かったのかもしれない。

  ストーリーの中心には主人公の「古山祐一」の楽曲があるのだが、戦前から戦後にかけて戦時歌謡を含めて、基本、人々に勇気を与えてきたものとして描かれる。私もどちらかというと音楽を聴くことで、イメージを膨らませたり、メンタルタイムトラベル(聴覚で受けた刺激は固有の出来事と紐づけられている)で、過去の記憶を楽しむタイプなので、ますます壺のドラマとなった。登場した曲(とその制作エピソード)から勝手にベスト5をあげると・・・

1位 「栄冠は君に輝く」
 楽曲の素晴らしさもさることながら、戦時歌謡に対する自責の念から自堕落な生活をしていた歌手で幼馴染の佐藤久志(伊藤久男氏)と甲子園のグラウンドの立ち、ともに立ち直っていくエピソードが泣けた。また、作詞をした多田良介(加賀大介氏)を演じたのが、元巨人軍の寺内崇幸さんだったことにもポイントが高い。

2位 「暁に祈る」
 何度も陸軍馬政課からダメ出しされていた村野鉄男(野村俊夫氏)が、出征することになった小学校時代の恩師藤堂先生に、「俺のことを思って書いて」と言われ作詞したもの。亡き母がよく口ずさんでいた。

3位 「紺碧の空」
 ご存知早稲田大学応援歌。曲がレコードにならなかった頃に作曲。戦前で戦争の影がないころのエピソードなので、心暖まるものがあった。

4位 「若鷲の歌」
 予科練生の成長を描いた戦時映画の主題歌ということで、完全な戦時歌謡である。予科練の卒業者の戦死率が高いという史実と相まって切ない曲(話)である。どういう経緯からは、知らないが母校の山梨県立石和高等学校の応援歌の一つだった(予科練の歌という名前で)。

5位 「長崎の鐘」
 戦後復興の思いが込められた曲。ちょっと悲しげな短調から始まり、「なぐさめ はげまし 長崎・・・」の部分から温かい長調への転調が、戦争で傷心した人々の再起への願いが込められている(こういうことを軽々しくいうものではないが)。

 学生諸氏等、若い人たちに「エール」をおくることが、年長の私たちの大切な使命の一つであると考えるが、「フレネルの功績」の中で紹介した「原理・原則からの思考の重要性」は常にいい続けていることであり、知的好奇心の満足により人生が豊かになると信じている。「エール」の中での藤堂先生の言葉が、ものすごく教育的である。“人よりほんの少し努力するのが辛くなくて、ほんの少し簡単にできることが見つかれば、必ず道は開く”という趣旨である。弊雑文でも、「英語について」で“強制されない努力”の重要性を説き、「ラグビーについて」の中で、元早稲田大学蹴球部監督の日比野弘さんの座右の銘として“努力は運を支配する”を紹介した。いずれも「努力」がキーワードであり、これらの「努力」は、無駄になることは決してないと思う。

 さて自分自身を省みてみると・・。大学と卒業してすぐのころは、人の話を聞かない「自己中心的な行動様式」が生活のベースになっていたので、人間関係がドライで「世間に背を向けていた」と考えたが、実はそうではなく「世の中から相手にされない」という悲惨な状況の裏返しだったと自省を込めて思っている昨今です。そのあたりの厭らしさが払拭されているかどうかは、いまひとつ定かではないが、最近はいろんな状況の下で、少しだけ心穏やかな自分を感じていて、ちょっと偉そうなことを弊HPに書いているわけです。

 同時に、心に響く「エール」を送るためには、相手をよく理解し、思いやり、尊重し合うことが前提となるということ、それに向けて自分自身の努力を惜しんではならないということにも、最近になってやっと気がついた。

 

おまけ 計算問題(まともにやってもできるが・・という問題です)

 

 解答例

  (2020.11.23))