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ラグビーについて            追記)ラグビーW杯日本大会開催に思うこと

作家の林真理子さんは、山梨の文武両道を謳っていた日川高等学校のOBで小説「葡萄が目にしみる」(1984年、角川、今は文庫本があります)でご自身の高校時代を自叙伝的に綴っていると言われている。そのなかの主人公「乃里子」が、いろいろと葛藤のあった「岩永」というラグビー部のスターは、早稲田の学生時代、当時最年少で日本代表に選出された藤原優さんがモデルだと言われている。早稲田時代「アニマル」の異名を取り、やはりスターだった藤原さんのリアルタイムでの記憶はほぼないが、日川高校→早稲田大学というのは、山梨のラグビーエリートの王道であったことは確かなようだ。
 自分の出身校は、日川高校の隣町にあり、残念ながらラグビー部はなく、プレーしたことも実質ゼロだが、ラグビーが好きで高校、大学のカテゴリーを中心にずっと観戦だけは続けてきた。学生時代からは秩父宮、三ツ沢、熊谷などのラグビー場に足繁く通ったり、東伏見や上井草の早稲田のグラウンドに練習試合を観にでかけるなど、結構熱心だったが、ここ数年、ほとんど生観戦することはなくなってしまった。農工大ラグビー部、なんちゃって顧問という立場もあるので、今シーズンは、少しでも生観戦をとシーズンを前に思っている。

 「劇的」という意味で、心に残る忘れられない試合が二つある。

 一つは比較的最近で2015年9月19日の「日本 vs 南アフリカ」の決戦である。南アフリカ(当時世界ランク3位、日本は13位)は、ニュージーランド、オーストラリア、イングランド、ウェールズ、スコットランド、アイルランド、フランスと並んでラグビーの列強の一つであり、下馬評でも「相当厳しい」というものであった。ラグビーはロースコアーになるサッカー(ジャンケンポン的な要素が多少ある。例えばアトランタオリンピックでブラジルを破った「マイアミの奇跡」など)、投手の出来不出来により勝敗が大きく左右する野球と違って、「番狂わせ」が起きにくいスポーツと言われている。その日(2015年9月19日)は研究室旅行で八景島に出かけていて、中華街で食事などしてから帰ってきたので帰宅が随分と遅くなった(この小旅行もとても楽しい想い出ですが)。ワールドカップイングランド大会のグループBの初戦(@ブライトン, 16:45(日本時間0:45〜))ということもあって、「前半だけでも観て寝ようかな」ぐらいのモチベーションでテレビ観戦を始めたが、前半を10-12で折り返す状況となり、当然最後まで観ることになった。3点ビハインド(29-32)のラストプレー(南アの反則)でスクラムを選択し、逆転サヨナラトライとなった。まさに歴史的な一戦にテレビ観戦とは言え、立ち会えたことに感謝し、興奮で眠れない痺れる感覚を久し振りに味わった。NHKの豊原謙二郎アナウンサーの最後の「行けー!」という実況(絶叫)は、日本のラグビーファンの気持ちを代弁していたなー。
           
          (読売、山梨日日、スポーツ報知、サンスポの21日の1面です) 

 二つめは1995年12月の早明戦@国立である。早稲田の主将が日川高校出身の小泉和也さん(その後、神戸製鋼で活躍)で、監督は「鬼のキモケン」と異名を取った木本建治氏だった年だが、対抗戦では帝京大学、日本体育大学に敗れ早明戦を前に2敗を喫するという苦しいシーズンだった。一方の信野主将率いる明治大学は早明戦まで全勝できていて(この記述は間違っていました。明治は筑波に負けていました。ちょっと調べればわかったのに労を惜しみました。すみません。2018/8/20)、下馬評では当然明治有利だった(ここの下馬評は、例外的に外れることが多いが)。13-15で迎えたラスト1分。自陣でボールを獲得した早稲田がSOの天才速水直樹さんの突破からWTBの山本肇さんに渡り、快足を飛ばしてトライとなった・・・。超満員のスタンドの絶叫、TVKで解説をしていた明治OBの吉田義人さんの悲鳴にも似た声がとても印象的でした(1月の選手権の決勝で再戦したが、前半にSO速水さんが負傷退場ということもあり、早稲田は大敗となった)。

 このような劇的な試合というのは確かに記憶に残るものだが、ラグビーを語るとき必ず思い出すのが、早稲田大学の元監督の日比野弘さんの座右の銘である(下に引用を示す)。自然科学の世界でもセレンディピティー(serendipity)という言葉があり、偶然を見逃さない能力として「運、luck」とは違うものとして定義される。この能力は地道な努力(実験)をして感性を研ぎ澄ませないと身につかないもので、下の話との類似性は高い(大発見は偶然から・・みたいな話が面白おかしく言い伝えられるものだが、運とセレンディピティには大きな違いがある)。

以下引用(いい話だな)

 私の一番思い出に残る試合の話をしたいと思います。昭和46年、弱体化が噂されていた早稲田のラグビー部が劇的に日本一になった時の話です。
 その試合、早稲田は11-10で負けていました。必死に食い下り、大接戦を演じていたのですが、ノーサイドの時は刻々と近づいてくる。やがて、レフェリーが時計に目をやるようになり、観念のほどを決めた、その時にチャンスは訪れました。グラウンドの中央付近、相手の三菱自工ボールのスクラムという場面で、三菱にミスが起こったのです。スクラムの中に入れたポールをタイミングよく味方の方向へかきだすことができず、ポールは早稲田へ渡りました。そして、それは早大11番ウイングの金指、スクラムハーフの宿沢、スタンドオフの中村、センター藤井、佐藤とつながれ、最後に佐藤が小さく蹴ったポールが、タックルしようとする大勢の敵の中にいた14番堀口の前できれいにバウンドし、ポールの方から彼の手の中、そのまま相手の陣地に飛び込んでトライ、という劇的な逆転ドラマが生まれたのでした。
 翌日、新聞には「ラッキーバウンド」の文字が踊りました。しかし半年ほどたって、スクラムハーフだった宿沢がこう書いています。「あの時ボールに走り込んでいった人数と陣形を見れば、あのバウンドがなくてもトライをすることは不思議ではなかった。勝敗というものを運・不運でとらえることは簡単だが、毎日の練習の中で、戦術パターンを繰り返す努力が、一番大事なところで実ったのだと、我々はそう考えたい。」私はそれから座右の銘を「努力は運を支配する」としています。誰の人生にもチャンスが訪れると言われています。しかし、いつ訪れるかわからないチャンスをものにできるかどうかは、その人の絶え間ない努力によるのです。諸君もこれから訪れる試練に打ち勝ちそれを力とし、自分に巡りきたチャンスポールをしっかり抱えて快走できるよう、地味な努力を続ける人になってほしいと願っております。(98.10.29早稲田大学講演)

 さておまけの頭の体操だが、整数問題を2つ。整数問題は特別な知識がなくても解けるので、楽しいと言えば楽しい(最初のが開成、後が東大の入試問題です)。

(問1)2005より小さい正の整数の中で、2005との最大公約数が1であるものは何個あるか。なお、401は素数である。

(問2)3以上9999以下の奇数aa2-aが10000で割り切れるものをすべて求めよ。

(解答例はこちら↓)












解答例1)
2005=401×5なので2004以下の整数で5の倍数でも401の倍数でもないものの数を求めればよい。5の倍数は5, 10, 15,…2000ということで400個。401の倍数は401, 802, 1203, 1604,ということで4個。したがって2004-400-4=1600 答え1600個

解答例2)

a2-a=a(a-1)と書け、aは奇数なのa-1は偶数となる。
10000=24×54で、a(a-1)は10000で割り切れるのでa(a-1)=m×24×54と書けるが、aは奇数なので54の倍数の中の奇数でなくてはいけない。625, 1875, 3125, 4375, 5625, 6875, 8125, 9375の8個が候補となるが、a-1が16の倍数になるのはa=625のときのみである。

答え 625

(2018.8.19)