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英語について

 高校時代3年間、同じ先生がクラス担任だった。クラスの意見を集約し、クラスの運営をコントロールする民主的な先生・・・ではなく非常に独裁的であった。例えば、なんらかのイベントがあり、体育館にいすを並べるなどといった作業のため、クラスで5名を出す必要がある場合、必ず出席番号1番から5番までといった具合に指名した(当時は男子、女子の並びで出席番号が決まっていた)。私も4番とかだったのでほぼ毎回あたりで、1年生のころは「なんで俺たちだけなんだ」とぶつぶつ文句をいったものだが、先生は聞く耳を持たないばかりか、「お前ら俺のいうことに文句があるのか?」というスタンスだったので、私たちの不平・不満が聞き入れられることは一度もなかった。今の時代では恐ろしく、スタンダードからは逸脱した先生となるのかもしれないが、嫌味のないストレートな性格から好意的に受け取られることが多かった(特に6番以降の仲間たちから)。そのため、私たち1番から5番の人間は、3年間、他のクラスメートから笑いものになりながらクラスの雑用をこなすことになった。
 先生の担当は英語であり、3年間お世話になった(しかも部活の顧問というディープな付き合い・・・)。容易に想像がつくと思うが、やり方はスパルタであり、彼の授業での予習は必要不可欠であった。授業の進め方としてワンパラグラフ程度の文章を読ませ(発音をいくつか間違えるとアウト)、訳させるのだが、そこで単語の意味がわからなかったりすると予習してこなかったとみなされ、テキスト1ページ程度の英文の暗記を命じた。誰をあてるかは、カードを用いての完全ランダムであり(大貧民とかナポレオンで、放課後遊んでいるところが見つかって取り上げられたトランプを有効利用)、予想がつかない。そのため、私たちは予習をして授業にのぞむことになった。ただ「大学受験に必要な」英語の学力向上には、このような「強制された努力」が効果的であったことは確かであり、基本的にはありがたかったと思っている。

 当時の大学受験の英語については、1967年に出版された『試験にでる英単語』(青春出版社)(シケ単とかデル単と呼ばれ、当時の受験生にとってはバイブル的な本だった)の中で、森一郎先生が端的に指摘している。まずは次のような例文(いつの時代かは不明だが、お茶大の入試問題)を例示し、抽象的な内容が多いということを主張しておられる(確かにその通りだが・・)。

   Compromise is ever the fruit of discussion, and compromise is the essence of political behaviour in England. Compromise is a very imperfect instrument of government. It slows down the process of change and takes the edge off most great reforming proposals. It is the enemy of all optimism in human affairs, for its basic theory is that change does harm as well as good.

“compromise”という単語の意味を、この文章から推察することは不可能であり、このような単語の意味は覚える以外にないという主張だ。例の先生も「Bertrand Russellの評論(非常に格調高く、難解)を読めるようにならないとダメだ」というのが口癖だったように思う。しかし、このような英文を読んでトレーニングを積んだだけで、アメリカに出向き不自由することなく、生活ができるようになるかというと全く無理なことは自明であり、ここでいう英語の学習と「語学」の学習は別物と考えられる。もし外国人に日本語を教えようとすることを想定した場合、「妥協とは常に議論の結実であって、妥協はイギリスにおいて政治的行動の真髄で・・・」みたいな文章は、なかなか題材にしにくいと大部分の人が感じることだろう。コミュニケーションツールとしての「英語」は別な位相のところで成り立っている(例えば、自分が石和温泉の駅に降り立った瞬間、甲州弁が自然とでてくるみたいな・・・)。先生は「ヒヤリングやスピーキングは読み書きをやっておけば、なんとかなる」と仰っていたが、コミュニケーション力が自然に身につくことはなく「強制されない努力が必要だよ」ということが言外に含まれていたと、今にしては思う。

 こんな自分だが、有機材料化学科の1年生に「英語」を2年間教えたことがある。基本的には高校の恩師と同じ方法をとったが、何かと忙しい学生さんのことを思い、指名は(トランプは使わず)出席番号順に行い、予習をしなかったことに対するペナルティーはなしにした。結果として、授業の学習効果は芳しくなかった・・・。残念である。一生懸命作った教材も、随分と余らせることになった。自分の能力不足と強制された努力を強いなかった責任を棚に上げるわけではないが、高校英語のコンテンツが昔とは変わり、「精読」に特化した授業があまり効果的とみなされなくなっているのだろうと分析しているが・・・。
 研究室では、英語で情報を発信するのが大きな仕事だが、これもまたコミュニケーションツールとしての英語とは別な位相の技量を必要としている。格調高い難解な英語を書く必要は通常なく、正確でわかりやすい英語が基本である。テクニカルタームとかよく使う構文、フレーズはよい英文をたくさん読むことによって身につき、ぜひ学生諸氏にもやってもらいたい「強制されない努力」である。
 研究(仮説→実験のよる検証→議論)の進展や質を高めていくことには、タイプは違えど学生諸氏による「強制されない努力」が大きくものをいう。なかなか難しいことだし、自分もできなかったことを学生さんに強いることには若干の躊躇があるが、そもそも「強制したら」、「強制されない努力」ではなくなってしまいますよね。



おまけ
 女3人、男3人の「きょうだい」がいる。下に示した6人の発言からA~Fを年齢順に並べ、性別を特定しなさい。

A: 私には兄2人と妹2人がいる。B: 私には姉と妹が1人ずついる。C: 私には兄と姉が1人ずついる。D: 私には妹2人と弟3人がいる。E: 私には姉は2人いる。F: 私には弟も妹もいる。






解答
年長順にD(女)、F(男)、C(男)、A(男)、B(女)、E(女)
・Dの発言からDは最年長であることがわかり、女であることがわかる。
・Cの発言から3番目で2番目が男であることがわかる
・Aの発言から、4番目で男であることがわかりCも男でないといけない。5番目、6番目が女であることも判明
・Bの発言から5番目(女)
・Eは6番目
・Fは残った2番目(男)とわかるが発言は矛盾しない。
(2018.9.16)