赤い糸の向こうには

村田 実貴生 

 私に、恋人という人がいたことはない。そして、恋をされたこともない(これは、私の知らないところで恋をしているということもあるので言い切れないような気もするが、そういう期待はもろくも崩れるのが常なのでこう書いても差し支えはあるまい)。
 が、一方では、何人も恋人が今までにいて、さらに多くの人から恋をされた人もいる。
 そして、そういうような人というのは、よくある恋愛ドラマの一人物として登場し、一方、私のような人は、結果が見えていて興味の対象にないないからであろうか、まず恋愛ドラマに登場することはない。
 が、問題は、恋愛ドラマの一人物のような生き方が果たして良いのかということである。
 そういう人というのは、複数の異性が周りにいて、どう落ち着くのかと見る人に思わせ続けながら、わずかの差でどちらかに落ち着くということになるのだろう。が、ドラマではともかく、実際に人を選ぶ際にわずかの差というあいまいなもので、恋人、ひいては、婚約者を決めて良いのであろうか。
 私は、背は低く、顔もたいしたことなく、性格についても、資料は古いが、進研進路適性調査によれば、「あなたはやや非社交的で、友達づき合いがあまりよくありません。無口で引っ込み思案な所もあります。 あなたは周りの人々に対する思いやりや親切心が欠けています。もう少し周りへの配慮や思いやりが欲しい。
 あなたはかなりルーズな性格です。身の周りが乱雑になっていても気にしません。少し几帳面さが欲しい。
 あなたは人とのつき合いにおいて駆け引きがへたなほうであり、人を説得する力もやや不足しています。」
というのが私の特徴(悪い性格が書かれているところだけを抜き出したわけではないことを断っておく)だそうだから、何もしなくてもそうなりそうなのだが、「ただ一人私を愛する人を愛す」
のを理想としている。
 一人からしか愛されないというのは、少ないような気がするが、人間の男女比と、結婚(相手)の絶対性を考えれば、二人以上に恋されるというのは、むしろ多過ぎだということになるのではないか。結婚したのに、もっと良い人に出会ったなどといって離婚してしまうのも、二人以上に思われてしまったからではないか。
 理想の実現の為に、私がしていることというのは、「間違って恋してしまいやすい表面的なものを取り除くこと」である。
 身なりを汚くしろとは言わないが、頭をきめたり、服を選んだりなどはしない。女性ならば、化粧や飾り物はしない、似合わない人はいうまでもないが、似合う人もそうすることで、容姿だけで恋してしまう人が増えてしまうし、見せるべき内側が見えにくくなってしまう。
 言うべきことは言う。何でも人に合わせていれば、よく思われようなどと思っていると、優しい(実は易しいの方が適切なのだろうが)人だと多くの人に思われてしまい、そのことは双方にとって損である。
 さて、そうやって生きているものの、まだ赤い糸の先に誰がいるのか、人がいるのかいないのかも、分からない。
 が、その糸を切らないように少しづつ手繰り寄せること、その糸を失わないように少しづつ先端に近づくこと、が大切なのであろう、と思っている。


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