道あらん

村田 実貴生 

「ごめんください。」
 人が来た。多分「脱会者の今後を助ける会」とかいう会の者であろう。

 私はとある宗教団体に属していた。といっても、その神とか教えとか、教組とかを信じていた訳でなく、あなたの好きな研究をさせてあげよう、と言われて、行ったところがその宗教団体であったというに過ぎない。
 大学ではちょうど有機化学を専攻していた(「ちょうど」というのは後になってから分かったことなのだが)。といっても私の好きな実験は余りできず、文章に触れている方がずっと多かった。大学生であって、大学院生などではないから、当然のことといえばそうであろうが、それまで待てなかったし、そうなるだけの学力もなかった。そんなときに、例の話を持ちかけられたのである。

 そこでは、毎日、実験を楽しんだ。難しい物質の製造を頼まれたりしたが、難しければ難しいほど意欲が湧いて、そのうちに、難しい物質の作り方を考えて、それを試みるという毎日となった。
 ところが、段々と雲行きが怪しくなってきた。作った物質を悪用しているという噂を聞いたのである。幹部(といっても私たちを管理している下級幹部であるが)に問い詰めたが、そんなことはない、と言われれば、それ以上の尋ねようがないので、埒が明かなかった。
 問い詰めた後は、さすがに頼みづらくなったのか、そういう物質の製造を頼むことはなかったが、自分の居場所もなくなってしまった。
 といっても、家には今さら帰れないし、大学のアパートはとうに引き払ってしまっていたので、帰るところがなかったので、そこに居続けるしかなかった。
 が、とうとう疑いが本当だということになって、団体は解散された。
 私は、目的を知らなかったということで何とか刑を免れて、仕方がなく、家に帰ってきたのである。

 世の中には奇特な人もいるものだと思う。放っておいても彼らの損にはならないし、関わることで色々と言われて、むしろ損することの方が多いと思うのに、わざわざ私なんかを訪ねたりする。訪ねてくるという話を聞いたときは金でも取るのではないかと疑わしかったが、金は取らないというし、そして、本当に訪ねてきた。
 思えば、今まで見知った宗教で金を取らない宗教があったろうか。
 例えば、高校生の時に、友達と歩いていると駅前で何かを配っていた。私は、いつもはもらわないまま通りすぎるのだが、いつもは何でももらうその友達が取らなかったのと、配るものの大きさに驚いて、心が乱れたのか、つい、それをもらってしまった。二、三歩ほど歩いてから、「駄目じゃないか、そんなものをもらって。」と友達が言うので、見ると宗教関係の本であった。「中に何かはさんでないか。」というので、探すと、アンケートはがきと講習会とやらの案内が入っていた。アンケートはがきは、住所を知るのに役立てるらしい。そして、案内には「参加費二五〇〇円、足裏診断料五〇〇〇円」と書いてあった。足裏診断が何であるかはさっぱり分からないが、診断して相手が費やすものは全くないのだから、そっくり儲けになるのだろう。
 そういう具体例をあげないまでも、神社の賽銭を考えればよい。額が大きければ大きいほど聞き入れられると思われている。
 それらの宗教を見てきて、「宗教は金持ちは救うかもしれないが貧乏は救わない」と思ってきた。
 しかし、この訪問で、この考えに例外のあること、というよりも、むしろ、「貧乏を救うものこそ宗教ではないか」と思うようになった。今までの宗教への不信が強かっただけに、「金儲けをしない宗教(実のところは儲けようとしているのではないかという疑いはあったのだが、その人の顔の明るさでその疑いは消えた。人を説くには小手先の言葉などではなく、人格をもってしなければならないと強く感じた)」という言葉は私の気に入った。

 今の私がいるのは「その日」があったからである。「こんなに立派になりました」とは間違っても言えないが、立派でない私というものを常に自覚して生きている(つもりである)。
 神に背を向けていたのを表を向けてから変わった、とも言えよう。その一部始終を書こうとも思ったが、内容に人格が追いつかないのでやめることにする。
 が、それを知りたいという人は一つ(詳しくは二冊か)の本を読んでほしい。厄介だが、電話帳か時刻表の読解よりは楽であろうから、ぜひ読んで頂きたい。そうすれば、私がどうなっていったか、ではなくて、私がどう思ったか、を実感できるはずである。
 最後に、これからもこういう人がでてこようと思うが、余り攻撃的にならないでほしい。あたたかい人、というきっかけに接して、変わったという例は、私の例を出さないまでもたくさんいるのである。


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