山本記者
東京農工大学での学生時代の生活を振り返って、何か印象に残ることや、その後の役に立ったことなどあればお願いいたします。
吉川議員
あの当時、東京農工大学が進んでいたなと思うのが、私が大学院のときに取り組んだ研究が、最近やっと国の制度になったことです。大学院で日本の農業の活性化や発展のためにはこうなるべきだと話しあっていた、農地制度改革であったり、農業経営者の育成や新規就農者支援、あるいは第3セクターの役割だとかが、20年近く経ってやっと制度化されてきているというのが、改めてすごく先進的に考えていたのだなと思います。また、あの頃は東京大学の農学部と一緒に研究会をやっていたのです。毎週、一緒にやっていたのですが、そういう意味では、先ほど松永学長がおっしゃっていた一つの大学で収まってはいけないよという、東京農工大学の精神があったのだと思いますね。コミュニケーションだとか、連携していくということを学ばせて頂いたと思います。
有賀社長
私なんかが考えるのは、実は大学でやってきたことがそのまま社会で直接的に役に立つかというと、それは難しいかもしれません。それを無理やり役立てようとすると、結局みんな挫折するのです。だから、そこは1回リセットするべきだとは個人的には思っているのですけど。ただ振り返ってみると、4年生から大学院の1~2年のこの3年間というのは、自分の人生の中では一番真面目に勉強しました。朝から晩まで資料を読んで、とことんやったなという記憶はあるのです。そのやり尽くした感でしょうか、社会に出てから、全然違うことでもエネルギーを注ぐということに関して、やるからにはそのくらいやらなくてはいけないという精神が身に付いたと思います。
松永学長
アクティブラーニングと言いますが、その原形というのは、研究室で研究をやるところにあると思うのです。私も、勉強なんか自分で材料を持ってきて調べて、自分で説明するという風に取り組んでいました。
有賀社長
私自身、やるからには自分で調べながら、とことんやろうという3年間でしたね。最後、修士論文は英文で全部書きましたしね。
松永学長
そうですか。今、教育改革の必要性が問われていますが、そんな難しい教育改革の必要はないのではないかとも思うのです。教育って意外とそんなに新しいことじゃない。研究は新しいのですけど、教育はやはり、根本的にはやり方は同じで、自分で見付けて、自分で取り組むことが力になるのではないでしょうか。
山本記者
私は、社会人で東京農工大学に入って工学府博士後期課程応用化学専攻にて博士号を取得しました。その少し前に東京農工大学の工学府産業技術専攻の立ち上げも取材していて、興味を持っていたこともあります。工学の専攻に在籍しながら社会科学の課題に取り組むというイレギュラーな形で、産学官連携のコミュニケーションというテーマで研究をさせていただきました。学位としては工学の先生方に審査していただくわけですので、この研究に工学的な価値はあるのか、と問われもしましたが、このような研究の意義を理解いただけたことを、東京農工大学にはとても感謝しています。
有賀社長
へぇ、産業技術系分野もあるのですか。実は私自身も会社で研修があって、社会人ビジネススクールみたいな所に半年間送り込まれて、MBAを取れと言われて。だから、技術経営の知識があるというのは、実は社会に出たときに技術職であっても、経営に移っていくときに有効だなというふうに思っています。得られた技術を、どうやってお金に変えていくかということのベーシックな部分っていうのは、知識としてある程度早いうちに持った方がいいと思いますね。
松永学長
新しいリーディング大学院やグローバルイノベーション研究院の方も、まさにビジネスを意識して、社会で実際にどう実践していくのかを考えているものなので、同じ精神から来ていますね。