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生糸と絹と機織
わが国において,繭から糸に「繰る」,織物を「織る」という技術の「機械化」が試み始められた時期はそれぞれ異なる。「繰る」という作業は,より良い品質の生糸をより多く,しかも安価に製造することを目指すものであった。 そのための方法としては,糸の太さ (繊度)を判断して,繭を補給(給繭)する作業を機械化することであった。また,「織る」という作業は,多くのたて糸の間によこ糸を交互に差し入れて行く「よこ入れ」作業を機械化させることであった。いずれも当初は動力源を人力から機械力へ転換し,難度の高い作業については,人力を補助的作業にとどめ,できるだけ機械化を図るという過程を踏むことであった。
「繰る」という繰糸作業の機械化を試み始めたのは 19世紀の後半のことであり,「織る」というよこ入れ作業の機械化を試み始めたのは 18世紀半ばのことであった。これらはいずれも欧州で始められた。
「日本の製糸業の歩み」では,主として「繰る」ための機械化への過程について述べてきたが,本章では,「繰る」ために必要な「製糸工程」,そして「織る」ために必要な「機織工程」 (製織工程)について,それぞれの工程略図を示した。また「織り」の技術的発展過程の概略さらに絹の織物以外の用途のアウトラインについても略記した。
ここでいう「生糸」とは,繭の糸を何本か集めて 1本の糸にしたもので,撚りなどの加工をしていないものをいう。また,「絹」とは,通常,生糸を精練 (生糸を包んでいる膠状の蛋白質を取り除くこと)したものをいう。また,広義の絹は,絹=シルクとして繭糸,より糸,精練糸,絹製品などの総称としても使われる。
■ 1 生糸のできるまで
1.1 製糸工程のなかの重要工程「繰糸工程」
養蚕農家でつくられた繭が,製糸工場に持ち込まれ,生糸に加工されるまでの工程,すなわち, 製糸工程と,その中心的な役割を果たす 繰糸工程,さらに繰糸工程を構成する自動繰糸機構のブロック線図について概略を示せば第2図のようになる。
第1図 製糸工程のなかの主な工程とその代表的な機械例
1.2 自動繰糸機の各機構 配置モデル 図 : 第3図ニッサンHR型のイラスト図参照
第2図 繰糸工程及び自動繰糸工程のブロック線図
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第3図 繰糸工程の主力機種自動繰糸機 の各機構
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配置モデル図例 ( ニッサン HR型のイラスト図)
1.3 繰糸機械開発の歴史的発展瞥見
すでに
「日本の製糸業の歩み」
の章で述べたが,ここでは概括しておく。日本では大凡次のような大区分となる 。
(1)機械化前期
@ 18世期半ばの
奥州胴繰り
A 18世紀末の
上州座繰り
B 19世紀全体ではいわば
改良座繰り
第4図,小野組築地製糸場イタリア式3緒繰り60人繰 (1870 ,明治4)
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(2)機械化初期 (1870年,明治3年以降 )
@
洋式製糸法
(イタリア・フランス式器械の導入,
イタリア式1870年,フランス式1872年)とそれらの
技術の日本化技術移転)
A 座繰繰糸器械 の開発(繰糸方式はイタリア式となる。
ex.
諏訪式繰糸器械
1875年)(第4図)
小野組築地製糸工場イタリア式3緒繰り60人繰り
(1870年,明治4年)
(3)機械化中期 (多条繰糸機の開発普及改良)
@
多条繰糸機
の開発と普及,御法川・鉄製繰糸機は4緒式が開発(1895年)され
20緒再繰式の同機が片倉大宮工場に全面的に採用,設置された(1927年,昭和2年)(第5,6図)。
A 繰糸自動化の研究が開始された 。欧州では1880年フランスでセレールが(第7図),
また,日本では1899年圓中文助 が日本初の 自動繰糸機 特許=共撚感知式を取得した(第8図)。
しかし,いずれも実用化には至らなかった。第2次大戦前まで一部では日本でも自動化の研究が継続されていた。
(4) 機械化後期 ( 自動繰糸機の開発 ,工業化,全面的普及, 1945年,昭和20年以降)
@ 第二次大戦終了後 , 官学業民一体で自動繰糸機開発に取り組 み,
少なくとも12機関が独自の研究開発を行っていた。
A 定繊度繰糸法が具体化し,全面的に普及が開始された(1958年,昭和33年)。
同時に製糸全工程にわたり技術改良が行われた 。
B 欧州(イタリア・フランス)への輸出が始まる(1958年,昭和31年以降):
(技術逆輸出, 富岡へフランス式輸入以来約90年経過) 。
C 自動繰糸機の普及が進み, 1機種(ニッサン)でシェア95%に達した(1980年,昭和55年)。
D 自動繰糸機関連 周辺技術改良 ,合理化,自動化,エキスパート化等の研究が盛んとなる (1990年代) 。
E 1995年,自動繰糸機による生糸生産は減少傾向が強まり,2005年3月末時点で製糸工場は2社となった。
第5図,御法川式多条繰糸機,最初の直繰糸機
後枠式( 1907 年,明治 40 年)
( 大日本蚕糸業史 ,1935 年)
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第6図,御法川式再繰式多条繰糸機,軽金属製
円型枠直上枠式 (1927 年 , 昭和 2 年 )
( 大日本蚕糸業史 ,1935 年 )
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第7図,在フランス米人 E.W. セレールによる
伸張応力感知定繊度感知装置
(1880 年,明治 13 年 ).<拡大>
第8図,圓中文助 による自動感知繰糸装置
(1899 年 , 日本初の自動繰糸装置特許)
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■ 2 絹織物のできるまで
2.1 製織工程
2.1.1 先練織物 (加撚,精錬,染色した糸で製織した織物で, タフタ , サテン , オーガンジー など )
2.1.2 後練織物 (製織後精錬される織物で,羽二重,縮緬など)
■ 3 織機開発の歴史的発展瞥見
織機開発の歴史的発展経過について概括すれば次のようである。
(1) 機械化前期
@ 12-17世期における中国の織り機の機械化指向 (腰機圖,花機圖,いずれも天工開物,1637年)
中国機織図(花機=高機,天工開物)1637年<拡大>
A 15世期半ばの レオナルドダヴィンチ による機械織機考案(レオナルドダヴィンチ手稿図)
レオナルド・ダ・ヴィンチによる
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世界初の機械的織機考案(レオナルド手稿 ,1460年)
ジョン・ケイによる飛び杼(とびひ)発明(1733年)
(The Textile Industry, W.English
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(2) 機械化初期 ( 1733年,飛び杼の発明以降)
@ 英国,ジョン・ケイによる 飛び杼(とびひ) 発明 (1733年,享保18年,江戸中期) よこ入れ操作の機械化。日本では
バッタンとして紹介されている。
A 英国における産業革命の展開と4大紡績関連機械化発明(ハーグリーブス多軸紡績機1764,
アークライト水力紡績機1768,クロンプトン 走錘紡績 機1779,カートライト力織機 蒸気力利用1785)。
B 英国ジェームスワットによる 蒸気機関 の完成 (1769年,各産業の飛躍的発展の原動力となった)。
C 撚糸機の原型 (1716年中国から日本へ,1735年中国水平錘式撚糸機など発達,日本へ影響)。
ハーグリーブス多軸紡績機 1764
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(The Textile Industry,W.English)
アークライト水力紡績機1768
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(The Textile Industry,W.English)
クロンプトン走錘紡績
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(クロンプトン,ミュール紡績改良型,1779)
(The Textile Industry,W.English)
カートライト力織機蒸気力利用 1785
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(The Textile Industry,W.English)
中国水平式撚糸機 1735
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( 日本の八丁撚糸機の原型とも思われる
図画一部欠損しており不明な部分あり )
(Where the roads met, Claudio Zanier)
日本の八丁撚糸機
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( 成田重兵衛 , 蚕飼絹篩大成 1813 )
(3) 機械化中期 (周辺技術の機械化)
@ フランス人 J.M.ジャカールが紋織り用 ジャカード装置 完成(1800年,寛政12年):
(中国では人力紋織り機 花機=高機として普及,日本へは西陣,桐生等へ普及されていた)。
A 岩瀬吉兵衛( 1783年,桐生地区で 水力利用撚糸機八丁車 の発明)。
(4) 機械化後期 (T) 1867-1889
@ 鹿児島紡績所建設,英国より初めて織機 100台を含む紡績プラントを輸入(1867年,慶応3年)。
A 明治政府の殖産興業政策により洋式織機等機械装置の輸入と技術の普及
および織布業の勧業が進められた(1868年〜1890)。
B 佐倉常七他は京都から派遣された伝習生であったが,ジャカード,バッタン(フランス系)の各装置をもたらし,
西陣からの伊達弥助はウイーン万博の後,ジャカード,バッタン(オーストリア系)を移入した
(両者とも1873年,明治6年)。
C 最初の洋式織機(ジャカード,バッタン装備)の勧業場は西陣であり,西陣は 近代機業の原点となったといえる)
フランスで織機に搭載した初期の
ジャカード装置の図 (1843-44)
(Images de soiede Jacquaar d a l'ordinateur)
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フランス人J.M. ジャカールは
1800年紋織り機械用で
たて糸 1 本ずつを独立に上下動させるような
たて糸自動選択動装置ジャカード装置を考案した
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(5) 機械化後期 (U) 1890-1939
織機の国産化への改良(洋式を基礎として国産化へ―安価・操作性簡単・性能は洋式にやや劣る程度―)。
@ 豊田佐吉人力織機(1890), 同動力織機の発明(1896,第1章参照) ,同自動ひ替装置発明(1909,発表;1924)。
A 津田米次郎 絹力織機発明(1900)。
B 1892〜1900年の間,多くの力織機が試作された(寺沢,豊田,津田,斉外)。
(6)機械化後期 (V) 1945以降
@ 第二次大戦後,織機の技術開発は超自動織機の工業化を目指し,グリッパ,レピア,ウォータジェット,
エアジェット等の開発に集中した。 1950年(昭和25年)以降にはそれぞれ実用化された。
A 絹関係ではウォータジェットによる羽二重(濡れよこ)の試織,エアジェットの性能向上により
ジェット製織は可能となった。しかし,絹が多品種少量生産のために量産指向のジェットルームによる製織には
不適当といえる状況であった。
(7) 織機についてのこれからの課題 (一般的)
織機の関係では,汎用性の高い超自動織機としてレピア織機があげられているが,絹製織でも大小の織幅を通じて
使用されている。
(8) 今後の技術開発の課題 今後の絹織物に関する技術開発の課題としては,難題であるが一般的には,
a : 適地生産(定番品と高級品)
b : 生産は多品種少量
c : 納期短縮
d : 高付加価値織物,差別化織物
e : 省エネ対策
f : 環境対応策
等があげられる。いずれも,異質の特徴ある製品を目指すことに尽きるといえる。伝統的機織の技術改良と新技術の開発,それらの組み合わせなどの工夫による新技術を生み出し,従来になかった織物製品の創作に取り組むことになる。
■ 4 シルクの存在意義と広がり
4.1シルクを越える新しい繊維の開発の目標とされる
シルクを繊維の女王として新しい繊維の開発を目指しつづけ,用途の上では絹を越えた繊維とされる種類もでてきている。最初の新しい繊維 (化学繊維)としては,1883年(昭和16年),英国スワンがニトロセルローズから繊維を作り出し,これを「人造絹糸(artificial fibre)」と呼んだことがあげられる。そしてよく知られているように,1937年(昭和12年),米国の化学者カロザースの発明になる ナイロン があげられる。また,英国のキャリコ・プリンタ社による発明で,米国で1953年に工業生産開始となった ポリエスタ がある。
いずれも,絹繊維を目標として研究開発が行われてきた「夢の繊維」といわれるものであった。ナノテクノロジ超極細繊維の開発・実用化に至るまでになった。「夢の繊維」の追求という命題は常に「シルク」を原基準として追求され続けるであろう。
4.2新しいシルク繊維の開発
1)異種の繊維との複合繊維織物 (通称ハイブリッド シルク )
a : ナイロン,ポリエスタ,ポリウレタンなどとの引き揃え
b : 生糸を芯にして天然繊維,化合線フィラメントをカバリング
c : 織物のたて糸とハイブリッドシルクの組み合わせ
2)シルク繊維に特殊加工(ネットロウシルク,プレスド・シルク等)
a : 繭から繭糸をひき出す過程で,繭糸を網状に編みだすようにしてからまとめて糸状にしたネットロウシルク
b : 繭から繭糸を引き出し,繭糸の集合体(シルクウェーブ)をつくり,平面上に並べて水分を与え高温でプレスし
不織布状にしたプレスド・シルク
3)その他 スーパーフラットシルクなど
■ 5 シルクの織物以外への道
5.1 素材上から区分 (平林 潔 , 前東京農工大学教授 )
1)繊維
生糸
縫合糸(外科手術用縫合糸),楽器弦(三味線,琴等),テニスガット,インテリア,寝具
2)粉末
食品(麺類,飴類,ゼリー,ケーキ等),入浴剤(水溶性絹粉末,肌の活性化)
化粧品 (シャンプ,リンス,コンディショナ等)
3)溶液
高分子
化粧品
低分子
食品
シート
べっこう (絹フィルムを圧縮形成)
4)期待
人工皮膚,コンタクトレンズ,人工血管,カテーテル,等
5.2 一般的用途別に区分 (小松計一, 前蚕糸科学研究所客員研究員 )
1)
絹食品
(食品添加剤他)
2)
医療用品
(外科用縫合糸)
3)
化粧用品
(スキンクリーム等)
4)
整髪用品
(シャンプ,リンス等)
5)
工業用品
(釣り糸,ふるい絹等)
6)
その他
(美術工芸品,インテリア等)