1. 東京農工大学園芸学研究室に関わる資料
2. 園芸学講座の教官(~昭和10年)
3. 園芸学講座担当教官の略歴(~昭和10年)
1.東京農工大学園芸学研究室に関わる資料
*農事修学場から東京農工大学農学部まで
・明治7年(1874):内務省勧業寮内藤新宿出張所(現新宿御苑)を開設した.
・明治9年(1876):農事修学場となる.
・明治10年(1877):荏原郡上目黒村駒場野へ移転し,農学校(初代校長関澤明清)となる.
・明治9~13年:イギリスからジョン・カスタン(農学)やエドワード・キンチ(農芸化学)らが来日し教鞭をとる.
・明治14年(1881):農商務省に移管し,駒場農学校と改称し,農学本科・農芸化学科・獣医学科(修業年限3年),および普通学科(修業年限2年)を設置した.
・明治14~25年:ドイツからマキス・フェスカ(農学)やオスカル・ケルネル(農芸化学)を招聘し調査や教育を委嘱する.
・明治19年(1886):内務省樹林試験場の後身東京山林学校と合併し東京農林学校となる.農学部・林学部・獣医学部,および予備科・速成科の構成.
・明治23年(1890):文部省に移管し,帝国大学の農科大学となる.農学科・林学科・獣医学科および乙科の構成.
・明治26年(1893):講座制が確立され,20講座を開設,現生産・環境生物学専攻に関連する講座として農学第二(作物学),園芸学,動物学・昆虫学・養蚕第二,農業物理・気象学の4講座を設立,なお農芸化学科が農学科より分離独立.
・明治30年(1897):京都帝国大学が開設され,東京帝国大学農科大学となる.
・明治31年(1897):乙科を実科(後の東京高等農林学校)と改称.
・明治32年(1898):農業教員養成所(後の東京教育大学農学部)を設置
・大正8年(1919):学部制をとり東京帝国大学農学部実科となる.
・昭和6年(1931):園芸学講座を園芸第一(果樹・蔬菜)と園芸第二(花卉・造園)に分離.
・昭和10年(1935):本科は本郷へ,実科は府中へ移転して東京高等農林学校となる.
・昭和19年(1944):東京農林専門学校と改称.
・昭和24年(1949):学制改革により,東京繊維専門学校と合併して農学部・工学部で構成する東京農工大学が発足.
2.昭和10年までの園芸学講座の教官
教授 | 玉利 喜造 |
明治26~36年(1893~1903) |
---|---|---|
助教授 | 池田 伴親 |
明治39~40年(1896~1907) |
講師 | 福羽 逸人 |
明治23~28年(1890~1985), |
助手 | 原 熈 |
明治25~26年(1892~1893) |
副手 | 門田 寅太郎 |
昭和7~10年(1932~1935) |
3.昭和10年までの園芸学講座担当教官の略歴
◎玉利喜造先生 安政3年4月25日(1856)生
明治13年 農学校農学本科卒
明治13年 勧農局勤務・同15年駒場農学校助教授
明治20年 東京農林学校教授
明治24年 帝国大学教授(畜産学講座担任・園芸学講座分担)
明治29年 園芸学講座担任
明治36年 盛岡高等農林学校長
明治42年 鹿児島高等農林学校長
◎福羽逸人先生 安政3年12月16日(1856)生
明治8年 学農者に学ぶ
明治10年 勧農局試験場植物掛・新宿試験場詰め兼務
昭和12年 三田育種場植物御苑掛
明治15年 農商務省播州葡萄園・同19年園長
明治23年 東京農林学校(農科大学)講師兼務
明治31年 新宿御苑掛長
明治36年 東京帝国大農学科大学講師兼務
この間,フランス・ドイツ・イタリア・ロシア・アメリカ・台湾・フィリッピンなどへ度々出張
◎池田伴親先生 明治11年2月22日(1878)生
明治25年 東京帝大農科大学農学科卒(恩賜時計授与)
明治36年 東京帝大農科大学講師
明治39年 助教授・園芸学講座担任
◎原 熈先生 明治元年4月9日(1868)生
明治25年 東京帝大農科大学農学科卒
明治25年 東京帝大農科大学農学科助手
明治32年 助教授・実科主任
明治39年 農科大学農場長(初代)
明治40年 園芸学講座分担・同44年教授
大正5年 園芸学講座担任
◎浅見与七先生 明治27年3月12日(1894)生
大正7年 東京帝大農科大学農学科卒
大正9年 侯爵鍋島家農園研究員・大学院
大正12年 東京帝大農科大学助教授
昭和6年 園芸学第一講座担任・翌年教授
昭和13年 農林省園芸試験場技師兼務,同16年場長兼務