研究
生物の設計図であるゲノムの約半分は、トランスポゾンと呼ばれる、ウイルスのように自分を増やす配列で占められています。トランスポゾンがゲノムの中を動き回ると遺伝子が壊れ、次の世代に正しい遺伝情報を伝えられなくなります。動物はこれを抑えるために、PIWI-interacting RNA(piRNA)という小さなRNAの仕組みを獲得しました。piRNAはトランスポゾンに対応した配列をもち、PIWIタンパク質と組んで、ゲノムの中の「非自己」を見分けて抑え込みます。とくに次の世代へ遺伝情報を受け渡す生殖細胞で重要で、piRNAを失うと多くの動物で不妊になります。
私たちはpiRNAを、単なる防御因子ではなく、「変化し続ける非自己に合わせて書き換えられる分子記憶」として捉えています。トランスポゾンは新たに侵入し、配列を変えて抑制を逃れようとします。守る側も、固定されたままではいられません。piRNAはどのように非自己を見分け、その記憶をどう保ち、どう更新しているのか。この問いに、トランスポゾン、共生細菌、ウイルスという性質の異なる「非自己」を通して迫り、その原理を新しいRNA制御技術につなげることを目指しています。
トランスポゾンの変化への対応
piRNAの自己組織化と「ゆらぎ」
トランスポゾンは変異して抑制を逃れようとします。piRNAの配列パターンは固定されず少しずつ変わる「ゆらぎ」を示し、別の位置から捉え直すことで、この変化に素早く対応しているのではないかと考えています。
piRNAの配列パターンは、決まった位置から決まったように作られるわけではありません。私たちは、時間の経過や条件の違いに応じて少しずつ変わる「ゆらぎ」があることを見いだしてきました。piRNAは複数の候補の中から柔軟に選ばれており、この「まばら」で「ゆらぐ」性質こそが、トランスポゾンの配列が変わったときに抑制する位置を組み替える仕組みにつながると考えています。
私たちはこれを、piRNAの自己組織化として捉えています。一つひとつのpiRNAが局所的な相互作用を通して、全体としてトランスポゾンをより効率よく抑えられる配置へと自律的に整っていく、という考え方です。この考えが正しければ、トランスポゾンが変異によって抑制を逃れようとしても、piRNAは別の位置を使って抑制を取り戻せるはずです。この自己組織化を支える分子の仕組みと、その生物学的な意味を明らかにしようとしています。
piRNAクラスターの形成メカニズム
新しく現れたトランスポゾンへの備えは、piRNAの供給源となるゲノム領域(piRNAクラスター)に記憶として刻まれ、更新されていきます。進化の長い時間で起こるこの更新のルールを探ります。
piRNAクラスターは、piRNAの主な供給源となるゲノム領域です。トランスポゾンの断片を多く含むことから、過去に出会った「非自己」の記憶を蓄える場所だと考えられています。その一方で、この領域は生物種のあいだであまり保存されておらず、進化の中で生まれたり失われたりする、きわめて動的な構造でもあります。
私たちはpiRNAクラスターを、piRNAの単なる産生源ではなく、防御の記憶を保ち、更新するためのゲノムの基盤として捉えています。新しいトランスポゾンが現れたとき、その記憶はどのように書き込まれるのか。どのような条件で、何が起きているのか。その仕組みはまだ誰にも分かっていません。将来的には、数世代のうちに起こる短期的な配列のゆらぎと、数千年から数百万年の時間で起こると考えられる長期的なクラスターの再編とが、どのようにつながっているのかを明らかにしたいと考えています。
トランスポゾン以外の非自己
piRNAと細胞内共生細菌
ボルバキアのように母から子へ受け継がれる共生細菌を、生殖系列のRNA制御はどう扱うのか。排除すべき相手と、共に受け継ぐ相手の境界を探ります。
ボルバキアに代表される細胞内共生細菌は、昆虫に広く感染し、卵を通して母から子へと受け継がれます。つまり共生細菌は、piRNAが働く生殖細胞の中に、次の世代まで居続ける「非自己」です。
共生細菌は、宿主の性を操作するなど、宿主の生殖に大きく介入します。私たちは共同研究を通じて、ボルバキアがオス化遺伝子を標的にしてオスを殺す仕組みや、そのための因子の特定に関わってきました。
いま知りたいのは、piRNAがこうした共生細菌を見分けたり制御したりしているのか、そして逆に、共生細菌が宿主のpiRNA経路を操作しているのか、ということです。病原体のように排除すべき相手と、共存しながら次の世代へ受け継がれる相手を、生殖系列のRNA制御がどう扱い分けているのか。その答えは、宿主の防御や進化、種の維持を理解する新しい手がかりになると考えています。
piRNAとウイルス
piRNAは、外からやってくるウイルスにも立ち向かえるのか。チョウ目昆虫とそのウイルスを使って、ウイルスに対するpiRNAの働きとその進化を調べています。
ウイルスもまた、細胞に入り込んで自分のRNAを増やそうとする「非自己」です。昆虫のウイルスに対する防御は、主にsiRNAの経路が担うと考えられてきましたが、piRNAがどこまで関わっているのかは、まだよく分かっていません。
私たちは、カイコなどのチョウ目昆虫と、バキュロウイルスや細胞に持続感染するRNAウイルスを材料に、ウイルスに由来するpiRNAが作られる条件や、それがウイルスの増殖を抑える仕組みを調べています。ゲノムに取り込まれたウイルスの断片が、トランスポゾンと同じようにpiRNAの「記憶」として働く可能性にも注目しています。
研究の進め方
私たちは、大規模シークエンサーで得たsmall RNAやmRNAのデータを計算機で解析するバイオインフォマティクスと、分子のレベルで現象を確かめる分子生物学・生化学を組み合わせて研究しています。データから仮説を立て、実験で確かめ、その結果をまたデータの解析に返す。この往復を研究の軸にしています。
主な研究材料
- カイコ(Bombyx mori)とその培養細胞:piRNAの経路が働く、数少ない培養細胞の一つです
- そのほかのチョウ目昆虫の培養細胞
- 共同研究を通じて、ショウジョウバエなど多様な生物
主な手法
- small RNA-seq・RNA-seqなどの大規模データの解析
- 計算機シミュレーションや機械学習による、piRNA産生の予測
- 培養細胞でのゲノム編集・遺伝子導入
- 生化学・分子生物学的な解析
観察した現象を記述するだけでなく、piRNAがどこから生じやすいか、どのような条件で配列のゆらぎが大きくなるか、どのようなトランスポゾンの変化に応答できるかを、データから予測できるようになることを目指しています。将来的には、ウイルス応答や疾患、RNAの設計へとつながる応用の基盤を築きたいと考えています。