情報発信の重要性(その2、論文について)
10月の日経新聞(「論文は誰のものか?」10月1日、8日、15日)に取り上げられているように、科学者が研究成果を発表する場として、長年培ってきた「論文」のあり方が問われ始めている。欧米の有名学術雑誌を擁する大手出版社が質の高いと評価される論文を独占するとともに、それらと連動する形で学術雑誌(個々の論文ではない)を格付けする団体が現れ、そのデータをベースに最終的には研究者の格付けにまで落とし込まれるシステムが構築されている状況なのだろう。その裏には毎年のように電子ジャーナルの閲覧料や購読料を値上げしても(お客側が足元を見られている状況)、上記のような事情から顧客が離れていかないという見事なビジネスモデルが見い出され、我々はいいようにやられている状況なのかもしれない(いい商売である)。進化の早いAIとか機械学習の分野の世界中の研究者がそのような流れに抗して、独自の方法論を確立しようとしていること等が日経の記事には紹介されている。
今日の話は「論文を生産する」という入口の部分を取り上げていて、化学の分野での上記のような論文を取り巻く環境を嘆くものではない(残念ながら、環境を受け入れるしかない立場なので)。
10月28日に書いた雑文で、プレゼンテーションについて扱ったが、大学等アカデミックの世界で情報発信の最も重要かつ最終段階ともいえるのが論文による公表である。大学人にとって論文の数(+質)は評価の指標であって、学内外での昇進、予算の獲得などに影響を与える重要なファクターである。一言で「論文による成果の公表」といっても、それぞれの研究室、研究者を取り巻く環境は千差万別で、いろんな事情を抱えているので、このプロセスの位置付けもまた、多種多様である。そういうわけなのでこれから書くことは、完全に私見ということで・・・。
当方は実験系でホスドクなどのプロフェッショナルもいない「普通の」研究室なので、研究の主体は所属する学生諸氏である。そのため世界に向けての情報発信の主体もまた、実験を行っている学生諸氏になるべきであり、研究室のスタッフ及び研究室の他のメンバー皆で情報を共有しサポートし合うスタイルが基本である(実験の進め方と同じ)。
論文による情報発信までの流れは大まかにいって次の通りである。
ある仮説に基づいて実験をする→仮説の立証(もしくは最初の仮説が間違っていたという立証)→結果をまとめる。その現象の根底にあるサイエンスの確認→きれいな図表の作成(学会等でのプレゼンを経由する場合も多い)→ストーリーの確定→英語で論文作成→投稿作業→Reviewer、Editorとのやり取り(戦い)→アクセプト(リジェクトの場合は、修正し投稿作業に逆戻り)→ゲラのチェック→めでたく出版
このプロセスを学生時代(マジョリティーは修士修了まで)に主体として経験することは、この間も書いて繰り返しになるが、将来就くであろう職業の種別に関わらず、損をすることは一つもないと思われる。学生諸氏の価値観が多様なことは尊重するべきだと思うし、「大学の研究室で成果を出しても、あまり評価されない」という風潮が実業界にあることも確かである。そのため、ここの部分には強制力は働かず、まさに学生諸氏の「強制されない努力」に依存している。ただ、このプロセスを経験して達成感を持って卒業・修了してくれると、個人的にはとても嬉しいし、卒業するときには、面倒なことをやらされたということになるかもしれないが、何年か経った後に経験してよかったということも、きっとあると信じている。
さて情報発信としての論文の執筆に関して、若干の方法論を記しておきたい(やはり荻野研の学生さん限定かもしれない事項も含まれますが・・)。
①英語で書くということ
私の嫌いなグローバリゼーションだが、化学の世界は古くから先を行っている感がある(産業界も古くから国際競争に晒されてきた)。工学系のいくつの有力学会では日本語の論文が高く評価され、その引用率とも高いが、化学のソサイアティでは、論文は英語で書くのが当たり前で
「日本語で書いても誰も読んでくれない・・・」
という状況である。であるので多くの化学系関連学会は日本の学会であるのに関わらず、英文誌を刊行している(日本語の論文だけだと、投稿者が少ない)。というわけなので、論文は英語で書くことが前提となる。
(余談:英語で書いたからといって、思った通りのうまく発信ができるわけでなく、やり方を間違えると世の中に情報は浸透していかない。1999年に佐藤壽彌先生の御指導の下で出したある材料に関する論文だが、オリジナルを自負していて、一部の分野ではあるがその有用性が世の中にも知れ渡って、構造をチューニングしたポリマーが市販もされている。しかし残念なことに、アカデミックの世界でも、特許の世界でも、さらには今の研究室のメンバーからも私たちの当時の論文は無視されがちである。
・悪くない論文誌で公表したが、その後のフォローが十分でなかった
・共同研究先から出願された特許は、2000年に公開されたが、審査請求されていない
・論文がでてから材料の有用性が認知されるのに時間がかかり過ぎた
・個人的に世の中に信用されていない
等々の理由が考えられるが、まあしょうがないので次の材料を目指そう)
論文執筆に必要な英語については、優れた論文(英文)をたくさん読んでテクニカルターム、構文、動詞の使い方、慣用句などを身に付けていれば十分と言える(語学の学習と同じで書けば書くほどうまくなると思う)。高尚な英語を書く必要はなく、無駄のない正確な英語を書けばよい。日本語をまず書いてというやり方もあるかと思うが、英語にすることを想定した「和文和訳」した日本語を準備しておくと楽である。あと冠詞に関しては難し過ぎるが、単数の名詞には基本的に冠詞がつくという原則はある。
②アブストラクト (abstract)
字数制限がある雑誌も多いが、将来雑誌に収録された場合でも、論文の一次情報として出てくる部分(Reviewerも最初に読む部分)なので、最重要と言えなくもない。
③イントロダクション (introduction)
ここも研究の位置づけ(問題提起、それをいかに解決するか)を語る部分なので、相当重要。実験の開始前に立てた仮説通りに実験が進行した場合、実験をする前にできているはずの部分だが、ご存知の通りそんなことは滅多にない。私らスタッフが中心になって立てた仮説など、正しくないことは当たり前であり、仮説通り結果がでなかったことで、その研究が失敗だったということは絶対にない。そこには必ずサイエンスが存在しており、そこをピックアップすることで論文とすることはできる(商品価値を高めたり、利益を追及することが目的となる産業界との研究とは違う)。想定していなかった結果に対して、位置付けを考え直すことになる。そのためストーリーを考えていく中で、イントロダクションは実は最後に決まることになる。参考文献は丁寧に調べる。自分がReviewerをやった場合でも、しっかりリファレンスが引いてあると、いい論文だな、という先入観が芽生える。
(その論文のテーマに関連するところのオリジナルに近い部分の論文は引用すべきだし、もちろん最新の動向がわかるような論文も)
④実験項 (Experimental)
定型的なことも多いが、材料系の論文のある意味、根幹となる部分。合成したポリマー等のキャラクタリゼーション(分子構造解析)は、その後の物性評価、ディスカッションの前提であって、ここがブレてしまうと全てが水泡と帰すことも、覚悟しなければいけない。きっちりやりたいところです。
⑤結果と考察 (Results and discussion)
図表でエビデンスを示しながら、自論を展開する部分。心臓部。Discussionは過去には、このように言われているなど、リファレンスを引きながらやると説得力は上がる。
⑥投稿
昔は原本を作ってコピーと共にeditorにエアメールでというスタイルだったが、現在ではネットのシステムを使って、ファイルをuploadするのが一般的である。この作業が終わると相当やった感があり、高園(大学近くの中華料理屋さんです)で軽く一杯ぐらいの気持ちになる。
⑦Reviewerからのコメント対応
学術論文の多くはpeer reviewという制度を取っており、その分野の研究者同士が論文を公平な目で評価し合うシステムである。論文を1報だすと2-3名のReviewerがつくので、出した論文数の2-3倍はReviewをしなけらばならない勘定になり、それくらいの数のreview依頼が確かに自分のところにも届いている。複数のReviewerからのコメントを総合的に判断するのがEditorであり、accept,
minor revision, major revision, rejectなどの判断はEditorが行う。日本人は大人しいというわれているが、Editor判断に意見することは可能である。イギリスの王立化学会系のJournalはEditorの判断にrebuttal
letterを出すことがシステムとしてあり、その場でも自論を展開することができます(Editorも一度出した判断を覆すことは、プライドとかいろいろとあると思うので、若干難しいかなという気もしますが)。Reviewerのコメントに対してはできるだけ真摯な態度で・・・。
⑧アクセプトのメール
We are pleased to inform you that your paper entitled ”〇〇〇” has been accepted
・・・というメールがEditorから来るが、いくつになってもどんな論文でも、飛び上がるほど嬉しいものです。個人的には関係各位と喜びを分かち合って、リラックスして美味しいものでも食べながら祝杯を上げたい気分になります。結局のところ、論文執筆の大義はいろいろとあるけど、それらをブレークダウンしていくと、ここの部分のonとoffの切り替えが、論文執筆に係る作業の最大のモチベーションになっているのかもしれない。作家の村上春樹さんが「村上朝日堂の逆襲」という著書(随分と昔の本ですが)の中で、マラソンの途中から「ビール、ビール・・」と小声で呟きながら走るという件があるが、メンタル的には若干類似性があるような気が昔からしています。
いずれにしても、一連の作業はEditor、Reviewerの心をつかむ人心掌握術も含め、これまで学んできた「総合力」が問われる作業と考えてよいので、サイエンスを志向している学生諸氏を含んだ若い人には積極的に取り組んでもらいたいと常々思っています。
おまけ
問1 自宅にPP(ポリプロピレン)製とPS(ポリスチレン)製のプラスチックカップ(ほぼ純品でできているとします)がある。簡単なテストで区別して下さい。
問2 1から6までの数字が書かれた6枚のカードを並び替えて、6桁の整数をつくるとき、以下の条件をすべて満たす整数をすべて答えなさい。
・上から2桁からなる整数は偶数
・上から3桁からなる整数は3の倍数
・上から4桁からなる整数は4の倍数
・上から5桁からなる整数は5の倍数
・上から6桁からなる整数は6の倍数