・突然の前書き
時間がない、というのが今の現状である。
自業自得といってしまえば身もフタもないのだが、三年生であって、今まで怠けていたものがドッと押し寄せてきたり、模試だのテストだのがめまぐるしくあったというような一連の諸事情があって、原稿締め切りの二日前である今日(ちなみに中間テストの翌日)まで、何も書かないで至ってしまったのだ。
このことは、半分くらいはタテマエであるが、どっちにしても、時間がないというのは変わらず、かといって三年生最後の双輪に原稿を載せないのは何となくいや、ものすごくさみしい事なので、『私の好きなこと』を思い付くままに書いていこうと思う。(何か、書き方が某M部長に似てしまったなあ。でもそう思っているのは私だけかも…)
・the yellow monkey
これを見て、「日本人」の別名と思ったあなた、ちょっと修業が足りないな。
これは(これっていうのも変だけど)、今、最高にカッコいい四人組のバンド、the yellow monkeyのことなのだ。
私が、彼らのことを知ったのは、高二の九月。
友達のAさん(Aって書いたら、容疑者Aとかと想像してしまう私は変か? わーん、Aさんゴメンね)「このバンド、いいよ。聴いてみな」と言われて、一枚のCDを渡されたのが、私のthe yellow monkeyとの出会いだった。そのアルバムはサードアルバム『jaguar hard pain』。
学校で、曲を聴くよりも先に、歌詞カードを見る。
この頃、ヴォーカルの吉井和哉はスキンヘッドで、他の三人も麻薬中毒者みたいな目つきをしていて、曲を聴くよりもまず、そういうルックスを見てしまった私は気がつくと「こいつら、イカれとる」他、さまざまな暴言をはいていた。
それが、今では、「その、妖しい目つきがたまらなくいい」という美辞麗句に変わっているあたりが何とも言えない。
でも、the yellow monkeyについて、何の知識も免疫も持ってなかった私に、「A HENな飴玉」とか「薔薇娼婦麗奈」とかいった、どちらかというとトリップしているようなタイトルをみせて、カッコいいという感想を求めるほうがおかしい。
はっきりいって、はじめは曲にもなじめなかった。
なにしろ、それまでは、TMN,ヒムロ、HOUND DOGといった一般に凄く人気のある人の曲しか知らなかったのだから。
でも、私には、変な癖(?)があって、それは初めて曲を聴いてから、そのまま聴かずにいて、一ケ月後に聴きたくてたまらなくなったら、必ずハマってしまうという、一種のジンクスみたいなものだ。
the yellow monkeyもちょうど、そういう状態になって、気づいてみたら、蟻地獄から抜けられなくなってしまった。
歌だけでなく、メンバーの虜にもなってしまった。特に、吉井の官能的な腰の動き、手の叩き方、指づかい、どれをとってもよだれがでそうなくらいにカッコいい(ちょっと汚いね、表現)。
それだけでなく、ギターのEMMA(男)とのカラミも思わず赤面してしまうくらいに凄いし。
はじめて、the yellow monkeyのライヴでナマをみたときは、何とも思わなかったくせに(ちょっとは思ったかも)、この前武道館ライヴのビデオでみたときは、ヒャーって思った。
でも、私が一番心惹かれるのは、ドラムのANNIE。
ドラム叩きながら気持ち良さそうに歌っている姿にすごくいいなと思ったから。
それ以来、妙にドラムが好きになって、自分自身で叩いてみたいなと思うくらいの入れ込みよう。
でもベースのHEESEYも好き。
音が好き。
最近、重低音の虜になっている私としては、あのベースの音はたまらない。
すごく、ボリュームをあげて、スピーカーを触ると振動が心地よい。
しかも、音が頼もしい!
今まで書いてきたことを一言で言うと、トドのつまりが『皆、好き』ということである。
部屋にポスターをはりまくって、いつも、彼らを愛でている始末である(妖しい…)
ところで、今、彼らは凄く人気がでてきた。
私が、彼らを知った一年前とは違って、知名度が上がってファンが増えた。
ラジオでも、よくリクエストされているし、テレビでも、NHKのポップジャムとかによく顔をだしている。
そういうのをみるとうれしいけど、悔しい。
でも、やはり喜ぶべきなのだろう。
好きなものは好きだから。
余談になるが、今年の夏休みに、the yellow monkeyの幻のインディーズ盤「BUNCHED BIRTH」を買った。
これは、すでに廃盤となっているもので、入手不可能といわれているものだっただけに、とても嬉しかった。
でも、買うのにかかった金額は定価の四倍だった。 それでも、安いと思って買ったのだ。
実際問題としては、大変な出費だったにもかかわらずにだ。
こういうことを考えてもやはり私はthe yellow monkeyに狂っているのだろうか。
私をここまで魅了したthe yellow monkey。
…あなどれない四人組だ。
(最後のほうの文章、なんかかたっ苦しいなあ)
・三国志」」 諸葛亮孔明」」
私は三国志が好きだ。
中学生のときに、ゲームでハマった。
それに、今年の一学期にも『本の虫』で三国志の特集もやった(でもこれは、顧問のT先生の意見だったんだよね、実を言うと。本当は、三島由紀夫の特集がしたいって言ってたし)
そのくらい、三国志が好きなのだ(あまり、説得力ないな)
そのなかでも、最も敬愛してやまないのが、蜀の丞相、諸葛亮孔明。
先程出てきた『本の虫』でも、もちろん、私は孔明の原稿を書いた。
どこがそんなにいいのかというと、現実離れしたその類い稀なる知力なのである。
きっと、ないものねだりなのだろうが。
こういうと、自分が悲しくなってしまうのでやめよう。
でも、凄いと思う。
話のなかだけのフィクションだ、と一笑に付されても、実在人物をモデルにしての作り話なのだから、そういう人物に仕立てられるような人物であったことが凄いと思う。
私だったら、もし何かのはずみで、話の登場人物になったとしても、変な役にしかつけてもらえないだろう。
そういう我が身を振り返ってみるからこそ、そう思うのである。
ともかく、凄い人は偉く、偉い人は凄いのだ!
(変な文章…)
でも、不満が一つ。
我が家にある、巷では「生きた化石」と名高いPC88のでプレイすることができる「三国志U」に出てくる孔明の顔!
何じゃ、あのフケようは!
(個人的な話題ですまない)
将来、私が最新のゲームをするときには、目の覚めるような美しさの孔明であることを祈りたい。
・あとがき…
時間の都合で、二つしか書けなかったことが、悔しい。
初めにも書いたけれど、自業自得なんだよな、これは。
この文章を書くにあたって、困ったことがひとつ。
「きく」という単語を打ち込むとき、昭和六十一年製造のこのワープロは「聴」という字を「きく」という変換では出してくれないので、わざわざ「聴力」と打ってから出しているのだ。
凄く、かなしい。
でも、今隣で、某M部長が、「『ちょう』という変換でやったら「聴」が出てくるんじゃない」といったので、試しにやってみたら、これがまた、本当にでたのだ。
畜生、悔しいぜ。
女の子にあるまじき言葉遣いのような気が…
隣で、土佐日記の冒頭を呟き出すM部長が妖しい。
外界は妙に盛り上がっているし、おなかはすくし、妙にナチュラル・ハイだし。
全然、あとがきに関係のないことばかり書いてしまったようなそうじゃないような。
おあとがよい(?)ようなので、これで終わろうと思う。
最後に、最後まで読んでくださった、そこのあなたどうもありがとう。