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上田で思ったこと

2017年から10月終わりから11月初旬に開催されることになった繊維学会秋季研究発表会の当研究室における位置づけは、1) M2の集大成(論文作成準備)、2) M1の卒論を含めた3年間前半の集大成であり、とても重要な意味合いがある。以前の雑文にも書いたが、学会発表では「準備」の段階でサイエンスをしっかり確認する作業が一番重要で、大学を出発するときには、学会発表のミッションの90%ぐらいは終了している感じが理想であり、学会期間中は、他大学の先生方や同じ世代の学生さん、企業の研究者の方々と知り合いになったり、初めて訪れた場所を心に刻んだりして欲しいと思っている。学生諸氏と違って学会で旅をすることには、「慣れている」はずだが、大学(東京)を離れて「非日常」を感じたり、渾身の研究発表を拝聴することは、いつまでたっても新鮮であってやはり楽しい。今回の学会を機に思い出したことや感じたことをいくつか・・。

   
   正門前で

 今年の秋研は信州上田の信州大学繊維学部で開催された(高寺実行委員長をはじめとした関係者の皆様、お世話になりました)。上田は東京都下方面からだと、大宮から新幹線に乗るとわずか1時間(トータルで2時間)ばかり到着するというアクセスのよさで、おちおち居眠りもできない。今回は週末の移動だったため、自転車操業を身上とする自分には指定席も取れないという混雑ぶりだったが、長野止まり(あさま)の場合、軽井沢を目指している人々がかなりの比率を占めているように感じた。

 いきなり昔話になってしまうが、学生時代(1980年代)には当然新幹線はないので、信越方面には上野発の「あさま」(在来線の)とかがベースにあって、妙高高原に向かうスキー専用の「シュプール号」が新宿から出発したりしていた。横川で停まるとご存知「峠の釜飯」を買うお客さんがたくさんいて、研究室の先輩に「食べるのが当たり前だよ」と忠告され買って食べた(横川―軽井沢間はわずか11.2 kmだが標高差が552.5 mあるので、古くはアプト式の電気機関車への切り替え(1963年新線の開通まで)、補助用機関車の連結などで停車時間が長いという背景がある)。長野新幹線の開通(1997年10月1日)とともに横川―軽井沢間は、路線バスへの変換区間となり、完全に廃線となった。明治26年のこの区間の開通により、上田で生産される生糸が、横浜に向かって輸送され、廃線により完全に役割を終えたことになる。

   
   以前にも掲載したが、東小金井で撮影したASAMAの写真(2018年5月)



         
      横川駅から軽井沢(碓氷峠)方面をのぞむ(2010年5月に撮影)

 
 ちなみに横川を本拠とする釜飯の「おぎのや」(他人とは思えない)だが、どうなってしまうのかなと心配していたが、そのときには既に業務の形態を車中心(ドライブインなど)への転換を済ませており、今でも大繁盛のようで何よりである。信越本線は現存するが、高崎ー横川間(信越をかすりもしないが)、篠ノ井―長野、直江津―新潟と分断されており、上田に行くには軽井沢―篠ノ井間の区間を引き継いだ「しなの鉄道」に乗車する必要がある(注;千曲川沿いを走るが、10月の台風で運休となっていた区間も11月15日に全面復旧となった。たいへん喜ばしいことです。鉄橋が崩落した上田電鉄別所線の全面復旧にはもう少し時間がかかるようだが、一日も早い復旧を祈念しております)。

   
   横川駅前の本店?で購入した釜飯(2010年5月撮影)

 上田に行くのには、ルートにチョイスがあり、いくたびに検討だけはしている(とてつもなく時間がかかるが)。1)国分寺から中央本線(あずさ等)で松本、「しなの」で篠ノ井、しなの鉄道で上田4時間15分、2)国分寺から同様に小淵沢、小海線で小諸、しなの鉄道で上田というルートは4時間半で、大宮経由の倍時間がかかる(料金も高い)。特に小海線を経由するルート2)は、とても魅力的(非電化、ハイブリッドシステムを導入した車両、標高の最も高い野辺山駅(1345 m)、最高標高地点(清里-野辺山間1375 m)(中央分水界)等様々な理由があるが)だが、どうしても時間的にキツくて今回も断念した。次回はぜひ・・・。

 今回、若手交流会で訪れた常田館製絲場は1900年(明治33年)創業である。上田地域は江戸期より蚕種(=蚕の卵)の製造で非常に栄えた土地柄ということだが、加えて養蚕、製糸、教育に関しての活動が上田の蚕糸文化の発展に寄与してきたとの話を伺った。上田の駅から10分ぐらいの立地であり、昔は生糸を駅まで運ぶトロッコの軌道が敷地内にあったという。駅に運ばれた生糸は信越本線で東京・横浜方面に輸送されていたし、女工さんたちを含む社員旅行も何班かに分かれ移動したとのことである。
 比較的交通量の多い上田駅に向かう道路(もともと製糸所の私有地だったようだが・・・)を挟んで、両サイドに施設があるので、その間の移動には道路を横断しなければならない。横断歩道も信号もない道路だが、道路脇に立って「渡りたいオーラ」を出すと、多くの車が、私たち歩行者のために停まってくれた。一般社団法人日本自動車連盟 (JAF)の調査(2019年8月)によると、長野県は「信号機のない横断歩道で停止する割合」が68.6%で堂々第一位である。東京は5.8%で下から数えたほうが早く、故郷の山梨県は、26%で11位である(大河ドラマ「武田信玄」の中で、北信濃を治める村上義清(上條恒彦さん)に「甲斐の山猿」と言われた甲州人だが、当時は「さすがに北信濃の人には言われたくない」と思ったが、長野の人々はきっと昔から民度が高かったのだろう。それにしても東京の低率は異常であり(実感できる数字ではある)、やはり人口密度が高すぎ、心がささくれ立ってしまっているのだろう。

 今回2泊して2日目の朝は、若手会で宿泊した東御(とうみ)の宿から雲海に沈んだ上田の盆地と北アルプス(?)の標高の高い山々が見えて、随分と懐かしい気分になった。雲海は盆地特有な自然現象なので・・。

   


 3日目の朝(最終日)は、上田のホテルで迎えたが、季節が東京と比べて1ヶ月ぐらい先を行っている感じで寒かったけど、上田の駅あたりを歩くと、遅ればせながらとても空気が澄んでいることに気がついた。そして久しく忘れかけていた深呼吸などしたくなる感覚に浸った。ちょっと早めに繊維学部のキャンパスに着き、少し散歩して綿とか桑とかを栽培している農場の前に立つと、当たり前だけどやっぱり空気は綺麗で、もう一泊ぐらいしていきたいな(東京に帰りたくない)、という気持ちになった。
  
   
   椎の実、どんぐり?

   
   綿です

   
   遠くに見えるのが桑です

   
   講堂前
  

  
  養蚕寿古六@資料館


おまけ)(今回、上のスゴロクにちなんで。太古の昔、国家公務員試験の勉強をしていたころに出会った教養試験の過去問である。短時間では方針も立たない感じだったが、この種の問題が教養試験で出題されるというのは、やはり相当厳しい試験だったのだろう)

さいころを一個振ってその出た目の数だけコマがます目を進むスゴロクにおいて、振り出しからn番目のます目にコマが止まる確率はいくつか?ただし、nは十分に大きいものとする。



答)2/7 (たぶん直感的にやるしかないし、そういった能力が要求されているように思います。自分の使っていた問題集では10ぐらいまでで当たりをつけてという帰納的な方法で解答を導いている。もう少し、数学的にもできます。それにしてもnが十分大きいすごろくって、サバイバルだなー)


(2019.12.2)