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繊維技術研究会
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概要
繊維技術研究会は 
  1999年に発足した、科学博物館を支援するボランティア活動団体です。
  主旨にご賛同いただける方々のご参加を募っています。
 ※入会希望される方は事務室にご連絡ください。
会の目的  
  繊維技術の伝承・研究・開発を行い、繊維博物館の展示・啓蒙活動を支援するとともに繊維技術の発展に寄与するための情報交流を行う。
会の組織   
  プロセス部会と繊維素材部会からなるが、当面はプロセス部会が活動している。
会の活動   
  科学博物館所有の繊維機械類の運転・保守および来館者への技術的指導・説明を行う。
  繊維機械技術の情報交流のための研究会・講演会の開催
会 員   
  会長:壁矢久良、会員:30名(うち農工大OB:20名、博物館メンバー1名)
活動日
  定例活動は火曜日。原則として第3火曜日は講演会を開催する。8月は休会。
  その他特別展、団体見学への対応は随時行う。


米国からの見学者に説明する会員


整備をする会員
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2013年(平成25)年度活動計画

    博物館所蔵品の整理
    オリジナルグッズの開発検討
    博物館行事に対する支援・協力(特別展・技術革新学など)
    10周年記念誌出版製本の検討
    来館者に対する説明・案内、および取材・相談事項への対応

製糸部門    ・HR型自動操糸機:損傷部分の修復&整備
・見学者用説明資料の整備(常設展示品・・・検位衡・検尺器・種紙他/除大型展示機)
・製糸関連展示品用リーフレットの作成(2F展示室用)
・友の会関連:絹サークル支援・・・講演会開催(絹・製糸の基礎、他)
・動態展示実演 
紡糸・紡績部門 ・ガラ紡機の修復・整備
製織部門 ・豊田式自動織機の動態化
・半木製織機の動態化検討
・ウォータージェット織機:
     据付調整・タテ糸準備・展示パネルキャプション検討
・エアジェット織機:
      据付調整・展示パネルキャプション検討
編組部門 ・リンキングマシンの整備・調整
・各種編機の点検・保守
ミシン部門 ・データベース用写真撮影
・キャプションの作成・整理
組紐部門 ・大型製紐機の整備・電動化
・小型製紐機の保守・整備

昨年度(2012年)
科学博物館の耐震・改修工事中期間中全ての物品を館外保管していたため、工事終了後は、動態展示のための整備を行った。

機械搬入と設置

自動操糸機の整備

保管していた手織機の組立て

ジャガード織機ほか織機整備

改装後の繊維機械展示室

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講演会の予定   

      繊維技術研究会では原則として第3火曜日の午前中に公開の講演会を開催 しています。
      時 間  10:00〜12:00 
      会 場  科学博物館3階講堂
      来聴自由  

    2013(平成25)年度開催 講演会予定  
年月日 テーマ 講師
3月18日 製糸機械の変遷   その1[繰糸機(丑首から多条機まで)]
  蚕の繭から生糸を作る技術を製糸と言いますが、我が国では江戸時代の享和、文化頃19世紀初頭に農業技術書のうちの蚕書が100冊刊行され養蚕・製糸の技術を伝えています。その初めが丑首です。
幕末の開国を期に輸出を始めた生糸は富岡製糸場などの仏伊の製糸技術を我が国流に咀嚼し、昭和初期には多条繰糸機を実用化して生糸を輸出商品として大成させました。
   この時期の繰糸機の変遷をお話します。
三戸森 領夫
(元農水省横浜農林規格研所長、日本シルク学会名誉会員)
2月18日 健康寿命と介護用具  その2
  日本人の平均寿命は男女とも世界トップレベルにあるが、同時に被介護者も年々増大している。望ましい寿命とは自立して生活できる健康寿命であり、健康寿命を延伸して平均寿命との差を縮小することが重要である。そのための延伸策・介護予防について考察すると共に、演者が19年間に携わってきた被介護者のための介護用具についても解説する。
  今回は介護用具について。
岩島 寛
2014年1月21日 埼玉県の蚕糸・絹文化をめぐる小さな旅〜養蚕・織物で栄えた町をたどる〜 
 秩父銘仙・川越唐桟・行田の足袋・加須の藍染・熊谷友禅など埼玉県には織物関連の地場産業がまだ多く残ります。  渋沢栄一、尾高惇忠など富岡製糸場開場を支えたのも埼玉県人でした。神川町には横浜の生糸王・原善三郎の生家もあり、入間市にはクリスチャン一族が経営した製糸会社の西洋館と教会が残っています。
  また、年間600万人の観光客が訪れる川越の蔵造りもその多くは織物商の店蔵でした。それらを訪れるバスツアーを埼玉県観光課と共催してきました。スライドをみながら一緒にお出かけいたしましょう。
藤井 美登利
(NPO川越きもの散歩代表/東京国際大学非常勤講師(観光ガイド実習)/川越の町雑誌「小江戸ものがたり」編集発行人)
12月17日 健康寿命と介護用具  その1
  日本人の平均寿命は男女とも世界トップレベルにあるが、同時に被介護者も年々増大している。望ましい寿命とは自立して生活できる健康寿命であり、健康寿命を延伸して平均寿命との差を縮小することが重要である。そのための延伸策・介護予防について考察すると共に、演者が19年間に携わってきた被介護者のための介護用具についても解説する。
  今回は主に健康寿命について。
岩島 寛
11月19日 大事なことは、みんな繊維機械の向こう側で起こった〜絹都パターソン・ストライキの100周年〜
  人口減少社会に転じた21世紀の最初の10年が日本の歴史の転換期として記憶されるであろうことは異論のないところだろう。では、その前の「転換点」はどこにあったのだろう。演者は、この転換期を乳児死亡率が下降に転じた大正中期にあると考える。この時期に工場法が制定され、その後、労働基準法がもたらされた。そして、こうした経緯のほぼ「すべて」が繊維産業を現場として起こったといっても過言ではない。  労基法の起点ともいうべきパターソン・ストライキの100周年にあたる本年、発信地としての繊維産業や繊維機械の現場について考えてみたい。
高橋 さきの
10月15日 生糸検査の技術
  消費者が購入するシルク製品の生産地とその原料(生糸)の生産地が同じ地域にある場合にはそれなりに解決できる商取引上の問題も、地域が離れている場合には重量、品質をお互いに承知していることがクレームをなくす最良の方法になります。
そこで生まれたのが第三者機関による生糸検査です。特に国際間の生糸取引には国際的なルールによる生糸検査は欠くことができません。終戦後まで我が国の主要な輸出品目であった生糸の輸出を支えた生糸検査の技術について紹介します。
三戸森 領夫
(元農水省横浜農林規格研所長、日本シルク学会名誉会員)
9月17日 繊維産業の俯瞰
  日本繊維産業の事業所数、出荷販売額、従事者等の実態を業種毎に考察し、業界の現状を分析する。また、繊維品の輸出入額から、我が国繊維産業の対輸入力を考える。
更に、繊維各社の業態の多様化、多角化の現状に触れ、その経営上の評価を紹介する。
高井 英雄
7月16日 「青梅地域の繊維産業の盛衰」〜その中でブランド確立を目指す〜
  関東平野の北部から西部、西南部にかけては、繊維産業が重要な位置を占めていたことがありました。しかし、現在は数えるほどの企業がかろうじて経営している状況です。
青梅の一中小企業、梅花紡織(ホットマン)株式会社にて46年間奉職し、今の結果を実践・体験しましたことを整理・分析することで、僅かでも繊維産業の生存・成長に資することになればと思い、お話しさせていただきます。
永井 徹
6月18日 紡績体験のあれこれ
  宮崎県日向市の旭合繊梶Aアクリル短綿紡25,000錐の紡績工場、操業3年目でようやく軌道に乗ったところで第2工場を増設、私の勤務する第1工場は操業3年目とはいえ戦力半減、そのハンディもお構いなく工場長からは増産指令、さまざまな問題を解決してきた体験。
およびインドネシア インダチ アクリル梳毛紡 4,800錐の工場。
言語、習慣のちがう異国の地でここも操業3年目の工場、日本では味わえない体験をしてきました。・・・これらを紹介します。
西村 俊勝
5月21日 エアジェット織機開発の100年間をたどる
  100年前にアメリカのブルックス(J.C.Brooks)が発想し、試作を重ねた「空気流でよこ糸を挿入する」いわゆるエアジェット織機(Air Jet Weaving Machine)は、その後、長い試行錯誤の時代が続いた。1960年代半ばにオランダのテ・ストラーケ(Te Strake)社が考案した技術によって、ようやく実用化が進んだ。1980年代以降、主に綿や綿・化合繊混紡織物分野に大量に導入されている。日欧の繊維機械メーカーがエアジェット織機の開発改良をリードしてきたが、多くの中国メーカーが参入し始め、早くも過当競争の時代に入ってきた。リードし続けるためには、新しい「発想」が求められる。
葛西 成治
2013年4月16日 製糸界の元勲といわれた 速水堅曹(はやみけんそう)の生涯
  まだ幕末の騒乱さめやらぬ明治3年(1870)、前橋藩の下級武士であった速水堅曹はスイス人の技術教師を雇い、 日本ではじめての器械製糸所を前橋につくった。彼は日本最高の製糸技術者となって、各地の製糸所設立を指導し、明治8年(1875)内務省に出仕してからは殖産興業政策の蚕糸業のオピニオンリーダーとして国の政策にかかわった。 官営富岡製糸所の所長もつとめ、横浜に生糸直輸出の同伸会社を創立した彼の志はなんだったのか?
近代日本の製糸業の黎明期から先駆者として世界一の輸出国となるまでを見届けた彼の生涯を語る。
速水 美智子
(富岡製糸場世界遺産伝道師協会・原三溪市民研究会 所属)
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    2012(平成24)年度開催 講演会一覧 
年月日 テーマ 講師
2013年3月19日
再講演シリーズ その5 「改めて“ガラ紡績の世界を考える”」
  (初回講演=2005年3月)  資産デフレからの脱出を期待して、世界に例を見ない経済対策が行なわれようとしている。明治政府は、殖産興業を海外からの技術導入をとおして行ない、日本の近代化を推進したと言われてきたが、最近の研究から、幕末から既に高度な生産活動が行われ、自主的な殖産興業になっていた。特に、ガラ紡績の発明は、国民生活の向上に脅威的な貢献をした。世界遺産に値するとガラ紡績の価値を解明することによって、これからの日本社会の発展に繋がる指標を得る事ができると思われる。
そしてこの解明こそ東京農工大学科学博物館の使命であると考える。
徳山 則
2013年2月19日
再講演シリーズ その4 「撚りのおはなし」
  本研究会では何度か同じ演題でお話させていただいた。今回も内容は同様であり、加撚方式・空気加撚装置・走行糸の撚伝達機構・空気加撚装置の応用 である。
中心となるのは、走行糸の撚伝達機構であり、撚りの伝達即ち繊維集合体中のトルクの伝達を粘弾性体として捉えた。空気加撚の応用ではセルフツイスト糸・セルフィル糸について述べる。
壁矢 久良
2013年1月15日
再講演シリーズ その3 「ニットの世界〜横編を中心に〜」
  (初回講演=2003年3月)  2003年から2004年にかけて3回講演した「ニットの世界」の講演内容を基に、一部内容を修正、更新した再講演である。「編む」という機構を、ニットを専門としない方々にも理解できるように、平易に解説する。今回は、丸編と横編の共通点・相違点や、たて編(経編)とよこ編(緯編)の違いについても言及する。
高橋 光雄
12月18日
東京農工大学科学博物館の図書資料について
   蚕史研究会編「蚕糸関係書籍所在目録(T)」昭和52年刊によると、当館の最も古い図書資料は、『蠶養育手鑑、正徳2 [1712]』であり、また同目録からは当館にのみ所蔵の古書も見受けられる。貴重な資料に違いないが当館図書資料の全貌は現在明確ではない。従来放置されていた資料の整理に乗り出したがまだ道半ばにも達してない現況報告。
沖 愛子
11月20日
再講演シリーズ その2 「紡糸概論」
  (初回講演=2000年4月)  2000年から2003年まで4回講演した「紡糸概論」を、一部データを最新版に修正した再講演である。レーヨンやベンベルグのような再生繊維と、ナイロン、アクリル、ポリエステルのような合成繊維の製造について紹介する。また、繊維に関するSI単位についても説明する。
高井 英雄
10月16日
再講演シリーズ その1   「蚕織錦絵 〜教草を中心にして〜」
  (初回講演=2002年4月)  錦絵は1760年代後半に完成したと云われている。その20年ほど後に誕生し、評判になって次々作られた作労図「蚕織錦絵」と、わが国が初めて参加・出展したウィーン万国博覧会に向けて作った浮世絵「教草」の紹介。
五味 宏
9月18日
会場:12号棟
 L1213教室
”繊維技術研究会講演会”を振り返る その2
  本研究会の講演会は平成11年度から開催されてきた。原則として年11回行われ、現在までに120回を超えている。
今回はその講演内容を分類してその要旨を纏め、講演者の若き?時代の姿を写真で振り返る。
壁矢 久良
7月17日
会場:12号棟
 L1213教室
アンティークミシンとトラディショナルミシン
  名古屋市にあるブラザー工業(株)の「ブラザー・コミュニケーション・スペース(B.C.S)」 にはブラザー工業が製造したミシンのほかにも多くの歴史的なアンティークミシンが展示されている。
ここを訪れる機会があり、 館長の案内で見て回ることができたので、展示されている特徴的なミシンを写真と共に紹介する。
小林 成夫  
6月19日 ”繊維技術研究会講演会”を振り返る
  本研究会の講演会は平成11年度から開催されてきた。原則として年11回行われ、現在までに120回を超えている。
今回はその講演内容を分類してその要旨を纏め、講演者の若き?時代の姿を写真で振り返る。
壁矢 久良
5月15日 アジアの青年に教えた生産管理
  日系企業の東南アジアへの進出が続いているが、私は平成9年(1997年)から数年間、海外技術者研修協会(Association for overseas Technical Scholarship(AOTS))で、アジアの青年達に、「生産管理」を教えた。この協会は通産省系の機関で、海外進出した日本企業が現地人技術者を日本に呼んで教育する際に、まず、その受け入れ教育を担当する機関である。担当した国々は、インドネシア、タイ、フィリピン、中国である。これらの国の青年技術者に、原料、生産、製品の流れを資金管理も含めて管理する考え方を、演習問題も課して教育した。また、5Sの精神も教え込んだ。今回はその時の経験をお話する。
高井 英雄 
4月17日 最近の興味ある特許出願紹介
  紡績関係:ドラフト装置のオートレベラ、紡績機の糸班検知器、スライバのコイリング装置。
  織機関係:ジェットルームのノズル、流量制御弁、補助ノズル、織段防止法等に関する出願を紹介する。
西村 俊勝  
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    2011(平成23)年度開催 講演会一覧(実施済み)  
年月日 テーマ 講師
2011年4月19日 蚕種紙(タネガミ)
蚕が卵を産みつける紙を種紙という。蚕糸の歴史を紐ときます
五味 宏
5月17日 人工皮革とスエードの開発 その2
  3月15日講演の続き 講師都合により中止   日程をずらしました
岩島 寛
6月21日 人工皮革とスエードの開発 その2
  3月15日講演の続き
岩島 寛
7月19日 特許で見る織機の技術開発
 手織織機から現在のジェットルームに至るまで、織機は技術開発を遂げた。
そのうち明治時代を中心に主として杼打ち、杼替え等の緯入れ機構の特許をリストアップした。
西村 俊勝
9月20日 中国ニット工場の品質問題と現地指導方法の実態 その2
  中国の経済、賃金、国民所得水準や紡績工場、縫製工場、ニット工場の生産能力、品質水準、品質管理方法を解説する。 また、日本の繊維産業が中国での現地生産にどのように関わっているか、管理方法、品質基準、検品方法、検査方法などについて、実例を挙げて解説する。
高橋 光雄
10月18日 なぜ100年前にエアジェット織機か?
  こんにち、Yシャツ地やデニムなど量産織物の多くがエアジェット織機で織られている。エアジェット織機 の起源は100年前の1911年(明治44)にアメリカで出願された特許からと、云われる。100年前といえば、ようやく自動管替え式シャトル織機が世 に出回り始め、豊田佐吉が自動杼替えシャトル織機の開発に取組んでいた時期である。そんな時に、いったい誰が、何の目的で一足飛びにエア ジェット織機の開発を思いつき、実用化を試みたのか。
葛西 成治
11月15日 農工大科学博物館について
  繊維技術研究会の活動目的の一つに科学博物館の展示・啓蒙活動を支援する事がある。その活動を行うためには、大学の博物館の社会的価値を明確にする必要が有りと考え、他大学の博物館の実態、 更には博物館の価値観の変遷を調査した。その調査結果から期待される博物館像を明確化した。この明確化した内容を今後の繊維技術研究会の活 動指針として提案したい。
徳山 則
12月20日 台持ち工の編成理論
  紡績のオペレーション技術は、言葉にすると、ごく常識的な言葉になってしまう。たとえば、整理整頓、QC7つ道具、etc。 しかし、これを実施に移す時には、その場その場で 大きく変わる。
@工場操業の理念はどうなっているか。
A機械の新旧、整備状態のレベル、操業用品(ex.ボビン)の良否、・・・・
Bオペレーターの練度(経験、習熟度、etc)、老若、地域性、国民性、・・・・
C指導する人の人間性、人生観、対人能力、相互信頼感、醸成、・・・・
紡績のような労働集約産業におけるオペレーション技術は、このCのウェイトが高い。 そしてその人がいなくなると、その技術は消える。
柿内 卓
1月17日 趣味としての鎌倉彫
  定年後、趣味として若い時から興味を持っていた鎌倉彫を始めています。主に参考文献のスライド写真を見ながら鎌倉彫について話します。
  @鎌倉彫のなりたち   A後藤家と三橋家、100年間の品質保証書
  B伝統工芸と鎌倉彫教室   C彫りと塗り   D作品例
岡村 龍也
2月21日 バングラデシュの繊維 〜ノクシカンタ、サリーから力織機まで〜
  人件費の安さから注目されるバングラデシュは、世界最貧国と位置づけられています。この国は未だにガンジーの推奨したカディ(手織り綿)を織る村が残り、女性が家族のために作り継いできたノクシカンタは最大の輸出品となっています。また少しづつ進む近代化の一端として力織機が活躍しています。そんなバングラデシュの一部を紹介します。
石澤 砂月
3月27日 日本における近代建築の保存運動について  〜帝国ホテル旧館の事例を通して〜
  近年、産業遺産や近代化遺産の社会的関心が高まり、文化財登録制度の導入など文化財の対象も大きく広がりを見せている。建築界では、1960年代から明治期以降の近代建築の保存要求が開始された。しかし近世の社寺建築などと異なり、現代社会の経済活動の中で取り壊しの動きはいまだ後を絶たないのが現状である。
  今回は最初期の事例である帝国ホテル旧館の保存運動の紹介と共に、日本における近代建築保存運動の問題点について述べる。
高木 愛子
(科学博物館助教)
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   過去の講演会一覧

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