1999年6月国立環境研究所公開シンポジウム ポスター発表より

関東周辺の山岳域における森林衰退
 最近関東周辺の山岳地域で大規模な森林衰退が見られ、大きな問題となっています。一体何が原因なのでしょうか?
<森林は大事な水瓶>
 関東の北部、日光の奥白根山ではその南東斜面に十数年前までたくさん生えていたダケカンバがほとんど枯れてしまっています。森林の樹木は雨や雪の水を蓄え、自然の貯水池となっています。このような木が今以上に少なくなれば、それでなくとも毎年のように水不足が叫ばれている大都市では、さらに状況が深刻なものとなるでしょう。
 日本は水の豊富な国であると思われています。たくさんの清流があり、家庭では蛇口をひねれば簡単にきれいな水が手に入ります。でも1年間に日本に降る雨の量を人口で割り算した、一人あたりの降雨量として計算すると、実は中近東の砂漠の国々より少ないのです。私たちが豊富な水を使うことができるのも、森林の樹木が水を蓄えてくれているおかげだと言えます。このような大事な森林を失うと、本当に取り返しのつかないことになります。
<ただの自然現象なのだろうか?>
 ところで、関東の北部、日光の山々ではダケカンバ、ミネヤナギ、ミヤマハンノキ、シャクナゲ等の広葉樹からオオシラビソ、コメツガといった針葉樹まで、様々な種類の木が枯れています。世代交代や樹種の更新とは考えにくい状況です。また気象的な要因のような自然現象によるものであれば、一度被害を受けても、また次第に元の状態に回復していくのではないかと考えられますが、ここ何年か森林の様子を見ていると、枯れは進む一方で、どうも回復しているような兆しは見られません。日光の山を見ると、樹木の衰退は主に南東側の斜面に集中し、北側の斜面は割合健全です。奥白根山の隣の前白根山につながる尾根筋では、尾根とその南東側では激しく木が枯れているのに、北側の斜面は青々としているというところがあります。昆虫や鹿が南東面の木だけを食べて、北側の木を食べないとは思えないので、これも原因とは考えにくいと思います。
<山の上でもオゾン濃度が高い!>
 日光の山々の南東方向には東京・首都圏が控えています。とすれば、首都圏で放出されている大量の大気汚染物質が、何らかの悪さをしているのではないかということは、誰でもすぐに考えつくことでしょう。私達は前白根山の頂上近く、標高2,200m付近でオゾン濃度を測定し、夏、気象条件が整うと100ppbを越えるような高い濃度のオゾンが届いていることを確認しました。最近行われた環境庁の調査でも日光周辺で高い濃度のオゾンが観測されています。
<大気汚染による樹木へのストレス>
 首都圏で放出された大気汚染物質は、日中東京湾からの海風に乗って北上し、途中で鹿島灘からの東風と合流して北西向きの風となり、山の南東斜面にぶつかることになります。樹木は空気を浄化してくれますから、逆に樹木は汚れた空気を吸収していることになります。汚染された空気やそれを吸収した霧などが樹木にあたるため、長い間に樹木の勢いを奪ってきた。ボクシングでいえばボディーブローのように、一発ではノックアウトできないけれど、長い間にじわじわ聞いてくるパンチが樹木にあたってきたため、樹木が弱り、そこに何か別の要因が加わって木が枯れているのではないでしょうか。とどめを刺したのは風だったり、低温だったり、キノコ ( 特にナラタケは樹木の内部に菌糸を延ばし、養分を奪って木を枯らしてしまうことが知られています ) だったりしたとしてもです。このような場合、樹木の枯れの原因を何といったら良いのでしょうか。私達は大気汚染物質 ( 霧、特に酸性の霧を含めて ) が原因であるというべきではないかと思っています。人間の場合でも、長い間ガンで病床にあった人が最期、心不全や肺炎で亡くなったとき、死因を心不全や肺炎とせず、ガンとすべきだろうという流れになっています。それと同じことが樹木にもいえるのではないでしょうか。
<森林を守ろう>
 森林の樹木が果たしている役割は非常に多岐にわたります。水の貯蔵だけではありません。一昨年、京都で開かれた地球温暖化防止国際会議でも、人間が放出する二酸化炭素の削減目標に加えて、1990年以降の新規の植林、再植林及び森林減少に係る吸収及び排出を考慮に入れることが決められました。また、上流に森林を持つ川の河口やその周辺の海は良い漁場になることが知られています。森林が蓄え、放出する有機物などの栄養が魚の餌になるプランクトンを育てるのに欠かせないそうです。積極的に植林を行っている漁業関係者がいるほどです。このように森林の樹木は水、空気、そして多くの動植物を通して私たちの生活に密接に結びついています。
 日本では子供が山の絵を描くと山は緑色に塗られることが多く、山に樹木が茂っていることをあらわしているのですが、諸外国では土の茶色に塗られることが多いといいます。山野を覆う緑の量の違いを表すものでしょう。我が国に残されている貴重な緑を大切にしたいものです。

北陸・山陰地方の森林衰退
 森林衰退が広がっているのは大都市周辺だけとは限りません。山陰地方から北陸地方の沿岸では広い範囲にわたって森林の衰退が見られます。
<北陸の日本海沿岸で森林衰退が起きている> 
 福井県の敦賀の北、敦賀半島では数年前からミズナラなどの広葉樹が、8月のまだ紅葉には早いと思われる時期に葉が真っ赤に紅葉したようになり、その木は翌年には枯れてしまうという現象が見られます。8月の、まだ暑さの盛りに、真っ赤に紅葉したような木が山の上から下まで広がり、またそのそばには昨年以前にそのようになって、今年はもう葉が出ていないという枯れた木がたくさん並んでいます。地元の林業試験場の方によれば、このようになった木には必ずキクイムシが入っているが、同じ種類の木でも、健全な木にはキクイムシは入っておらず、何らかの要因で木が弱るとキクイムシが入って葉が真っ赤になり、翌年には枯れてしまうとのことでした。また弱った木の根を調べると、通常は木の根に共生して樹木の養分吸収を助けている菌根菌が非常に少なくなっているという話も伺いました。同様な被害は福井県だけにとどまらず、京都府や兵庫県の日本海側に広がっているとのことです。
<酸性雨 ( ) が原因ではないだろうか?>
 樹木の被害はなかなか原因が特定しにくいのですが、ここで述べたような状況は、酸性雨 ( ) →菌根菌の減少→樹木の衰弱→キクイムシの侵入→樹木の枯死という流れを指し示しているように見えます。日本海側では、雨や雪の酸性度を調べると、夏より冬の方が高く、太平洋側とは逆の傾向です。また、積もった雪がとけるときには、雪の中の酸性物質が早く流れ出して、酸性度の高い水が土壌に浸透して行くことも知られていて、いずれも酸性雨 ( ) と森林被害との関連を指し示す状況証拠となっています。
<大山キャラボクも枯れた>
 一方、平成8年6月、鳥取県の大山の頂上付近で、天然記念物のダイセンキャラボクが雪解けとともに一斉に枯れてしまったとの新聞報道がありました。キャラボク以外の木にも広範囲に枯れが見られました。大山といえば中国地方随一の名峰ですが、日本海に直接面し、冬の気象条件の厳しいことでも知られています。冬季には、いわゆる冬の季節風が大陸から吹き付けてきます。福井の樹木被害ともとは同じなのではないかと考えられます。
<酸性物質はどこから来るのか?>
 もし酸性雨・酸性雪が植物被害の遠因だとすると、原因となる物質はどこから運ばれてくるのでしょうか。この北西季節風の風上には韓国や中国といった、今急速に経済発展を遂げている国々があります。これらの国で放出された大気汚染物質が季節風に乗って、日本海側に輸送されてきているのではないか、との推測は誰でも容易につくことでしょう。単なる推測ではなく、もう少し直接的、科学的な裏付けは得られないでしょうか。

<空気はどこを通って流れてきているのか?>
 その1は、たとえば大山にどこを経由した、またはどこを発した気流が届いているのかという点です。大型のコンピューターを使い、世界の気象データを用いて、ある場所 ( 緯度、経度、高度を指定して ) に到達した空気の塊 ( 気塊と呼びます ) がどのような経路を経てそこに到達したのかを計算することができます。これを流跡線と呼びます。1992年の1年間に大山山頂に到達した気塊の流跡線を計算してみました。それを上図のような4つの領域に分けて、どの領域を経由して気塊が大山山頂に届いているのかを調べてみたのです。その結果、Aと書いた中国及び韓国の上空を経由する経路が32%、Dと書いた中国南部から北九州を経由する経路が22%で、両方あわせて、この狭い領域からの気塊が54%をしめることがわかりました。この領域にはいずれも現在すごい勢いで経済発展を続けている韓国と中国があります。その上空を通ってきた気塊が大山の山頂にかなりの割合で到達しているのだということがわかりました。
<高い濃度の汚染物質は実際に海を越えてくるのか?>
 その2は、実際に高い濃度の汚染物質が海を越えて運ばれているのか、という点です。気塊が来ていても汚染物質が含まれていないなら問題はないわけです。私達が小型の飛行機を使って、隠岐島近くの日本海上空で大気汚染物質の観測をしたところ、1992年11月の観測で非常に高濃度の二酸化硫黄 ( 亜硫酸ガス ) を検出しました。海の上にこのようなガスの発生源はありませんから、その時の風向きから考えても大陸から輸送されてきたものだといえます。
<早く対策をとることが必要>
 大都市周辺にしても、日本海沿岸にしても、森林被害の原因はまだこれとはっきり特定できているわけではありません。しかし、どちらも光化学大気汚染や酸性雨又は雪という人間活動に由来するものが原因になっているのではないかと推測されます。原因がはっきりしていないからと、何も手を打たないでいると、はっきりしたときにはもう手の打ちようがなくなっているかも知れません。環境問題には共通していえることですが、クロとはっきりしないうちから必要な対策をとっておくことが重要です。

戻るトップ