ピアノと私

藤森 隆文 

僕は大昔に少しだけピアノを習っていたのですが、

もはや関係なく、大学からピアノを始めたようなものでした。

「少しくらいは弾けるようになりたい。」

ピアノ部に入部する前はそんな気持ちでした。

しかし、先輩方の素晴らしい演奏を聴いて、

今日までピアノ部で生活してきた僕は、

「先輩方のようなステキな演奏をできるようになりたい。」

そう思うようになっていました。

ピアノ部には、素晴らしい先輩が大勢います。

そんな先輩方に近づくために、

自分自身が納得できるような演奏をするために、

先輩方の背中を追いかけながら

僕はピアノを弾きます。

 

   

私とピアノ

中村 士 

 ピアノではないが、私が子供の頃住んでいた家には電子オルガンが置いてあった。姉はピアノを習っていたが、家が小さかったためにピアノではなくオルガンが置いてあったのだろう。その頃、私は楽器には全く興味を示すことはなかった。確か、オルガンの上で寝転がった記憶もある。

 その後、私たち家族はもう少し大きな家に引っ越すことになり、アップライトピアノを父の知人から貰い受けることができた。今でも、姉が大喜びで弾いていたのを覚えている。しかし月日は流れ、姉も家を出ることになり、そのピアノはずっと眠ったままだった。そのころには私も楽器に憧れがないわけではなかったので、何回か弾いてみようと試みたこともあった。しかし、その当時は右手と左手を同時かつ違った動きをさせるということが全くできず、もともと飽きっぽい性格であることも手伝って弾き始めて1時間で挫折してしまったのがほとんどだった。

 だから、大学に入ってこうしてピアノを弾くようになったこと自体、いまだに信じられないのだ。今では、右手と左手も違った動きができるようになったし、楽譜もある程度読めるようになった。それはあまり趣味がなく、ただ学校に通うだけの毎日を過ごしていた私には驚くほど新鮮だったのである。10年間以上もピアノを弾いているピアノ部の仲間には技術ではかないようがないが、その分気持ちを込めた演奏をしようといつも心がけている。

 なぜピアノを続けるのか?と問われたなら、好きだからである。というあまりに単純明快な答えを胸を張って言えることが、今では非常にうれしくてたまらない。たとえ大学を卒業し、農工ピアノ部を離れたとしても、私の人生からピアノが姿を消すことはおそらくないだろう。どうやら半年足らずで、ピアノは私にとってなくてはならないものになってしまったようである。   

 

私とピアノ

赤木 健太郎 

 8年間野球をやっていた私がピアノを始めるなんて自分でも思っていませんでした。

 でもピアノを始めてみるとなかなか奥が深く、弾けば弾くほどピアノの難しさを感じています。  

せっかくピアノ部に入ったので、ピアノを弾ける男になって卒業したいです。

 

 

ピアノと私

藤岡 幸 

 ピアノはとても正直な楽器だと思います。ドの音をおせばドの音が出るのです。当たり前と思うかもしれませんが、上手下手以前に正しい音を出すだけで、もしくは音を出すまでにひと苦労する楽器もあるのです。私がピアノを始めたのは小額3年生のとき。仲良しの萌ちゃんが通っているから、私も!という何とも主体性のない理由からでした。当然そんな志で続くわけもなく、中学3年生のとき、高校受験をきっかけにやめました。大学でピアノを再びはじめたのは一度諦めて放り出してしまったものにもう一度向き合うことで自分の自信になったらいいな、と思ったからです。私にとってピアノはなくてはならないほど大きな存在ではないけれど、他の楽器を経験したことでピアノの良さを知ることもでき、またピアノを通していろいろな人と知り合うことができたので、今ではありがとうというべき大切な存在です。

 

 

私とピアノ(乙女の祈り)

ぴんぴん 

自分の家には産まれた時からピアノがありました。小さい頃、母が弾いてくれた「エリーゼのために」と「乙女の祈り」は忘れられません。

 ほぼ毎日のようにピアノを弾いていた母を見て、自分もカワイのピアノ教室に通うようになりました。唯一出たコンサートで弾いたのは「ミッキーマウスのマーチ」だったと思います。それを最後にピアノを触らなくなって10年、まさかピアノをまた弾くようになるとは母も思っていなかったようで、ピアノ部に入ると言ったときはとてもおどろいていました。

 いつからか母はピアノに触らなくなりましたが、我が家のピアノはまた「乙女の祈り」を奏でられる日を信じて、今も旋律を奏でています。

 

 

ピアノとぼく。

三宅 浩文

 本当にピアノが弾きたくなったのは高一の春。ショパンのノクターンを聴いていたときのことです。なぜか想いが募り親に無理を言ってピアノを買ってもらいました。それほどまでに感動が大きかったのです。

 

 それから高校3年の間こつこつと地道にピアノを引き続けました。一日に数十分といったところでしたが、そのときの努力は確実に今の自分のピアノライフを支えていると思います。

 

 農工大に入るまで、正直ピアノ部の存在は知りませんでした。

 それで見つけたときは「おお、またピアノが弾けるんだ!」と思い、速攻で入部しました。それこそが自分のピアノとの関係が更に深まる要因中の要因です。

 

 農工大ピアノ部にはかなり多くの部員がいて、それぞれの音楽があって、たくさんの影響を受けることができます。

 

 そうして多くの音楽にもまれていくことで自分にとってのピアノ・音楽というものの見方が変わってきました。

 これまでは、ただ自分の満足のいくままに弾ければそれでいいと考えていました。

 しかし、コンサートで人前で弾いたり、友達に聴いてもらったりしたことで、自分の気持ち、伝えたいことをピアノで表現していくことの喜びを知りました。

 拙い演奏ではあるけれども、誰か一人でも私のピアノの音を受けて感動してもらえるのなら本当に幸せなことだと思います。

  これからも私自身をピアノで表現していくことは止めないでしょう。いや、止められないといった方が適当です。

 ピアノが私の生活に潤いを与え、よりよい生活にしてくれることを切に願います。

 

 

ピアノと私

高村 努

 

小さいころから音楽はあった。

それがテレビだったり、ラジオだったり、ラジカセだったりするけれど、音楽があった。

たまたまピアノを習うことができて、ちょっぴり楽しかったのに、

部活と両立できなくて、続けてこなかったことを今後悔している次第…

だけど、ピアノ部に入るまで音楽に触れてこなかったというと、そうでもなくて、

 

『いつもそばに音楽があった』

 

嬉しいときも哀しいときも悔しいときも緊張するんじゃないかというときも

やっぱり音楽があったのです。

ピアノは音楽の中の一つであて、ピアノだけが、特別な存在だったというわけじゃない。

偶然ピアノを習ってて、偶然まだ家にピアノがあって、

たまたまそれがとても哀しいことだと思っていた。

 

『ピアノよ、すまん!ずっと弾かないままで、ごめん!』

 

こんな気持ちで、また始めたけれど、

今はピアノを弾くのが大好きです。

 

それは、音楽を聴く側から、聴かせる側での転換だったりするのです。 

 

ピアノと私

宮川 大地

 私がピアノを始めたのは5歳のときでした。キッカケは幼稚園のカワイイ子がピアノ上手だったから、というなかなかに不純なもので、こんな動機でただいま19歳、ここまで続くとは自分でも予想外のことでした。

 特に、途中辞めたりする訳でもなく、かと言ってよく練習したかと言えばそうでもなく、どちらか言えば練習嫌いでした。しかしピアノに触れていることは大好きでした。大学に入るまでのピアノは私にとって、「見回せば必ずそこに在るもの」であり、また、「使い込んだ遊具」でもありました。だからこそ私は、“ピアノと遊ぶ事”は好きでしたが、“ピアノを演奏する事”は嫌いでした。

 

――だって、演奏する事って、疲れるじゃないですか。

 

 しかし最近、私の考え方も変わってきました。このピアノ部に入部した事が私に影響を及ぼしたのは間違いないでしょう。ピアノに関して、いろいろな姿勢を持った人が居ました。その中には、自分では考えられないほどに、ピアノというものにシビアな姿勢を貫いている人も大勢居ました。私はそういった人たちに沢山の刺激を受けました。私が、時に厳しく聞こえる、いつもなら聞き流してしまいそうな彼らの言葉に説得力を感じたのは、紛れもなく、彼ら自身による演奏を目の当たりにしたからでした。ピアノに真摯に取り組んでいる人の演奏と言うのは、それだけの力を持っているものだったのです。

 私は「遊具」としてのピアノに、飽きたというわけではありません。

 でも、少なくともピアノを演奏する事も、嫌いではないと思えるようになりました。

 

 

ピアノと私

中村 美月

 私がピアノを習い始めたのは6歳の誕生日の少し前でした。

 当時の私は、ピアノの先生から次のレッスンの課題曲を出されると、その日のうちに弾けるようにと部屋にこもって「どうして弾けないんだろう、なんで弾けないんだろう」と泣き叫びながら練習し、母は私のあまりの剣幕に、怖くて声を掛けることも部屋に近づくことも出来ず()……そしてその何時間か後に「やっと弾けたーーーー…」とフラフラになって部屋から出て来たそうです。その話を母が当時の先生に話したところ、「いっぺんに弾けるようにならなくても、少しずつ出来るようになればいいという風に教えていきましょう」と言ったそうです。

 その甲斐あってか、その後、私は当時の自分が嘘だったかのように練習をあまりしない子になりました。途中までは『毎日ピアノに触れる』ことを目標にしていたのですが、学校生活が忙しくなったこともあって(言い訳)、ひどい時は1週間1回、それもレッスンの直前に慌てて練習するという荒技をこなしていました(先生ゴメンナサイ)

 大学受験を期にレッスンを辞めた時、先生や母から「大学に入ったら趣味として続けていけばいいんじゃない?」と言われましたが、その頃は練習も中途半端にやっていたし、ピアノに対する熱意も薄れてきていたので、「大学に入ったらきっと弾かなくなるだろうなー」と思っていました。

 

 そんな私が何故か今!この農工大ピアノ部に籍を置いています!!

 

 以前は私と先生との一対一のレッスンでしたが、ピアノ部では自分の演奏についてみんなの意見を聞いたり、人の演奏について自分の意見を言ったり、お互いにアドバイスしあうことで曲を作り上げていくというのが新鮮でした。時には色々な人にあまりにも色々なことを言われて混乱することもありますが…。

 また、他の人の演奏からは技術的にも表現力の面でも学ぶことが多いし、ピアノに対する姿勢を見て感心することもしばしばあります。私ももっと練習して、今よりもっと上手くなりたいと思うようになりました。

 さらにコンサート前には出演者がそろって行うリハーサルがあるため気が抜けず、練習も以前よりはいくらか真面目にするように(せざるをえない状況に)なりました。

 めでたしめでたし(◜ё◝)

 

 

羽澄 宏典

 そもそもピアノ部に入ってピアノやりたいと思った理由は単純で、今までやってきた部活動がすべて体育会系のものだったので、1度くらいは他の事もやってみたいと思い入りました。
 

 まあ、もう一つの理由として、取得してみたい資格の試験にピアノ弾くのがあったからというのもあったのですが。
 

 自分には、特に思い入れのある曲があるわけでもないので、これから演奏していきたい曲というのは、どんな人が聞いても分かるような曲を弾いていきたいと思っています。特に子供に。

 
 まだまだ始めたばかりで、演奏はひどく聞けたものではありませんが、がんばるのでよろしくです。


 

 

永井 恵子 

幼稚園 いつのまにやらピアノに出会う。


小学校6年 ピアノの先生が変わる。


中学校1年〜2年 本気でピアノを練習する。


中学校3年 東京農工大学ピアノブの存在を知る。

高校3年 東京農工大学志望。


推薦入試たなぼた的入学

大学1年 ピアノ部入部。

 

加藤 秀一朗 

しゅみ ですね。
でも好きな曲が全部
難しい曲だから困ってます。
英ポロとか木枯らしとかカンパネラとか・・・
とりあえず指が動かないのは事実。

 

ピアノとワタシ


今村 綾子

ピアノ......

 抹殺したいもの、それなしでは生きていけないもの。


 誰でも一度は経験していると思う。練習が嫌で嫌で仕方がない時期を。

「お母さーん。私何でピアノ始めたのー?私自分で弾きたいって言ったー?」
「そうよ、あんたが弾きたいって言ったのよ」
「うっそー」
4才から始めたらしいが、↑のピアノとの初めは全く覚えていない。
中2で本気でピアノを習うのをやめようと考える。しかし思い止まる。
しかし中3で高校受験を期に一旦休み(フェルマータ)。せいせいした。休み。
そして時が経ち高3、受験生...。
「大学どうしようかなあ、環境系...東京農工大学か...いいかも(と、大学紹介のパンフを見ていると)ん?なになにピアノ部、ピアノ部なんてあるのか?!」
その瞬間、心はもう農工大生。環境について学び、ピアノを弾く自分の姿が目に浮かぶ・・・<font face=Webdings>ゥ</font>
前期・後期を受け、見事!!沈没。1年間の猶予期間を与えられる。
 勉強漬けとは程遠い。だが、何気なく鍵盤を触ると心に風穴がふわりと開くようで、この気持ちは何だろう・・・。
忘れもしない2002年3月7日郵便やさんが持ってきた合格通知書にはなんと私の受験番号が!(これは何かのマチガイかもしれない...!!)

 かくして私は今農工大のピアノ部員。

ピアノ...精神を乱されるもの、精神を安らかにするもの。

 

 

「ピアノと私」

坂口 孝太



 入学式の日、桜の木の下をほっつき歩いていたら、「よお、飲んでいくか?」と声をかけられ、「はい、飲んできます。ジュースを(笑)」と応じたことが、コトの発端になります。話をすること十数分、僕が次に発した言葉。「ところでここって何部ですか?」笑いながら答えが返ってくる。「ピアノ部だよ」と。夕方に部室で身にコンサートやるから来ないかと誘われ、言われるがままに、行ってみると、新入生効果と相まって、すごいなぁと思うことの連続で、その後、教わりながら少し弾いてみると、あら不思議、「すみれ」の最初の1章節が両手で弾けたのです。今まで、両手でピアノを弾くこと=一部の人の芸当 と思っていた自分にとっては新鮮なものでした。調子に乗った僕はそのままピアノ部に居すわることになりました。

(※新入生効果:入りたてで、好奇心が普段より強く、何事にも感動する状態(造語))

 

ピアノと私

松木 基彰



ピアノは私が弾く。
ピアノが私をとりこにする。
ピアノも私も幸せです。
ピアノや私そして仲間たち。
ピアノを私が弾く。
ピアノで私がリラックス。
ピアノか私かそれとも酒か。
ピアノだ私だあんただれ?
ピアノに私の感情移入。
ピアノの私は大興奮。
ピアノへ私の手紙書く。
ピアノな私、ちょっと変?
ピアノい私大好きです。
ピアノく私を表現する。
ピアノる私は狂ってる。
ピアノじゃ私は満足しない。
ピアノよ私は愛してる。
ピアノ部私。

 

1983年9月生まれ。3才のとき親につきそわれヤマハのピアノ教室に行くが悪さをして入門を断られる。

4才のとき、母親がピアノを弾いているのを見て、「僕も弾きたい」と言ったことがきっかけで母親に習いはじめるが、すぐに意欲をなくし、その後8年間もいやいや練習をする。


中学生になり、バスケ部に入部したことを口実に練習をやめる。


高校生になり、ふとしたことがきっかけでピアノの練習を再開。
 

それから約3年間、私はピアノのとりこになっている。

ピアノを弾くことによって私の健康状態が保たれ、精神は安定する。

そしてピアノを弾くと指先が刺激され、脳が活性化すると思われる。

したがって皆さまにも特に最近物忘れが激しいと自覚される方は、ぜひピアノを弾くことをおすすめしたい。

 

 

森 崇嘉

うちには 当然のごとく 1台のピアノがありました.
まぁそんあんことはどうでもいいのですが.
私は幼少のころ母に少し教わった程度で
所謂,「習い事」としてピアノに接することはありませんでした.なので技術もへったくれもないです.
私が高校一年生の頃,一つの出会いがありました.坂本龍一の「ウラBTTB」です.何故か無性に当時CMで流れていた「energy flow」が弾きたくなったのです.
そこで楽譜を買い,全ての音符にドレミとふり体に覚えこませることでそれなりに弾くことができるようになりました.この時の達成感は今も覚えて...いません.
生憎この情熱は期間限定だったらしく.また,ピアノに全く触れない生活となりました.
そしてまたひょんな出会いがありました.
入学式の日 私の大学のピアノ部に勧誘されたのです.私は昔から「No」と言えない人間であり,少しだけ話でも聞いてやるべさってな感じで話を聞いて思ったことが1つ.
「ほんま,この人達はピアノが好きなんやなぁ」と.
あの時は結局部室まで連れていかれたのでした.
ピアノ部のノリについていけなかったなぁ.
そんな私も今はピアノ部員. 

 

 

森 敦司

 

ピアノが弾けたらいいな、と思うことがよくありました。でも、
ちょっと始めてみようかなと思っても、練習が面倒くさくてすぐ飽きてしまうのです。
ですが、簡単な曲が1曲弾けるようになるだけでも、ピアノをやる意味は十分
あると思うのです。人前で上手に演奏できたらすごく嬉しいだろうけど、きっと
それよりももっと楽しいことがあるのだと思います。ほんの少しずつ、地道に続けて
いけたらいいなと思いました。ピアノが弾けることへの憧れだけじゃなくて、
ただもっと普通にピアノに愛着がもてるようになれたらいいなあと思いました。

 

「ピアノと私」

谷山 裕紀



 ピアノと出会って早13年。途中何年か離れていたけれど、やはり今もやっている。人生は不思議なものである。始めは、好きでやっていた訳ではないのに、いつのまにか好きになっている。そんな感じがいいです。これからまだまだ長い人生の中で、「ピアノ」を大切にしていきたいです。

 

 

中崎 裕一

ピアノと私

いつ知り合ったんだろうか
気づいたら私はあなたを知っていた

時々あなたを嫌って避けたこともあった

しかしいつのまにか私はまたあなたと一緒にいる

やはり私はあなたのことを・・・・・・。。

 

田中 陽


 私は、小さい時、親にピアノ教室に入れられました。というか、気がついたらピアノ教室に通っていたというか・・・・・・。“男の子のくせにピアノやってる、変”みたいなことをけっこう言われて、けっこうつらかったです。
しかもピアノの先生は厳しく、10回練習してからレッスンに臨まなければならなかったんです。チェックらんがあって、0を10個分塗りつぶさないといけないんですが、私は3〜5回ぐらい練習して10個全部塗りつぶしていました。先生はもちろんお見通しで、けっこうキツイこと言われました。やっかいなことに、ピアノの先生と私の親は知り合いで、それもツラかったです。とうとう、ずいぶん後から入った年下の子達に追い抜かれた時、私はピアノ教室を止めました。小6の時のことでした。小5の子が、華麗なる大円舞曲を弾いてました。ちなみに私はトルコマーチ(byモーツァルト)を弾いてました。しかも楽譜1/4の所で止めてしまいました。

 中学に入ってからは、ピアノのことは忘れて、理科実験部→テニス部→バレー部とあちらこちらてんてんとしていました。飽きっぽい自分は何をやってもダメダメだと思いました。
そんな頃、またピアノが弾きたくなりました。そんなわけで、合唱コンクールのピアノ伴奏を引き受けました。クラスメイトに迷惑をかけてしまったら大変だと思って必死に練習しました。マイペースな私がこんあに練習をしたのは、生涯において、これが最初で最後だったのではないでしょうか。それなりに弾けるようになったのですが、不幸なことに、指揮担当の女生徒が私の宿敵だったのです。(彼女は、私のことをどう思っていたのかはわかりません。)私は音楽教師の指示に従って演奏するのみで、はっきり言って、指揮棒(者)は無視していました。後になって、聞いたうわさによると、私のクラスは金賞候補だったらしいけど、指揮とピアノが合っていなかったという理由で銀賞になってしまったようです。それを聞いて、無償に自分のことが情けなくなり、自分の存在価値が無意味なように思える程でした。ただ1つの救いは、合唱隊が指揮者ではなく、私のピアノ伴奏に合わせてくれたことでした。またピアノを嫌な思い出にしてしまったので、高校生の頃は、バレーボールをやっていましたが、悲しいことに全然上達しませんでした。自分はスポーツに向いてない事がわっかたので、大学に入ったら、文科系のサークルに入りたいと思いました。高校卒業をする時、芸術科の卒業コンサートに行った時とても感動したと同時に、後悔の念が込み上げてきました。私もまじめに練習していれば・・・と。「今さら遅いよ。」って感じですね。もはや。

 そんなわけで、もう1度ピアノとまじめに、向き合おうと思ってピアノ部に入りましたが、もうそろそろ昔のにのまえにを踏みそうなので、改心してがんばって行きたいと思います。

 

 

湯澤 孝之

 

ピアノ(部)と私

ピアノ部 = 部員×(コンサート+飲み会)
私    = ダメ人間
部室   = (心やすまる場所)×(汚い)×(くさい)
  松岡さん、みなさん、ごめんなさい。

問:上記の方程式からピアノ部と私の関係式を求めなさい。

 



「ピアノとわたし」


            美濃輪 駿



目次

一.紙飛行機の殺傷能力について
二.夜の女王の夜の生活(いとなみ)
三.「でらうま」
四.一日遅れのハロウィンと冷めたパンプキンパイ
五.夜の女王再び−イカ中毒
六.ピアノとわたし

 

北條 大樹

ピアノ・・・それは僕の恋人
嗚呼、それはまるで幻の様に
僕をすっかり馬鹿にしてしまう
デリケートなんだけど、
気まぐれなんだけど、
そんな彼女が大好き
平生(ひごろ)の喧騒とは無関係だから
一生一緒にいれそうな気がするな

 

 

よこくら せいじ

つい6ヶ月くらい前までは、音楽室にあるもの、又は
体育館の舞台のはじっこにあるもの、又は、ちょっと大きな
デパートの5階〜7階にあるものだったピアノ。
それが、少しの勇気と勢いで、週6日は触れるものへと
変貌をとげちゃいました。
ピアノバンザイ。

 

田嶋 慎太郎

ピアノというものは謎だらけである。
さわれば簡単に音が出せる。学校に必ず置いてあり、音が聞こえるとみんな
笑顔になる。
実際曲は簡単に弾けない。家には中々置けない。万が一買うとなると親の笑
顔は消える。

そんな私がなぜ音楽をしているのか。そしてなぜピアノ部に入っているのか
。少し考えてみようと思う。

1992/12/25…ある朝、私は目覚めると、そこにはキーボードが置かれていた。
1993/06/03…ふと気がつくと、私はピアノレッスンを受けていた。
1996/10/xx…父が海外出張を終えてタイから帰ってくると、そこにはアップライ
トピアノが置かれていた。
1998/xx/xx…このころからピアノレッスンをやり過ごす初見演奏能力がめきめき
と育つ。 


2001/04/xx…中学校に合唱部が設立され、なし崩し的に伴奏者に抜擢される。
2003/04/xx…近いというだけで高校を選び、なんとなく吹奏楽に手を出す。
2004/03/xx…ホルンを買わせる。もちろんピアノもちゃんとやる。
2004/06/xx…半音の10%の誤差がなんとなくではあるが聞き取れるようになる。
2005/12/xx…受験のためピアノレッスンを休業。事実上の辞退のはずであった。

2006/02/24…早起きをする。荒川静香の演技を生放送で見る。
2006/02/25…早起きをする。さあ、大学の2次試験だ。

2006/03/08…合格発表は静かにパソコンで確認。交通費がバカにならないからで
ある。 

2006/03/15…合格手続き後、サークル関係者による素晴らしき花道を通る。ここ
でピアノ部の存在を知る。
         誰と話したかは正直覚えていない。少なくとも選りすぐられ
た安全人の集まりであった。
2006/04/07…ついに入学式。その後サークルオリ。ドラえもんとドラミにピアノ
部の説明を受ける。
2006/04/15…野外に敷かれたブルーシートの上にピアノ。看板要らずである。入
部金を払う。
他、数点の異変に気付く。しかし時既に遅し。初めて一睡
もせずに朝を迎える。

なにかに出会うか否かで、人生は簡単に変わってしまう。偶然の連続なので
ある。 

男である身としては、音楽の輪から導かれる出会いはとても良いものが多い
と感じる。とくに異性との出会い。
そんなある種の魔法にかかってしまった私。魔法からは決して逃れられない
。ここまでくると悪夢とも思える。
音楽の悪魔に翻弄されつつ、私は今日もピアノに立ち向かうのである。

 

 

安本 聖理奈

親に通わされたピアノ教室。

嫌だったのに嫌と言えなかったピアノ教室。

週に1回30分しか練習しなかったピアノ。

好きなのか。嫌いなのか。よくわからなかった。

だけど、わたしの人生には欠かせないもの。

ということだけはよく分かる。よく知っている。



一度、あなたを手放してしまった。

後悔。

わたしはあなたに励まされて、ここまで来れたんだ。

ってことに気がついた。

もう二度と手放さないよ。

 

 

「ピアノとわ・た・し」

原 卓也


 確か、家でピアノという存在に出会ったのは妹がピアノを習い始めたからであって、それまでは興味を示さなかったかもしれないけど、何かオルガンが家にあったようななかったような、それでそのときはむちゃくちゃ弾いてたような弾いてなかったような感じで・・・・・ていうか、何書いてるんだ、こいつは。
 
 これまでの人生でピアノを習ったという経験はないが、勝手に弾いてたりしてた。けど、クラシックみたいなやつは一度も弾いたことはない。だってむずかしそうなんだもん。

 で、どうしてピアノ部に入ったかというと、単純にゲーム好きで、あのゲームのサントラを聞くと、心が癒されるというか心に響く感じで、こういうのを弾けたらいいなと思って入部した。

 未だに両手弾きができないが、早く上達して、あの曲とか弾けるようになりたいと思っている今日このごろでした。(文章が下手だな、おい)

 

浅原 未来

仲良くなりたいな。

 

 

ぴあのとあたし

岩崎 あすか

私の通っていた幼稚園は放課後にエレクトーン教室が開かれていたそうで、ある日お母さんが迎えに来た時エレクトーンの椅子にちゃっかり座っていたそうです。それから弾く楽しさを覚えてはじめることにしました☆

ピアノを始めたのは小学校にあがるときで、家の近くにエレクトーン教室がなかったのでピアノをはじめました。
それから8年通って、高校受験をするためやめてしまいました↓

でも大学に入って、もう一度ピアノにふれてみたくてピアノに入部しました!
これから自分のレパートリーをふやしていけるようにがんばります★

 

 

石井 大介

ピアノは小さいときからはじめて今までなんとなく続けています。それでもやめ
ないのはやはりなんとなく弾きたいと思うからでしょう。

 

 

匿名希望その1

 私は昔から音楽の才能というものには皆目恵まれなかった。幼稚園では大太鼓、小学校では鍵盤ハーモニカといった単純な楽器で挫折し、中学に至っては40人参加する学年の合唱部の大会で只一人選ばれなかった程のつわものだ。先生は声がわりのせいと言ってくれたけど…。
 そんな私だが昔からピアノだけはいつか挑戦したいと思っていた。理由は始めて海外へ行った11歳の年にみたピアノ弾きに対する憧れである。そこはホテルのロビーだった。彼はフォーマルな黒のスーツを身に纏い、厳しい(ようにみえる)顔で鍵盤に向かっていた。ロビーは広々としていたが、人は余り居なかった。ただ、彼が演奏を始めると人々は本を置き、足を止め、観客は増えて行った。曲が終われと彼は打って変わって素晴らしい笑顔を彼の客達に向け、客も拍手でそれに応えた。ああ、音楽っていいなぁ、と音楽に対する経験も知識もない私も漠然とした憧れを抱いたものだった。それから十年近くたったけど、私は相変わらずなんの楽器もつかえない。歌も歌えない。でも、今はピアノ部に誘ってくれた人に感謝してせめて卒業までに少しでも弾けるようになりたいと思っている。お金を返してから…

 

 

ピアノと私

税田 祥平

 僕がピアノを始めたのは小学生の時に親にやらされたのがきっかけでした。今ではあまり覚えていませんが、中学三年生の時にやめるまで何度も弾くのがいやになり惰性で続けていたのかも知れません。高校三年間はほとんどピアノから離れて過ごし、大学に入学する際また弾きたくなったのでピアノ部に入ることにしました。好きなときに好きな曲を気ままに弾くことが出来るようになり、前よりも楽しくなりました。仲間と教え合ったり、曲について語り合ったり、ピアノの先生に教えてもらうより多くのことを学んだような気がします。いまではやめる前よりも自分の感情を表現できるようになりました。そんなわけで僕にとってピアノは自分であり、鏡だと思っています。これからもピアノを好きでありたいです。

 

 

『ピアノと私』

中島あゆみ

ピアノは奥が深い。正式に向き合って早7ヶ月。でもまだまだ仲良くなれず日々精進。これからよい関係を築いていきたいo(^-^)o

 

 

ピアノと私

村田 勇次郎


大学生活を始める前の僕の生活は、喩えるなら味噌の抜けた御御御付けみたいなもので、大して熱中して打込めるような事も無かった。
中学校でも部活は三年間で適当に自己完結させてしまい、高校では何をする訳でもなくただ毎日を浪費して過ごしていた。

ただ繰り返される灰色の日常。

そんな高校生活も終わり、ただ近いというだけで志望したこの農工大で、何があったのかピアノ部に入部。正直なことを言うと気まぐれで踏込んだものの、見事に骨の髄までピアノに魅入られてしまった。(笑

工部生なのに週四で農学部に出没してピアノ弾いたり、家に帰ってもレポートを書かないで電子ピアノを弾き始めたりと、いつの間にかピアノは生活の中心になってい―――――あ、ハノン弾こっと♪

 

ピアノと私

倉持 由衣

ピアノを始めて13年ほどが経ちます。
ピアノと私の作文を書けとのことですが、なかなか浮かびません。ピアノに思い入れなんてたくさんあるはずだし、本当にピアノ大好きなのに…。
考えてもうまい表現が出ません。
ピアノは私にとっての空気のような存在なのもしれません。ない生活は考えられません。生活の中で感情の吐け口にしてる面もあります。ピアノがなかったら今ごろ私鬱病です。
ピアノのおかげで特技があったり人を喜ばせたり暇潰しできたり、いつも感謝感謝です♪
これからも上手にピアノと付き合っていきたいです。
将来の夢は、おばあちゃんになってもリビングのピアノで優雅にピアノを弾くことです☆

 

匿名希望その2

ピアノと私の出会いは四歳のころでした。それからつかずはなれずの状態で大学入学をむかえました。それまでは他のことをしていてあまりピアノを弾いていませんでしたが、ピアノ部の存在を知り、またやってみようと思いました。それからピアノのおもしろさに再び気付き、今日にいたっています。これからもたのしくピアノを弾いていきたいと思います。

 

 

『ピアノと私。』

東浦 裕紀


 ごめんなさい、何か文章以外で『ピアノと私』を表現したかったのですが、交通事故に巻き込まれてそれどころじゃなくなっちゃいました。そう、私、今怪我のため自宅療養中なんです。そして私は一人暮し。すなわち、ピアノが弾けません。そうして改めて思うことは、『ピアノが無ければ死んでしまう』。少し大袈裟かもしれませんが、まぁそれぐらい私にとってピアノが大事だと改めて認識しています。ピアノを奏でることは勿論、ピアノ自体にも私は惚れ込んでいるようだ、と、事あるごとに思い知らされます。小学5年生の頃から本格的にピアノレッスンを始めました。家にピアノが来たその日から、私の側には常にピアノがあることになりました。気がつくと、ピアノと私は一心同体のようでした。柔らかい木の質感は私に安心を与えました。触れているだけで落ち着き、ピアノの蓋の上に顔を乗せ、う
っかり眠ってしまうこともありました。私にとってピアノを弾くことは、自分の心をさらけ出すことです。ゆえに、ひどく落ち込んでいるときや傷付いている時は、ピアノを弾けませんでした。音はあまりにも正直で、隠したい心を隠すことができませんから。
 今思えば、どうしてそれほどまでピアノに入れ込んでいた私が、はるばる東京まで一人暮しをしようと思ったものです。結果的に地元にいるよりもピアノに触れられることになったわけですが…。ピアノ部に入って、四六時中ピアノに触れていると、よくもまぁ自分はピアノ無しで生活する気だったなぁと思います。ピアノ部があってほんとによかった。いやマジで。しかも農部生でよかった。だって24時間弾き放題なんですもの。
 旋律は、言葉です。弾くことにより、私はようやく感情を昇華させます。自分のため、或いは遠いほど愛おしい彼方のため、私はピアノを弾きます。常に私の傍に有り、変わらず音を紡いでくれるこの弦楽器に感謝しながら。私とピアノ−−私は、ピアノ。そしてピアノは、私。

 

 

Klavier

ぴあの、ピアノ、Piano・・・
どの響きも素敵ですが、私はKlavier(独;クラヴィーア)という響きが一番スキです。
Klavierは、奏でる音色もさることながら、単語の響きも素晴らしいのです!!私はそんなKlavierにメロメロです(笑)
でも、普段は“ピアノ”と呼んでおります。。。そりゃあもう、Klavierなんて呼んだ日には、きっと恥ずかしくって倒れちゃいます!
そんな“ピアノ”との出会いが何だったかは忘れました。でも、今はたくさんの思い出ができました。
そんな中で“ピアノ”を通じて友情ができたこと(ピアノ部への入部)は、私の人生で最大の出来事です(ちょっと大袈裟かも?!)。とりあえず、今はまだ“ピアノ”との付き合いが続いております。喧嘩する時も多々ありますが、これからも仲良くやっていきたい、といのが今の私の願いであります☆

 

 

立見 紗希子

 

堀内 悠

 

アライ サトコ

 

マッピー