雑文を書くこと
ずいぶんと若い頃、「趣味はなんですか?」と聞かれ、「読書と音楽鑑賞」と答えると、「今時、本を読まない人も音楽を聴かない人もいないよね」と同席者に言われ、それ以来、そんなふうに答えるのが嫌になり現在に至っている(皆が同じ趣味であっても全く問題ないわけで、おかしな話だとは思ったが)。それ以来、「無趣味です」と回答するのもあまりにも偏屈なので、適当に答える癖がついてしまった(例えば、登山とか・・)。労働基準監督的には、大学の先生の趣味は「研究」ということになっているが、やはり「研究」は仕事なので、仕事以外の活動という定義から趣味にはならない。
弊HPには、“趣味:NMR、スポーツ観戦”と書いてあるが、これは10年ほど前に確固たるものを持って、適当に書いていたわけではないが、どちらも怪しくなってきている。NMRは、油断しているうちにシステムの発展に取り残された感が満載で、自分で測定できなくなっていて、とても趣味と言えなくなってしまっている状況である。たとえ上手く操れたとしても、農工大という組織を離れたときに、NMRを楽しめるかというと「自宅の離れにNMRを設置」でもしない限り、難しいことなので、これからNMRを趣味の域まで戻すことは、あまり意味がないことかもしれない。スポーツ観戦は、今でも好きなことは好きだが、その醍醐味は「生観戦」にあり、これができなくなってきている(気力を失っている)時点で、アウトだと思っている。
親切な先輩はいらっしゃるもので、「趣味を持たないと辛いよ」と何回となく忠告された。例えば、「釣り」、「ゴルフ」、「テニス」、「水泳」等々、いろいろと勧められたが、結局、
・休日に早起きする必要がないこと
・散財しないこと
・一人でできること(ただし、一人でできるが、複数人での方が楽しいものを除く。散歩とか)
・体力を消耗しないこと
等々、自分なりに定めた条件がクリアーできていない。
というわけで、2018年の春から上記のものに加えて(代わって)「趣味もどき」として休日にこんな文章を書き、HPにアップするようになった。これまでに40を超える文章を書いてきたが、故柳田博明先生が「個の確立と個の発露」というタイトルのブログで、技術と社会に関しての持論を展開するようなものではなく、ましてや村上春樹氏が「風の歌を聴け」の中で「文章をかくという作業は、とりもなおさず自分と自分をとりまく事物との距離を確認することである。必要なものは感性ではなく、ものさしだ」といっているような、自分を見つめ直し、修復するような類のものではなく、「仕事のことから日常の些末なことまで」をいろんな視点から、できればサイエンスに絡めて、面白可笑しく紹介、というテイストが基本路線である。額に汗して書くタイプの文章ではないので、人心を揺り動かす意図はもちろんなく、読んでくれた人が、「こんな見方もあるのね」と思ってくれるだけで望外の幸せである。
いつまで続くかわからないが、「趣味」の域に達して、いつの日にか、このHPの趣味の欄に「雑文の執筆」と書けるように、もう少し続けて行こうと思っている。
それにしても「趣味について」とPCを叩くと、「面接官にうける趣味」とかの記事が上位にヒットしてきて、学生さんにとっても「趣味」は随分と難しいものなのだな、と感じます。。
おまけ(こういうのも趣味と言えば趣味ですが・・・)
問. サイコロの各面を絵具で色分けすることを考える。このとき、同じ色は2回使ってもかまわないが、互いに隣合う面の色は異なるようにする。絵具は6色用意されている。
1)3色使う場合の塗り方は何通り?
2)4色の場合は?
解答
1)6色のうち、どの3色を使うかは、6C3=20通り(色の選び方)。
異なる3色を1と6、2と5、3と4の各面に塗り分けることになる。この塗り方は3P3=6通り。従って求める塗り方は120通り(答)。
2)同様に6色のうち、どの4色を使うかは6C4=15通り。どの2色を2回使うかを考えると4C2=6通り。2回使う2色の塗り方は3P2=6通り、残りの2面を残りの2色で塗るので、2通り。従って15x6x6x2=1080通り(答)。
(ちなみに5色を使うときは、2160通り、6色を使うときは、720通りです)
(2019.6.26)