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富士山について

 NHK大河ドラマ「武田信玄」の中に、三国同盟を結ぶため甲斐の武田晴信(中井貴一さん)、駿河の今川義元(故中村勘三郎さん)、相模の北条氏康(杉良太郎さん)が、駿河の善徳寺で会するシーンがある。その中で、霊峰富士の話になり、義元が「甲斐から見る裏富士もまた別な味わいでござろうの」というと晴信が「甲斐でも誰一人、裏富士などと申しませぬ」と言い返しさらに、「古来、この霊峰富士の正面とは、手前に小山重なり、 その後ろに裾野隠して聳え立つ姿を申すそうじゃ。・・・・霊峰富士は霊験あらたかにして拝む山にござりますれば、下(しも)は隠してこそ正面、 尻丸出しの姿では霊験も消えてしまうというものだそうな。」と反撃している。「武田信玄」は1988年の作品で、当時、主演の中井さんは20代、中村さんは30代前半だったが、両名ともなかなか重みのある台詞回しは、さすがというしかない(いろんなドラマ・映画で描かれる桶狭間のシーンだが、このドラマのそれは演出、勘三郎さん(当時勘九郎さん)の演技とも圧倒的であり、今川義元というと中村さんが思い浮かぶ・・)。

 自分も甲州人ということで、周りの人間も含めて、「今日も裏富士が綺麗だ・・」などとは誰も言わないが、歌川広重、葛飾北斎も作品名に「裏富士」という言葉が入った作品を残しているように、当時の江戸の人たちは、普通に使っていたようです(駿河の人たちがどうかは不明ですが)。同じく駿河からの富士山をみて「尻丸出し・・」とも誰も言いません。

 実は自分の育った石和の駅周辺からは御坂の山々が立ちはだかり、下を隠すどころか、ほとんど頭しか見えない。武田信玄の本拠である躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)があった甲府市北部(山梨大学の少し北で、今は武田神社となっている)からは、確かにもう少し裾が見える。個人的には太宰治が3か月間逗留した御坂峠「天下茶屋」からの富士山が、一番の絶景かなと思う(太宰先生だが、翌年甲府の女性と結婚し、まさに武田神社の近所に住んでいたころ、生活もメンタルも安定していたと言われる)。

   
   2017年12月撮影@大蔵経寺近く

   
   2015年8月撮影@天下茶屋

 富士山には2回登ったことがある。1995年と96年の夏、佐藤研究室の有志と登った。1995年のときには、ワンゲル部の松田君という学生さんがいて「富士山なんて軽いんもんですよ・・・」という言葉に騙され、金曜日の夜、9時ぐらいまで普通に実験した後、有志4名で自分の車で御殿場口(表側)に上がり(コンビニでポテトチップとか魚肉ソーセージを調達)、12時ぐらいからアタックを開始した。彼の話では、5合目から3時間で山頂に到達ということで、「どうやって日の出まで時間を潰そうか」と皆で心配したが全くの杞憂に終わった。実際には、いろいろとトラブルが発生し、何より一般人には体力的にきつく、9合目ぐらいで御来光を拝むことになった。それでも何とか山頂まで辿り着き、お約束の御鉢巡りをして這う這うの体で御殿場口に向かった・・・。帰りの小金井までの道のりもなかなか酷いもので、運転手以外は山道のカーブで頭をウィンドーにぶつけながらも目が醒めないという爆睡振りで、もう二度と富士山に登ることはないだろうと誓った(結局、次の年も誘われて断ることができなかったが。このときは日中のアタックで、体力的には大分楽に感じた。とにかくよい子は夜中の強行登山のようなことはしないように)。そんなことがあり、一時、解説文などの自己紹介の欄には「趣味:登山」と書いていた。

 もう二度と富士登山はないだろうが、“表”も“裏”も眺めるのは好きで、新幹線に乗るとつい写真など撮ってしまいます。

   
  2018年1月撮影@新幹線

おまけ(富士山繋がりということで・・。2000年の静岡大学の入試問題で、マニアの間では有名な問題のようです)

  

解答例

  
  増減表は下記の通りとなる。
  

   

増減表は下記の通りとなる。
  
 というわけで、各関数をプロットしてみると・・・
 
x
の範囲を考慮すると・・・

  
となり、見事な“表富士”というオチとなる。

  


(というわけで、遊び心があります。“霊峰富士の正面とは、手前に小山重なり、 その後ろに裾野隠して聳え立つ姿”も書いてみたいものですが・・・)

(2019.6.9)