ポリスチレンについて
私の所属するソサイアティーの人間は化学オタクの場合が結構多く、酒を飲みながら、好きな溶媒とか反応のトップ3は何か?とかいう極めてマニアックな問題で盛り上がることがある。
ちなみに私の好きな溶媒は、テトラヒドロフラン(THF)である。沸点がそこそこ、水に溶けるという大変バランスのいい溶媒である。困ったときにはTHFを使うと反応がうまくいったりするので大変頼りにしている。他の化学オタクや歴代の学生諸氏等いろんな人から、あの臭いはダメだといわれるが、私はなぜか好きである。種々の化学反応ばかりではなく、アニオン重合やグループトランスファー重合(GTP)の重合溶媒としても、ファーストチョイスとなる(1997年にCornellのOber研に留学していたとき、後半の半年はGTPを使って材料合成をしていて、失敗も含め80回ぐらいTHFを使って重合に取り組んだ)。
残念ながらオリジナルの反応ではないが、Pd触媒を使ったC-Nカップリング反応を使ってトリアリールアミンを初めて自分で合成したとき(1998年ぐらい)、その反応のスマートさに感激したものだ。C-Nカップリングについては1995年に発表されたBuchwald
とHartwigの名前が有名であるが、当初の反応条件ではトリアリールアミンの合成は難しかった。それを可能にしたのが日本の東ソーの研究者による反応系のブラッシュアップ(主として配位子にかさ高く電子リッチなP(t-Bu)3を使う点)であり、有機EL等の材料合成に広く用いられている(Tetrahedoron Lett., 1998, 39,617, 及び2367、他いくつかの特許)。塩化物でも反応はスムースであり、1:1で仕込んでも反応は定量的に進行する。それ以前、トリアリールアミンはUllmann反応と呼ばれる過酷な反応により合成されていた。使用できるハロゲン化アリールは高価なヨウ化物のみ(過剰量)、200℃程度という高温条件で長時間が必要、多量のCu系の触媒が必要、生成物が非常に汚い(未反応物、多量のCu系物質及びよくわからない不純物を含んでいるので精製操作に非常に時間がかかる)、等々厳しさ満点だが、他にチョイスはなく、しぶしぶやっていたわけである。
特定の反応というわけではなく混ぜていると生成物の沈殿が出てきて、ろ過すると出来上がりという反応も好きである(当たり前か。ある種の色物系材料合成に使うKnoevenagel反応などがこれに当たる)。
溶媒、反応ときたら次はポリマーである。好きなポリマーというとその第一番手はなんといってもポリスチレンである。幼いころ、近所のプラスチックの装飾物を作る小さな工場のおじさんにペンダントの不良品を貰った。出来立てのペンダントには独特の匂いがあり、おそらく不飽和ポリエステル中に含まれる残存するスチレンモノマーの匂いだったのだろう(当然「これはスチレンの匂いだ」と認識していたわけではないが・・・)。溶媒でいうところのTHFと同じで「困ったときのポリスチレン」的な立ち位置である。
ポリスチレンはいわゆる5大プラスチックの一つであり、後日紹介するであろうポリビニルアルコールと同様に非常に教育的な高分子である。酢酸ビニルはほぼラジカル重合でのみ重合体を与えるのに反し、ポリスチレンはアニオン重合、カチオン重合、ラジカル重合とさまざまな方法で合成できる。酢酸ビニルと異なり、2重結合が他のπ電子系と共役構造をとっていることが、その特性に深く寄与している。
5大ブラスチックの一つであるので、身の回りにもさまざまな用途で使われている。卵のパック、CDとかのケース、発泡スチロール等々。3年生の授業でも話すのだが、レタスの包装材のゴワゴワした感じのフィルムはポリスチレン製である。レタスが繊細で硬さのある包装材でということもあるが、レタスは余計な水分があると根腐れや葉腐れを起こすため、水蒸気透過性の高いポリスチレンが使われる。
化学日報の最近(2018年6月)の記事によると、スチレンモノマーの価格は1500ドル/tonで高止まりの状況のようだが、汎用品なので研究室で使っている他の試薬類と比べると圧倒的に安い。これを唯重合しただけでは駄目だが、立体規則性や分子量分布などの一次構造制御により汎用品と差別化されることになる。例えば分子量を揃えて(重量平均分子量/数平均分子量の値が1.1以下)、標準試料となると価格は1万円/gになる(需給関係にもよるが)。高次な構造でいうと大きさのそろったポリスチレンラテックスや各種クロマトグラフィーの充てん剤の母材なども想像を超えた高い値段で売っている(昔は液晶ディスプレーのギャップを出すために使われたが)。この辺りが化学の真髄であり、いわゆる「安いもの」から「高いもの」を作るという最も重要な哲学となる。「高いもの」を作るのには、「技術」とか「英知」が必要となるのは言うまでもない。
工業的には、ベンゼンとエチレンからエチルベンゼンを合成し、脱水素する。古くはけい皮酸を熱処理し、脱炭酸することで合成した。スチレン誘導体ということを考えると(芳香族環に直接ビニル基が結合した構造)、Wittig反応も汎用性がある。芳香族環側にクロロメチル基などを導入し、フォスフォニウム塩とし、ホルムアルデヒドと反応させても、同様の合成ができる(この反応は水酸化ナトリウム水溶液を塩基として用いることができる数少ない反応である)。
研究をするようになっても、本当にお世話になっていて、主役であれ脇役であれ何らかの形でスチレンが登場する論文の数は相当あるような気がします。そのうち紹介します(主として微粒子系、クロマト系、共重合体の組成分別の試料、ブロック共重合体のセカンドブロックなど)。
(2018.7.8)