新宿御苑から始まる農工大150周年
東京農工大学は農学部・工学部共に新宿御苑の前身、内藤新宿試験場にルーツを持つ大学である。
農学部は明治7(1874)年に設置された農事修学場から駒場農学校、東京農林学校、帝国大学農学部実科、東京高等農林学校、東京農林専門学校を経て昭和24(1949)年東京農工大学となった。
工学部は明治7(1874)年蚕業試験掛から始まり、蚕業講習所、東京高等蚕糸学校、東京繊維専門学校を経て昭和24(1949)年に東京農工大学となった。
新宿御苑と農工大
近代農学の発展の祖となった内藤新宿試験場
新宿御苑の前身、勧業寮内藤新宿試験場に明治7年農事修学場、蚕業試験掛が設けられた。これらはそれぞれ東京農工大学の農学部(農事修学場)、工学部(蚕業試験掛)となる。東京農工大学創基150年を記念して、明治11年の古地図『内藤新宿勧農局試験場内麁絵図』に記されている各施設から養蚕所、農業博物館、農具製所、孵卵所、蜂蜜製所、製糸場、生徒寄宿所、水田、果樹園を取り上げて紹介したい。
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『内藤新宿勧農局試験場内麁絵図』宮内庁宮内公文書館
1 養蚕所
学理に基づく養蚕試験を開始。農工大工学部の祖となる
明治7年3月に内藤新宿農務課に養蚕掛が置かれた。内藤新宿試験場内には蚕室が設けられ、養蚕掛長佐々木長淳(ささきながあつ)の指導により養蚕が行われた(旧勧業寮年報撮要 第1回(明治9年))。国内外の桑、蚕品種の試験を行った。明治8年には蚕事学校建設のためさらに開墾し野蚕試験、夏蚕の試験が行われた。また、佐々木長淳により、蚕の内部形態、外部形態の解剖図が作図された。明治12年の組織改編により蚕事学校構想は中断し、明治17年内山下町に置かれた蚕病試験場が教育研究機関として再開する。
旧勧業寮年報撮要 第1回(明治9年)国会図書館蔵
養蚕所絵図『植物御苑建物図録明治年間』宮内庁宮内公文書館
2 農業博物館
学生の教育の場であった「農業博物館」
明治7年10月に作られ、各種の農業関係品類を蒐集して一般に縦覧するとともに、生徒の教育の参考とするものであった(『輯録』)。明治10年には農業博物館を仮教場として、農事修学場の学生の授業が開始されたとされる。
博物館及び土蔵植木温室の図より一部『植物御苑建物図録明治年間』宮内庁宮内公文書館
1Fは中央の板敷の広い部屋の他、左右に小部屋が設けられている。室内ガラス戸が取り付けられ、採光設備が備わる。
博物館及び土蔵植木温室の図より一部『植物御苑建物図録明治年間』宮内庁宮内公文書館
2Fも吹板で仕切られた場所はガラス戸と窓ガラスがはめ込まれた採光設備が整えられている。
3 農具製所
海外製の農機具の使用試験と製造を実施
国内各地の農具が収集され、農業博物館に展示されたほか、多くの外国の農耕具が購入され実用に適するものは製造が行われた。
農具製所及び細工場の図より一部『植物御苑建物図録明治年間』宮内庁宮内公文書館
建物図面を見ると、大型の農機具類が収納しやすいように中央から奥にかけて長細い土間が設けられている。