昭和61年頃に登場した、全国で3番目のジョイフルトレイン。ジョイフルトレインというのは、雑誌によれば「楽しい列車」の意だそうで、その名の通り団体専用列車として中部、関東、関西地方を人気抜群で活躍中。富山には5、6回来ている。
所属はJR東海名古屋車両区。専用機関車には、写真のDD51型791号機の他、EF65系、EF64系がある。
3月31日に、青森県弘前駅から、約1000km離れた大阪府大阪駅まで、生まれて初めて、寝台特急に乗ることになった。今から5、6年前に寝台急行「きたぐに」のB寝台に乗ったことはあるが特急ではない。居住性は全く違うし、完全にこちらの方がゆったりしていた。その時は3段式の中段、今回は2段式の下段なので、この差は大きいであろう。
この列車に乗るため、昨日、家を出て、その日の夜は、秋田県内の国民宿舎に泊まり、そして今日は、五能線に乗り、この列車が来る約2時間前から弘前駅にいたのであった。
20時頃、弘前駅のホームに入る。そして、20時15分、赤色の機関車に引かれて12両(電源車を含む)編成の寝台特急「日本海4号」が入線する。停車時間が短いので乗るとすぐにゆれだす。思わずこけそうになる。
全車両B寝台だが、だいぶ広い。そのためシーツをしくと長さが足りない。ところが、掛布団の方は長すぎる。掛布団は折り曲げて寝ることにする。
眠いので、秋田県内最初の停車駅にあたる大館到着、20時56分までに寝ようと思い、ベットに入る。しかし眠れぬ。どうしても寝る気がないのか寝れないので、ベットから外の風景を見ることにする。すると、真横に見慣れている車両が見える。特急「白鳥」である。この列車は明日の大阪到着直前に再度見ることになる。今の時刻は21時20分で大館はとっくに過ぎている。
東能代の辺りで車内の丸形蛍光灯が消える。しかし、通路の蛍光灯は消えない。秋田到着までには消えるであろうと思って、秋田までの50分、眠いけど我慢した。
22時32分、秋田発。しかし、通路の蛍光灯はまだついている。後でわかったが、通路の蛍光灯は、山形県内の羽後本荘辺りで消されたらしい。
秋田からは、いつの間にか寝ていた。しかし、この眠りも途中、なぜか途切れ起きてしまう。外を見ると、ちょうど鉄橋を渡る直前で、ぱっと見ると、阿賀野川と書いてある看板が見える。そのあとに、水原を通り過ぎる。新潟県内に入ったことになるが、見間違いかも知れない。どこか、ちゃんと分かるところまで待つ。
突然、スピードが落ちて、駅に停車する。2時30分頃の停車駅はないので、運転停車であろう。運転停車というのは、運転上の都合による停車のことで、客は乗降できないから、時刻表では通過となっている。駅名は新津である。さっき見てきた阿賀野川、水原駅はうそではなかったのが証明される。これから大阪までは複線になる。単線だらけだった東北地方から完全に抜けてしまったようで何となくむなしい。
また寝ようとするが、今度はすぐ寝れた。
約2時間たって、また起きる。空は白みかけている。しかし、まだ外は暗い。景色からして富山県に入っていると分かる。その瞬間、駅の灯が車内に入る。西入善である。鉄道部の部長が近くに住んでいる。しかし、その時は、ただの田舎の小駅としか思えない。列車の方も、そうとしか思えないのか、超高速で通過する。
5時07分、魚津着。この魚津から富山まで、一回特急で乗ってみたかった区間である。しかし、暗くて、何があるのか分からない。ただ、東富山を通過したときは素晴らしく思う。
5時27分、富山着。約1分の停車ののち発車する。これから大阪まで、まだ4時間半もある。ここまで来て、なぜ富山で降りないのか疑問に思われたかも知れない。実は、2月のある日、この列車は大阪まで行くのであるから、大阪へそのまま帰省しちゃおうということで、大阪まで寝台券をとったのであった。
6時15分、金沢着。ここでは8分停車する。富山をこの列車の後に出た、特急「しらさぎ2号」に抜かれる。
金沢を出てから、6時30分から車内放送を再開すると言っていた通り、6時30分ジャストに、車内放送が始まる。
「お早ようございます。4月1日午前6時30分です。今日は寝台特急『日本海4号』に、ご乗車頂 き有難うございます。ただ今から、車内放送を再開します。尚、車内販売は福井から開始いたしま す。昨日、駅弁を御予約になられた方は、車内販売員が行きますので、受け取って下さい。福井駅 の弁当を御予約になられた方は、後しばらくお待ち下さい。次の停車駅は加賀温泉、6時55分の 到着です。」
僕たちは、福井駅の弁当を予約してある。
福井では、特急にまた追い抜かれるため7分停車する。そのすきをねらって、弁当を積み込む。運転手も手伝うので、詰め込む前に発車することはない。その間に福井名物「かにずし」を購入する。 敦賀を通って、湖西線に入る。この時はいちばん暇なので、最後尾の11号車まで行って、後の景色を見る。さすがに踏切がないだけに速度が速い。しかし、広い客車とあって、車輪の音がそのまま聞こえる。
約1時間がたち京都に着く。
先ほど福井で抜いていった特急
は、もう大阪府に入っている。
新大阪でだいぶ人が降り、大
阪まではガラガラとなる。
大阪到着直前に、又、特急「
白鳥」とすれ違う。この特急「
白鳥」も今日の21時20分、
秋田県内でまた寝台特急「日本
海4号」とすれ違う。何となく
面白い。
9時56分、大阪着。13時
間40分の旅はこれで終わる。
前回から3回に分けて、本線の特集をすることになっていたが、今回はJR特急「スーパー雷鳥」号の乗り入れ中の立山線である(本線にも宇奈月行がある)。
「スーパー雷鳥」の、JR七尾線・和倉温泉行にともない、ついでに富山地鉄用にと一部が3両編成になったが、これは、富山の鉄ちゃん(鉄道ファンの意)にはあまり好ましくないのが実態である(ちなみに私も)。
こんな話で、広報の紙面の無駄使いをするつもりはなかったのだが・・・。
では、やっと、立山線の話をする。立山線は、電鉄富山−寺田−岩峅寺−立山を結ぶ、34.0kmの線である。主に、アルペンルート、立山登山の観光客等のおかげで発展してきた。筆者も、過去に60回ほど乗せてもらっている。
ここまでの書き方だと、問題がないように見られる。しかし、そこは地鉄のこと、しっかりと、問題を持っている。
それは、特急の停車駅が、季節によって変わるのである。もともと、本線と同じ位の本数を持っていたはずだったのが、最近では10本(アルペン特急、季節列車も含む)に、減り、いつのまにか、停車駅が定まらなくなったのである。やはり、これには、アルペンルート等の観光客での収入が主になっていることを物語っている。というわけで、協力のためにも、地鉄に乗って、有峰口に行ってみよう。
電鉄富山から…840円
次にあげる事柄のうち、自分に該当するものに、T<}ークをつけよ。
マーク欄 一、青春18きっぷは、使用後残している。 二、今までに行ったことのある線は、時刻表でチェックしている。 三、入場券を、70枚以上持っている。 四、旅行するときのスタンプ帳が、ちゃんとある。 五、火曜のサザエさんで電車の絵が日曜版の103系から205系に変わっているのを見て喜ぶ。 六、時刻表は、毎月購入しないと気が済まない。
さあ、どうだっただろうか。では、結果から、記す。
Tが 0個…普通の人
Tが1、2個…少し鉄道マニア
Tが3、4個…鉄道部員として、普通
Tが 5個…手におけない、鉄ちゃん
Tが 6個…完全な鉄ちゃん 次期部長 第2の宮崎 勤
あまりひどいと、周りの人々から危険視されるので、注意するようにしましょう。
おわび
先日の学校祭での私の言動は、ひど過ぎました。皆さんに、御迷惑をおかけしたことと思います。すみませんでした。
8月28日頃、同じ鉄道部員の山本君から電話があった。
「9月1日に七尾線に乗りに行かないか。」
僕も9月1日に七尾線に乗りにいこうかな、と思っていたので、もちろん行くことにして、翌日、山本君に行く意思を伝えた。
9月1日は知っている人もいると思うが、石川県の七尾線が今まで気動車(ディーゼルカー)だっったのが電車に変わった日であり、僕たちは電車化によって変わった普通列車と、七尾線に乗り入れることになった特急列車を乗りに行くことにした。
富山−津幡
8時10分、駅前派出所に集合という予定。
僕は、富山駅の北口で和倉温泉までの乗車券を買ってから派出所前に行った。着いたら3分ほど遅れていた。しかし、誰もいない。しばらく待つことにした。
ここで、今回の旅行に行く人を紹介しよう。
鉄道部員の山本君。同じく宮本君。それに呉羽中の中道君。そして僕。中道君は、途中の津幡から合流する。呉羽中の中道君とは、僕と山本君が友達。山本君は、ちょっとしたことで友達となり、僕は富山駅で列車を写しているときに知り合った。
紹介はこれでやめる。
そのうち宮本君がやってきた。2人で話をしていると10分が過ぎた。すると、やっと、山本君がやってきた。
駅の中に入ろうとしたが、この後に乗る区間の特急券を買ってからにした。
8時30分頃、1番線に8時38分発の普通列車が入線してきた。車内に入ってボックスを1つ占領すると、さっそくみんなの鉄道雑誌の回し読みを始めた。この後のことは覚えていない。
周りの風景に目をやると、倶利伽羅トンネルの手前だった。トンネルを過ぎると、そこは石川県。
それからしばらくすると、津幡に9時25分に着き、下車した。向かい側のホームには中道君がいた。僕たちは中道君のところに走った。
津幡−七尾
津幡駅のホームで待っていると、金沢方面から七尾線の電車のライトが見えてきたので、写真を写すためホームの端に行って、写し終わると走って乗車位置に行き、車内に入った。車内は改造してあるため、すごくきれいだった。結構、空席が目立つ。3人分づつ席が空いたボックスが2つ並んでいたので、2人ずつに別れて座った。
津幡を9時33分に発車したが、とても走り心地がよかった。ある駅で、僕の向かいに座っていた人が下車したので、隣のボックスの2人が移ってきた。それで、盛り上がった。中道君の写した写真を見せてもらったり、鉄道雑誌を読んだり、鉄道の話をしたり、と。
別のある駅で、対向の普通列車とすれ違うため、しばらく停車した。1番前まで行って対向の列車を写し、もう1枚写そう、というときにフィルムがなくなった。すぐに車内に入ってフィルムを替えてから、また話が盛り上がった。
そして、しばらく走ると、今度は急行列車とすれ違った。また写しにいって、2枚写してから列車に戻った。
その後20分ほどすると、終点七尾に10時44分に着いた。
七尾駅では、電化開業の催物をやっていた。少し見てから社員の人に旗をもらって改札を出た。中道君は外に出ずに乗り換えた。僕たちはスタンプを押した。
七尾−和倉温泉
のと鉄道の改札を通って、列車の乗車位置にいった。もう、人はかなり集まっていた。のと鉄道の車両は停まっていたが、まだ、戸が開いてなかった。
七尾から和倉温泉まではJRで、和倉温泉から輪島までは9月1日からのと鉄道のものとなったのだが、のと鉄道の車両が七尾まで来る。疑問に思うが、僕も詳しくは知らないが、多分、JRは七尾−和倉温泉間に普通列車を走らせていないからだろう。
やっと、戸が開き、列車に乗った。ワンマンなので、「後乗前降」だった。1番前に行った。とても前方の見晴らしがよかった。運転手さんと話をして発車を待った。信号が青に変わり、11時06分、列車が動き始めた。何と乗り心地のよい!結構な速さで走った。前方の写真を写したりしていると和倉温泉に11時11分に着いた。ここで下車した。ワンマンなので、運転手の人が切符を回収する。僕は、もらおうとしたが、もらえなかった。
1枚写真を写してから外へ出た。レンタサイクルを借り、能登島の方へ行って弁当を食べることにしていたが、残っている自転車は全て壊れていたので駄目だった。結局、歩いて海まで行き、弁当を食べることにした。が、とても臭い。海藻などがたまって腐っていた。少し離れたところで弁当を食べた。小さな魚が泳いでいた。
食べ終わって少し休んでから、駅に向かって歩いた。
駅に着くと、記念にカーネーションの花をもらった。それをリュックに差してホームに30分以上も早く入った。そして、撮影をしていた。
和倉温泉−金沢
七尾から回送されてきた「スーパー雷鳥」6号の車両が、カーブからひょっこり顔を出して、ホームに入線してきた。僕たち4人は自由席の乗車位置に1番早く並んでいたので、もちろん席には座れるだろう。しかし、僕たちの後ろでは、並び方で大人の人同士が言い合いをしていた。「1番列車、もっと明るくいこうよ。」
「1番列車」とは、この「スーパー雷鳥」6号が、和倉温泉を発車する定期特急としては初めての列車になるということを意味する。僕たちはめでたく、その1番列車に乗車するのだった。朝、買った特急券は、この列車のためだった。
戸が開き、僕たちは車内に入った。1番運転席側のところにボックスを1つ確保して、さっそく僕は、列車の前の方を写しに外へ出た。しかし、普通の「スーパー雷鳥」と同じなので、さほどの変わりもない。当然、車内もそうだった。
再び、車内へ戻り席に着く。しばらく座っていると、13時46分、いきなり列車が動き出した。何の放送もしなかった。まあ、よい。
しばらくすると、山本君と宮本君が車内を見に行った。その2人が帰ってきて、「ジュース100円だった。」と言ったので、次に、中道君と行った僕は、パノラマグリーン車から撮影し、その後、カウンターでジュースを買った。「朝CAN」と注文したものの、売店の人が、いきなり「220円です。」と言った。ひどい。考えてみれば、山本君たちが言ったのは、車内の自動販売機のことだったのだった。くそっ。
席に戻ると、透けて見える運転席をのぞいてみた。スピードメーターは時速100km位を指していた。気動車のときよりかなり速かった。
またしばらくすると、ミス○○の人が乗車記念の物を配りに来た。匂い付きの乗車記念券だった。匂いが、かなりきつかった。
みんなで話をしながら時を過ごした。
終点近くの東金沢辺りから金沢の手前まで、金沢運転所がある。僕たちの目線は、皆、そっちに行った。お座敷列車等が停まっていた。
金沢駅のホームに滑りこんだ。しかし、まだ戸が開かない。富山から来る3両の「スーパー雷鳥」と併結するためである。作業が終わって、14時48分に戸が開くと、すぐに連結したところに行った。人だかりができていて、まともに撮影ができなかった。
この後、中道君を残して、宮本君と山本君と僕の3人は、レンタサイクルで金沢市内に行った。
金沢−富山
金沢市内の観光に行ってきた僕たち3人は、レンタサイクルを返し、百番街などをぶらぶらとし、その後、改札を通った。ホームに上がると、中道君はホームで撮影をしていて、既に到着している列車に乗ったが、既に席は埋まっていて、結局、吊革をつかむことになった。
琴の音を使ったベル(の代わり)が鳴り、16時54分、戸が閉まって列車が動きだした。すっかり、足が疲れている僕は、ただ前を見て、話をして、物を食べ、席か空くことを待つのみだった。
ずっと立ったまま富山県に入り、福岡を発車すると、僕たちの横に座っている人たちが動きだし、次の西高岡で集団が下車した。やっと、僕たちは席に座った。そして、そのまま18時02分、富山駅に着いた。みんなと別れて、家に「迎えにきて。」と電話したが、「自分で帰ってきなさい。」と返ってきた。しょうがなく、富山港線で帰宅した。
住所 富山市寺町4区字中田1186番地
開業 昭和2年9月1日
乗降 1日平均800人
収入 1日約150,000円
駅員 6人(通常2〜3人)
由来 富山駅より西にあったため
駅長 下条 考雄 52代目
歴史
昔は、この駅付近に「豊国製鉄所」というのがあり、今のホーム辺りを運搬用の貨物が通っていた。また、某アルコール販売という会社もあった。そして、旅客は扱っていなかった。
飛越鉄道から高山本線と名前が変わった頃、製鉄所がつぶれて西富山の駅は旅客駅となり、主に旅客を扱うようになり、住宅地も増え、近くに富山大学があったので、学生が主な乗客となっている。
特急は通過するが貨物は停車するということもあったが、今では6線あったレールも2線となり、高山方向に向かったところにごくわずかだがレールの跡があり、ホームらしき石のかけらがごろごろと転がっている。普通列車が1日43回停車するのみという小さな駅である。
駅舎は、昭和2年のままで、つい最近、ペンキの塗り替えをしたという。
自慢 この駅は、他の駅よりも緑化整理が進んでいる。つまり、他の駅に比べホームにごみ一つなく、花や草木の手入れもしっかりしている。花や草木は近くの住民が駅に寄付したという。
周辺 特にないが1つだけ、昔からある某アルコール販売の会社が今でもある。
駅長から一言 西富山駅はお客さんのために色々尽くし、そして1人1人のお客を大切にする駅である。
感想 最初、西富山駅はきったない古くさい駅舎だと思ったが、案外きれいで、昭和2年に出来たまま平成まで生きのびたというふうには思えなかった。自分が思ったより親切に駅の人が教えてくれてよかったと思った。昔の面影もよく分かり、とても役立つ見聞だった。帰りに沿線に沿って歩くと、踏切のところに「報国製鉄踏切」と書いてあり、何だか昭和時代を思い出すような感じになった。
今回は、前回と異なり、原稿がすぐにきたため、編集者(部長)は大変だった。しかし、早く広報を出せるのは、「鮮度」から見ても良いので、今回は、前回以上の出来だと思う。