鉄道愛好家とは


著者・村田 実貴生

 前書き
 最近は「鉄道愛好家」と呼ばれる人間の存在も、一応、市民権を得られて、そう呼ばれる私にとっては嬉しいことだと思う。昔は完全に奇人変人の類に分類されて病気とまでされていたから、今に生まれて良かったとも思う。しかしながら、今だに昔のように考え、そして流行語で差別する者が絶えないことは、大変にかわいそうなことだと思う。
 私は鉄道部部長を名乗っている者として、このことに対する意見、そして、今後どうしていけば良いのか、等を書く必要があると思い、ここに記することにする。

 「鉄道」という趣味を持っている者が、ある流行語によって差別されている現象は否定できないことである。
 始めに、その原因と思われることをあげていくことにする。
 一、人口が少数である。
 二、本来の用途から外れたものが趣味である。
 三、少数での行動が多い。
 四、一般人の知識との差が大き過ぎる。
 五、一般人と価値観が違い過ぎる。
 六、女性があまりに少ない。
 七、歴史が若い。
 八、役に立たないと思われている。
 さて、これから各要因の説明をするのだが、説明しやすいように、「終着駅は始発駅 宮脇俊三 新潮文庫」を引用した鉄道ファンの分類を見てもらうことにする。

鉄道ファンの分類

     車両派 模型派 時刻表派
      、   、   セ「「「イ
      、   、  机上派 旅行派
 歴史派「「゙「「「゙「「「゙「「「゙「
      、   、   、   、
 蒐集派「「゙「「「゙「「「゙「「「゙「
      、   、   、   、
                              

 車両派  鉄道趣味雑誌のほとんどはこの派を対象にして編集されている。
      カメラ派 等

 模型派  本物よりも模型に興味を抱く。つまり、自分で自由に運転できるという点に興味を抱く。

 時刻表派 時刻表をいつも買っては旅行の有無にかかわらず読みふける。
  机上派 時刻表という実用書の中の実用書のなかから肝心の「実用」を捨て去って「無用」の境地に遊ぶ。
      机上旅行派 ダイヤ派 駅名俳句派 最長ルート派 等
  旅行派 鉄道全線区を乗車しようと試みたり、列車に乗ることを楽しんだりする。

 歴史派  古い文献を渉猟したり、廃線跡を歩いたりする。

 蒐集派  汽車の部品や切符などを集める。

 では、まず「一」であるが、これはいくら少数意見尊重といっても多数の意見がものを言う今の社会に反映されていると思う。政治家に鉄道愛好家がいるなどとは聞いたことがない。こういう者が政治をしているから、過去を逆のぼれば、狭軌の採択、我田引鉄といわれる線路の施設、そして、国鉄の分割民営があった。と言えなくもないだろう。
 「二」は、「鉄道は交通機関の一手段」という概念から外れているということである。こういう趣味は、他にも「カーマニア」という人間がいると浮かんだが、自分の物は格好良くしたい、という世間一般の意識に認められている。
 「三」は、団体で趣味を楽しむことが少ないということである。これは、上記の分類を見ても分かるように、各派様々なのである。これは、オーストラリアの「有袋類」に似たものがあると思う。
 「四」は、「鉄道」というのは学校で習うことではないので、一般人は知識を得る機会がないということである。そのために、何事かを話すと周りは分からないから、存在自体を非難せざるを得なくなるわけである。
 「五」は、「四」のように、知識がないため、価値観も違ってくるということである。価値観が違うと、話をしても、意志疎通ができる訳がない。
 「六」は、私もかすかな期待をよせているのだが、女子部員0ということからも分かるように、女性が皆無といって良いことである。これは「女性は家事」的な思想が影響してているのだと思うが、男子にしてみれば、異性がいないことは差別等をするには好環境であるといえる。女子は女子で、同姓に気を使うこともなく男子に言えるのである。
 「七」は、趣味としての歴史が新しく、世間にあまり認められていないことである。
 「八」は、某中の教官のほとんどが、この部の存在をなくそうと努力、というよりなくなるだろうという期待を持っていることからも分かるとおりである。余談だが、鉄道部の存続を賛成しているのは顧問くらいで、これも顧問でなかったらどうなっていたかというほどで、後は、明らかに反対、あと気持ちは反対を含めれは、他の教官全てといえなくないほどである。これからも分かるように、教育者からすれば特に「不急不要の旅行はやめましょう」という戦中の標語のように思っているのだろう。だいたい世の中というのは必要に応じて言葉ができているため、「その部は何の役に立つか。」と問いつめられても、運動は体力づくり、美術音楽は芸術性を養う、その他の部も学習と言えば何でも通る。しかし、鉄道は「学習のため。」といったりすると「どんな学習か。」と切り返されてしまう。と、常用句がなくなってしまう。私が思うに、地理の勉強の一つになるとは思うが、「今までどんなことが勉強になったか。」と言われると、言葉につまる。つまり、先程も似たようなことを書いたが、授業に結びついてないためである。授業だけが学習ではないと思うが、「鉄道趣味が学習になるか。」といわれると危うい。 「鉄道」が趣味になったばかりに、こんな目にあうのかと思わざるをえないのである。例えば「コンピューター部」はゲームで遊びたいために入った者ばかりだとする。しかし、教官は鉄道部くらいに言わないだろう。「コンピューター」は学習して価値があるものと思われているからだ。つまり「寄らば大樹の陰」みたいなものである。

 雑談はこれくらいにして、今後どうすれば良いかを考えたいと思う。
 まず、一般人は、鉄道について良く知ってほしい、せめて、趣味の一つだと思って特別視しないでほしい、と思う。
 といってもあまり効果がないと思うので、鉄道ファンの改善点を考えることにすると、知識ばかりを出さないようにしたほうが良い、と思う。
 つまり、妥協点を見付けることである。

 最後に、良い案はでなかったが、一般人と鉄道愛好家が仲良くあってほしいと思う。

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