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ああ入試落選

  「ハ、ハドロン保存則です」 あ~やってしまった。これはマズイ。エネルギー保存則、運動量保存則までは良かった、しかし緊張して次が出てこない。前日ただ暗記しただけの単語を口走ってしまった。案の定、素粒子専門の柏原先生の質問が飛んだ。 「それは難しいことを知っているね。ちょっと説明して下さい。」 言葉だけのうろ覚えだ、出来る訳ない。こうして名古屋大学大学院面接入試試験が終わった。学内の試験だからすぐ情報が伝わってくる。どうやら次点らしい。3倍倍率だったが実力を出せば落選するはずはなかった。悔しい。勉強はした。しかし面接にやられた。実力が出せなかった。いや出せた分しか実力とは言わないのだろう。実力がなかった。直ぐに合格発表がなされた。名古屋大学大学院進学の夢は絶たれた。世の中にはこんなことが起こるのか。夜の学校。自分の受験番号の無い掲示板。現実の絶壁の前にしばし佇んだ。
  一夜が明けて少し落ち着いた。何とかしなければならない。まだ就職するつもりはない。もっと勉強がしたい。他大学を受験しよう。不幸中の幸い、多くの仲間が落選した。皆で他大学の情報交換をした。私は静岡大学理学部大学院を受験することにした。強い理由があったわけではない。正直何処でもよかった。強いて言えば名古屋から近く受験に行き易かったからだ。名古屋大学より小さい大学らしい。定員は少ない。まあ定員なんて当てにならない。先生方に気に入られなければ落とされる。今度はきちんと対策しなければならない。静岡大学にも面接試験がある。難関の面接を攻略するにはどうしたらよいのだろうか。小さな頭をひねって一所懸命考えた。面接の質問には難問は出ないのだが、考える暇は与えられない。緊張してうろたえて対応できなくなると大変だ。そこで面接の先生から質問をされる前にこちらから話を持ちかけることにした。これまで自分が興味を持って勉強してきたランダウリフシッツの熱統計力学を題材にしよう。とくに比熱と自由度の問題は面白かった。これを使おう。自分がいかに勉強したか、どんなことに感動したか。そして修士課程に進学して勉強したい気持ちを伝えよう。受験生から話をしたいと持ちかけるのは型破りかもしれない。しかし質問に応えられなくて立ち往生するよりはましだ。名大と同じく静大の先生方も変人揃いだろう。最初に手をあげて喋らせてくれと志願する学生を面白がってくれるに違いない。
  私はランダウリフシッツの熱統計力学をもう一度読み直した。まさかこんなことに使うことになるとは思わなかった。これまでになく真剣に読んだ。どんな話をするか考えながら読んだ。せいぜい5分程度しか許してくれないだろう。口に出して練習することにした。どうしても数式が出てくる。口で話すだけでは難しい。黒板を使わせて貰う事にしよう。黒板を使わせて下さい、と志願しよう。その方が効果的だろう。黒板の板書の練習をした。何回もやり直して自信を持てる話と板書が出来上がった。そして口と手が独りでに動くくらいまで練習をした。
  午前の筆記試験の出来は相変わらずだった。満点ではないが落選するほど悪くはなかったと思う。午後の面接試験が始まった。私の番が来て部屋に入ると6人の先生がおられた。一列に並らばず、てんでばらばらに椅子に座っておられた。サロンのようだ。理学部らしいな、と思った。黒板があった。よし、と思った。 「名古屋大学理学部から来ました鮫島です。」 私は挨拶した。 「鮫島君、大学で何をしましたか。」 「宇宙物理学科で赤外線天文学を勉強しました。卒論では赤外線望遠鏡を作って月の表面反射率の測定をしました。」 と応えた後、 「あのう、自分で興味をもって勉強したことを話をしたいんですが、いいですか。」 と切り出した。こんなことを学生に切出されては先生は断れない。一番大切な事が言えたのだ。 「ええ、何?、どうぞ」 と許してくれた。 「統計熱力学に興味を持って勉強しました。特にランダウリフシッツの本を読みました。中でも比熱問題が興味深かったです。熱エネルギーが各運動の自由度に配分される仕方はエネルギーレベルに依存する。エネルギーが大きいと熱エネルギーは配分されない。従って比熱は小さくなる。量子力学的効果が身近な比熱現象に影響を及ぼしていることを大変面白いと思いました。あのう、式を書きたいんですが、黒板を使って宜しいでしょうか。」 ニコニコ笑っている先生がいる。作戦は成功したようだ。板書も話をしながら頑張って行った。途中いくつか質問を受けたが難なく答えられた。こちらから仕掛けたことが功を奏し気持ちに余裕があった。必死だったが聞き取りができ、ちゃんと根拠ある答えができた。面接は小一時間続いたと思う。頑張った充実感が残った。
  静岡大学理学部に入学して一年後、私は愛媛大学で開催された日本物理学会で講演をした。修士論文で取り組んだハイパーラマン散乱研究内容の話だった。研究期間は短かったが指導教員の井上先生が学会講演を許してくれた。愛媛旅行つきである。ラッキーだった。私の講演後一人のお年の人が 「ハイパーラマン散乱って何ですか。」 と質問された。私はすぐさま答え始めたが、式を使ったほうが良いと思い、演台の傍の黒板を使ってラマンテンソルの解説をした。予定したわけではなかったが自然に体が動いた。質問した先生は納得したように頷いておられた。後で井上先生から 「質問したのは誰か知っているかい。ラマン散乱の世界的権威中村輝太郎先生だよ。」 と教えてもらった。へ~そうなの。まあ誰でも良い。彼は私の解説を理解してくれればそれでよい。二年後、会社就職面接のとき、またも自ら話をしたいと仕掛けた。タイミングよく切り出したものだから会社の面接官はダメだと言えなかった。1年半研究で話すことは沢山あった。がんがん話した。もちろん近くにあったホワイトボードも勝手に使った。気の毒にも面接官は40分も私の話をじっと聞かされる羽目になった。とうとううんざりした顔で「もういい、止めてください。」。
  夜の学校、自分の受験番号の無い掲示板の経験は私の行動に面白い効果を齎している。