ピアノと私

足立良介



ピアノと私

木庭乾

僕にとって、ピアノは親友。

時には顔も見たくなくなるけれど、
絶交するのは一生無理。

愚痴って甘えて喧嘩して、
一生付き合っていくつもり。


と同時に、
僕にとってピアノは、
二人の恩師と自分を繋ぐ絆でもある。

ピアノに対する愛情と熱情と憧れを教えることで、
一生ものの親友をくださった二人を想って、
自分はこれからもピアノを弾き続ける。

  

ピアノと私

小泉由美



ピアノと私

小谷誠



ピアノと私

小林晃輝

“ピアノと私”について考えたとき、「よくわからない」というのが正直な答えだった。ピアノを弾くということは、自分にとって当然のことのようになっていたからだ。

幼稚園の年中のとき、母親に「ピアノが弾けるとカッコいいよ」と唆され、ピアノが何なのかも知らずについうっかり「うん、やってみる」などと答えてしまって以来、ピアノはすっかり生活の一部だった。小、中と何の疑問もなく続け、高校に入ったときは、ピアノの練習時間が減るからと思い、部活に入らない程だった。

大学受験になり、流石に辞めることを考えたが、ギリギリ自宅から通える農工大に受かると、もう辞めるなどという考えは無くなり、後先考えずにピアノ部に入っていた。

もはやピアノは私という存在の一部と言ってもいいかもしれない。ピアノ部に入り、さらに多くの演奏を聴けるようになった今、この“ピアノと私”をきっかけに、今度はもっとピアノと向き合っていきたいと思う。

  

ピアノと私

斉藤篤




ピアノと私

坂本友希子



ピアノと私

佐竹大樹

押してダメなら弾いてみろ!

  

ピアノと私

林真理



ピアノと私

平田信幸

僕は、大学からピアノを始めた初心者です。小さい頃からピアノに興味があり、楽器の中でも、とりわけピアノの音が好きでした。ずっとピアノが弾けたらいいと思ってました。でも、ピアノで曲が弾けるようになるには、小さい頃から何年もピアノ教室に通わなければならないと思い込んでいました。そのため、弾きたいと思いつつ、それを躊躇っていました。

 そんなこんなで、高校生になり、大学生になったらやりたいことを思い浮かべるようになった頃に、時間にゆとりのある大学生活でピアノを弾こうと思うようになりました。
 受験を乗り越え、どのサークルに入るか考えていると、なんと、農工大にはピアノ部があるではないですか!しかも、24時間練習できるということで、ピアノを始める人にとって凄く良い環境だと思い、早々に入部しました。

 それから、この「ピアノと私」を書いている現在、ピアノ歴8ヶ月となりました。夏と冬のコンサートに向けてひたすら練習し、こんな短期間で絶対に弾けるとは思っていなかった曲を2曲ほど弾けるようになりました。
 疲れてるとき、気分が落ち込んでいるとき、無償にピアノに触りたくなります。ピアノを触り始めてまだ1年もしていないのに、ピアノ無しではいられなくなってしまいました。これからの人生、大学を卒業して、この居心地の良いピアノ部を離れた後も、ピアノが僕から離れる気がしません。長い付き合いになりそうです。

  

ピアノと私

福島勇太

ただなんとなく弾いてました。そして高校に入学し、部活に没頭してピアノから離れてしまいました。
遊び程度には触れていたけど大学に入学して一人暮らしになり、とうとうピアノから完全に隔離されてしまいました。

サークル棟からピアノの音が聞こえてきました。
発作が起こりました。「弾きてぇぇぇぁぁぁ」みたいな。

こんな感じでピアノ部に入部しました。一度ピアノから離れ、自らの意思で改めて再び向き合ってみるとすごく見え方が変わっていました。今ほどいろいろ考えながら曲を弾いたことはなかったと思います。ただ鍵盤を押せば簡単に“ド”の音は出せるけれども、弾いている人の性格や伝えたいことによって同じ“ド”なのに全く違う“ド”を奏でる、この素敵な楽器と再び向き合う機会を持ててよかったです。これからもピアノを楽しんでいきたい。また、ピアノに対して本気になれたり、飲み会の楽しさを教えてくれたり、楽しい仲間と出会えたり、飲み会の恐ろしさを教えてくれたりする農工大ピアノ部にも出会えてよかったです。これからも染まっていきたい(笑)

  

ピアノと私

星名宏哉

ピアノは好きだ。
その一言で十分な気がする。
そしてそのピアノを通して多くの人との出会いがあった。
とても幸せな気がする。

  

ピアノと私

堀金紗知

昔弾いた曲をもう一度弾いてみる。
当時の自分を思いだしながら
そして今の自分を感じながら弾く。
すこしは成長してるかな。

ピアノに出会って7年。
これからもきっと、ずっと大切な存在。

              2007年 冬

  

ピアノと私

松尾英志

ピアノを初めて見たのは三歳の時だった。
そのころ幼稚園で一緒だった同級生の父親が調律師をやっており、その方の知り合いが使っていたピアノが子供を産んだということで子ピアノを見せてもらいに行ったのだ。
初めて見るピアノに私は興奮していた。グランドとアップライトの雑種だそうだが、そんなことは関係なかった。黒く艶やかな光沢をもち、硬い材質であるのに柔らかなシルエット。まだ全長は30cmにも満たないがすでにシャム猫が持っているような気品や風格を漂わせていた事を覚えている。親にねだり、その場で一台、譲りうけた。ピアノがラミラレソドシドと大きく吠えた。

そうして今に至る。今ではピアノもあまり元気があるようには見えなくなったがそれでもまだまだその音色は健在だ。所々、ずれている鍵盤も言わば愛嬌。時々憎まれ口も奏でるが根は優しいいピアノだ。これからも、たとえピアノが亡くなってしまってもずっと大事にしていきたいと思う。

  

ピアノと私

母袋朗

小学生のときにピアノを習う
          ↓
才能とやる気のなさのために、ほとんど上達することもなく中学生になる前にピアノをやめる。しばらくピアノと疎遠に
          ↓
高校で部活を引退。受験勉強に励む。ちょっとした気分転換のためにピアノとの距離をやや縮める
          ↓
受験間近になりながらも、ちょっとピアノにはまり始める。その頃やっていたあるテレビに影響を受け、ピアノやりたい衝動にかられる
          ↓
受験終了。 大学でピアノ部入ること決意
          ↓
大学入学。 夜な夜なピアノ部に現れる。

これが、「ピアノと私」が今にいたるまでの流れです。ピアノってのはいいもんですね。

  

ピアノと私

浅原未来

仲良くなりたいな。

  

ピアノと私

石井大介

ピアノは小さいときからはじめて今までなんとなく続けています。
それでもやめないのはやはりなんとなく弾きたいと思うからでしょう。

  

ぴあのとあたし

岩崎あすか

私の通っていた幼稚園は放課後にエレクトーン教室が開かれていたそうで、ある日お母さんが迎えに来た時エレクトーンの椅子にちゃっかり座っていたそうです。それから弾く楽しさを覚えてはじめることにしました☆

ピアノを始めたのは小学校にあがるときで、家の近くにエレクトーン教室がなかったのでピアノをはじめました。
それから8年通って、高校受験をするためやめてしまいました↓

でも大学に入って、もう一度ピアノにふれてみたくてピアノに入部しました!
これから自分のレパートリーをふやしていけるようにがんばります★

  

ピアノと私

倉持由衣

ピアノを始めて13年ほどが経ちます。
ピアノと私の作文を書けとのことですが、なかなか浮かびません。ピアノに思い入れなんてたくさんあるはずだし、本当にピアノ大好きなのに…。
考えてもうまい表現が出ません。
ピアノは私にとっての空気のような存在なのもしれません。ない生活は考えられません。生活の中で感情の吐け口にしてる面もあります。ピアノがなかったら今ごろ私鬱病です。
ピアノのおかげで特技があったり人を喜ばせたり暇潰しできたり、いつも感謝感謝です♪
これからも上手にピアノと付き合っていきたいです。
将来の夢は、おばあちゃんになってもリビングのピアノで優雅にピアノを弾くことです☆

  

ピアノと私

税田祥平

 僕がピアノを始めたのは小学生の時に親にやらされたのがきっかけでした。今ではあまり覚えていませんが、中学三年生の時にやめるまで何度も弾くのがいやになり惰性で続けていたのかも知れません。高校三年間はほとんどピアノから離れて過ごし、大学に入学する際また弾きたくなったのでピアノ部に入ることにしました。好きなときに好きな曲を気ままに弾くことが出来るようになり、前よりも楽しくなりました。仲間と教え合ったり、曲について語り合ったり、ピアノの先生に教えてもらうより多くのことを学んだような気がします。いまではやめる前よりも自分の感情を表現できるようになりました。そんなわけで僕にとってピアノは自分であり、鏡だと思っています。これからもピアノを好きでありたいです。

  

ピアノと私

田嶋慎太郎

ピアノ…それは人生において様々なイベントを引き起こす物である.
 
ここで私の半生を振り返ってみよう.
 
1992/12/25:サンタさんからもらったキーボードからなかなか離れない.
1993/06/03:知人の紹介でピアノレッスンを始める.
1996/10/xx:父が海外出張中にこっそりピアノを買う.
1996/11/xx:社宅の床が抜けそうだ(汗)
1998/xx/xx:練習をしなくても練習したように見せる術を身につける(殴)
1999/03/31:ピアノのせいで引越し代が高くなる.床の補強代がかかる.ゴメンナサイm(._.)m
 
2001/04/xx:中学校に合唱部が設立され,なし崩し的に伴奏者として強制入部.
2003/04/xx:隣の駅というだけで高校を選び,なんとなく吹奏楽に手を出す.
2004/03/xx:ホルンを買わせる.ピアノもちゃんとやっていたはずである.
2004/06/xx:このころが絶対音感の最高レベルであった.半音を10分割くらいで聞き分けられた.
2005/12/xx:受験のためピアノレッスンを休業.
 
2006/02/23:あっ,ヤバイ.2次試験でちゃんと起きれるのかな?
2006/02/24:早く寝すぎて何故か4時に起きてしまう.荒川静香の演技を生放送で見る.祝金メダル!
2006/02/25:5時に起きる.さあ,大学の2次試験だ.
 
2006/03/08:合格発表は静かにパソコンで確認.交通費がバカにならないからである.親の反応も今ひとつ.
 
2006/03/15:合格手続き後,サークル関係者による素晴らしき花道を通る.ここでピアノ部の存在を知る.
      誰と話したかは正直覚えていないが,その場には普通の人間が集められていたらしい.
2006/04/07:ついに入学式.その後サークルオリ.ドラえもんとドラミにピアノ部の説明を受ける.
2006/04/15:野外に敷かれたブルーシートの上にピアノ.看板要らずである.
      他,数点の異変に気付く.しかし時既に遅し.初めて一睡もせずに朝を迎える.
 
しばし8ヶ月は穏便に時を過ごす…多分.
 
2007/01/xx:伝説その1…夜の長旅★ミ
2007/03/xx:冬合宿でなんちゃら襲名騒動に巻き込まれる.
2007/04/xx:後輩に危険な先輩として記憶される(汗)
2007/05/xx:後輩に危険な先輩として記憶される(汗)
2007/06/xx:後輩に危険な先輩として記憶される(汗)
2007/07/xx:反省…
2007/10/xx:伝説その2…自粛.
 
なにかに出会うか否かで,人生は簡単に変わってしまう.まさに偶然の連続だ.
 

まあここまでの話はどうでもいいとして(笑)
 
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ピアノを習ってきたorかじってきた大半の人は
・人と意見を交わしたことがない
・人に聴かせる喜びを知らない
 
大勢の人に囲まれる事は,1人でいる時の何倍も影響があるのだ.
その実感だけは忘れることができない.
 
「彼女が作りたいから」そんな理由で音楽を始めても決して悪くないと思う.
何かを伝えるという事はとても大変であるのだけれど…
 
 
 
人生…変えてみませんか(〃ε〃)?

  

ピアノと私

中島あゆみ

ピアノは奥が深い。正式に向き合って早7ヶ月。でもまだまだ仲良くなれず日々精進。
これからよい関係を築いていきたいo(^-^)o

  

ピアノとわ・た・し

原卓也

 確か、家でピアノという存在に出会ったのは妹がピアノを習い始めたからであって、それまでは興味を示さなかったかもしれないけど、何かオルガンが家にあったようななかったような、それでそのときはむちゃくちゃ弾いてたような弾いてなかったような感じで・・・・・ていうか、何書いてるんだ、こいつは。
 
 これまでの人生でピアノを習ったという経験はないが、勝手に弾いてたりしてた。けど、クラシックみたいなやつは一度も弾いたことはない。だってむずかしそうなんだもん。

 で、どうしてピアノ部に入ったかというと、単純にゲーム好きで、あのゲームのサントラを聞くと、心が癒されるというか心に響く感じで、こういうのを弾けたらいいなと思って入部した。

 未だに両手弾きができないが、早く上達して、あの曲とか弾けるようになりたいと思っている今日このごろでした。(文章が下手だな、おい)

  

ピアノと私

橋本祥吾

ピアノ部との出会い。それはピアノそのものとの出会いではなく、
ピアノ部員、そしてみんなの奏でる音楽との出会い。
趣味の合う人、合わない人。面白い人。飲める人。
ストパーかけて帽子やめた人。毒舌な人。
足の長い人。ダムる人。エブリデイがホリデイな人。
みんなとの出会いが僕をさらに残念な人にしてくれることでしょう。
今から期待で胸がいっぱいです。
本当にありがとうございました。

  

ピアノと私

東浦裕紀

 ごめんなさい、何か文章以外で『ピアノと私』を表現したかったのですが、交通事故に巻き込まれてそれどころじゃなくなっちゃいました。そう、私、今怪我のため自宅療養中なんです。そして私は一人暮し。すなわち、ピアノが弾けません。そうして改めて思うことは、『ピアノが無ければ死んでしまう』。少し大袈裟かもしれませんが、まぁそれぐらい私にとってピアノが大事だと改めて認識しています。ピアノを奏でることは勿論、ピアノ自体にも私は惚れ込んでいるようだ、と、事あるごとに思い知らされます。小学5年生の頃から本格的にピアノレッスンを始めました。家にピアノが来たその日から、私の側には常にピアノがあることになりました。気がつくと、ピアノと私は一心同体のようでした。柔らかい木の質感は私に安心を与えました。触れているだけで落ち着き、ピアノの蓋の上に顔を乗せ、う
っかり眠ってしまうこともありました。私にとってピアノを弾くことは、自分の心をさらけ出すことです。ゆえに、ひどく落ち込んでいるときや傷付いている時は、ピアノを弾けませんでした。音はあまりにも正直で、隠したい心を隠すことができませんから。
 今思えば、どうしてそれほどまでピアノに入れ込んでいた私が、はるばる東京まで一人暮しをしようと思ったものです。結果的に地元にいるよりもピアノに触れられることになったわけですが…。ピアノ部に入って、四六時中ピアノに触れていると、よくもまぁ自分はピアノ無しで生活する気だったなぁと思います。ピアノ部があってほんとによかった。いやマジで。しかも農部生でよかった。だって24時間弾き放題なんですもの。
 旋律は、言葉です。弾くことにより、私はようやく感情を昇華させます。自分のため、或いは遠いほど愛おしい彼方のため、私はピアノを弾きます。常に私の傍に有り、変わらず音を紡いでくれるこの弦楽器に感謝しながら。私とピアノ--私は、ピアノ。そしてピアノは、私。

  

ピアノと私

村田勇次郎

大学生活を始める前の僕の生活は、喩えるなら味噌の抜けた御御御付けみたいなもので、大して熱中して打込めるような事も無かった。
中学校でも部活は三年間で適当に自己完結させてしまい、高校では何をする訳でもなくただ毎日を浪費して過ごしていた。

ただ繰り返される灰色の日常。

そんな高校生活も終わり、ただ近いというだけで志望したこの農工大で、何があったのかピアノ部に入部。正直なことを言うと気まぐれで踏込んだものの、見事に骨の髄までピアノに魅入られてしまった。(笑

工部生なのに週四で農学部に出没してピアノ弾いたり、家に帰ってもレポートを書かないで電子ピアノを弾き始めたりと、いつの間にかピアノは生活の中心になってい―――――あ、ハノン弾こっと♪

  

ピアノと私

大塚綾香



ピアノと私

岡田健志

自分は合気道、バスケ等と色々な習い事をしてきたが
ピアノを習った事は全く無かった。
家にまともなピアノがあるにも関わらずだ。
親は自分にピアノを習わせたかったようだが、
自分は習う事をずっと拒んできた。
ピアノが嫌いというわけではない。
たぶん、ピアノを堅苦しい環境で弾きたく無かったのだろう。

だからなのだろうか。
厳しい練習の中でピアノを弾く事が苦になって止めていく友達が増えていく中、
自分は今まで飽きずに楽しんでピアノを弾く事が出来た。
もし、自分が習い事という形で義務づけられてピアノをしていたら、
ピアノを弾くのは上手になったとしても嫌いになって止めていただろうか?
これについては自分は答えを出せない。
ただ、今後もピアノを楽しく弾き続ける事が出来るという事は
自信を持って言えそうだ。

  

ピアノと私

野口大貴

「同じピアノでも弾く人によって音色が変わる」とはよく言われるものです。
私が弾いたピアノと違う人が弾いた同じ曲。楽譜の捉え方や音楽の微妙な間、タッチの強さ、緩急、腕のあげ方、ペダルの使い方、何一つ同じものはありません。では、自分のピアノとは何なのか。普通に生活している状態でおもむろにピアノに向かい覚え た曲を弾いた音が自分の音なのか。「Horowitsみたに低音どーん!」をやったときの音は人のまねごとであって、それは自分の音なのか。果たして自分の音は精神的に世界で一つだけの音なのか。

私が生まれたとき既に家にはピアノがあった。新潟県で生まれた私は幸運にものびのびとした環境で幼稚園からピアノに触れる事ができた。それから他の子と同じように当時黎明期だったTvゲームにはまったり、ようやく一般に普及してきたパソコンに触れながら成長してきた。その間、情報化社会まっしぐらの社会でピアノというPfの時代から変わってない楽器を積極的に弾く気にはなれず、弾く曲と言ったら時曲)ばかり。それもほとんどPopsや映画音楽であったため、幼稚園から習ってきたピアノの腕はゆるーく右肩上がりをあげつつその傾きは系統的なピアノレッスンを受けていた同世代の子に比べ圧倒的に小さかった。時はたち18歳のある瞬間、突然ピアノをまじめにやろうと思った。確か坂本龍一の音楽に出会ったときだったと思う。最近の曲を弾いてきた私は、彼の曲を弾きつづけるにつれ「これではいけない」という事に気づいた。壁の出現である。クラシックやらなきゃ...これが現在の私である。

ピアノと私、これは私にとっては常に自分との戦いそのものである。ピアノは私にとって味方でもあり敵でもある。大人数でやるオーケストラや吹奏楽とは違い、演奏するのは自分一人でありそれは見事にたよりになく胴体からのびた枝のような指10本にかかっている。1cm着地点を間違えたら不協和音。でもほんのたまに、たまに、どこでくるかわからないが本当に奇麗な演奏ができるときがある。そのときは「世界で一つだけの音」とか、「クラシックやらなきゃ」といった言葉は遠い彼方へ吹っ飛び、完全な美しさのみが広がる。これは数学者が得るとされる「完全なる美しさ」と同一ではないかと私は密かに考えている。

ピアノは私とっていろいろな事を考えさせてくれる。なので、ピアノは、一言で言えば自分を教えてくれる存在なのかもしれない。まだまだ、この楽器との付き合いは長そうである。

ここまで読んでくれてありがとうございました。乱文失礼。

  

ピアノと私

堀内悠



  

ピアノと私

堀部悠平



ピアノと私

まっぴー


  

ピアノとオレ様と、時々、ギター

三浦仁嗣

楽しい。大好き。

  

ピアノと私

宮川大地

ピアノと俺の関係はいつまも片想いです。
俺の想いにいつまで経ってもピアノは答えてくれません

まるで実生活のようです。
俺の心に答えて!!
ピアノと私

赤木 健太郎

8年間野球をやっていた私がピアノを始めるなんて自分でも思っていませんでした。でもピアノを始めてみると

なかなか奥が深く、弾けば弾くほどピアノの難しさを感じています。

せっかくピアノ部に入ったので、ピアノを弾ける男になって卒業したいです。



ピアノと私

中村 士

 ピアノではないが、私が子供の頃住んでいた家には電子オルガンが置いてあった。姉はピアノを習っていたが、家が小さかったためにピアノではなくオルガンが置いてあったのだろう。その頃、私は楽器には全く興味を示すことはなかった。確か、オルガンの上で寝転がった記憶もある。

 その後、私たち家族はもう少し大きな家に引っ越すことになり、アップライトピアノを父の知人から貰い受けることができた。今でも、姉が大喜びで弾いていたのを覚えている。しかし月日は流れ、姉も家を出ることになり、そのピアノはずっと眠ったままだった。そのころには私も楽器に憧れがないわけではなかったので、何回か弾いてみようと試みたこともあった。しかし、その当時は右手と左手を同時かつ違った動きをさせるということが全くできず、もともと飽きっぽい性格であることも手伝って弾き始めて時間で挫折してしまったのがほとんどだった。
 だから、大学に入ってこうしてピアノを弾くようになったこと自体、いまだに信じられないのだ。今では、右手と左手も違った動きができるようになったし、楽譜もある程度読めるようになった。それはあまり趣味がなく、ただ学校に通うだけの毎日を過ごしていた私には驚くほど新鮮だったのである。年間以上もピアノを弾いているピアノ部の仲間には技術ではかないようがないが、その分気持ちを込めた演奏をしようといつも心がけている。
 なぜピアノを続けるのか?と問われたなら、好きだからである。というあまりに単純明快な答えを胸を張って言えることが、今では非常にうれしくてたまらない。たとえ大学を卒業し、農工ピアノ部を離れたとしても、私の人生からピアノが姿を消すことはおそらくないだろう。どうやら半年足らずで、ピアノは私にとってなくてはならないものになってしまったようである。


  
ピアノと私

中村 美月

 私がピアノを習い始めたのは6歳の誕生日の少し前でした。

 当時の私は、ピアノの先生から次のレッスンの課題曲を出されると、その日のうちに弾けるようにと部屋にこもって「どうして弾けないんだろう、なんで弾けないんだろう」と泣き叫びながら練習し、母は私のあまりの剣幕に、怖くて声を掛けることも部屋に近づくことも出来ず(笑)……そしてその何時間か後に「やっと弾けたーーーー…」とフラフラになって部屋から出て来たそうです。その話を母が当時の先生に話したところ、「いっぺんに弾けるようにならなくても、少しずつ出来るようになればいいという風に教えていきましょう」と言ったそうです。

 その甲斐あってか、その後、私は当時の自分が嘘だったかのように練習をあまりしない子になりました。途中までは『毎日ピアノに触れる』ことを目標にしていたのですが、学校生活が忙しくなったこともあって(言い訳)、ひどい時は1週間1回、それもレッスンの直前に慌てて練習するという荒技をこなしていました(先生ゴメンナサイ)。
 大学受験を期にレッスンを辞めた時、先生や母から「大学に入ったら趣味として続けていけばいいんじゃない?」と言われましたが、その頃は練習も中途半端にやっていたし、ピアノに対する熱意も薄れてきていたので、「大学に入ったらきっと弾かなくなるだろうなー」と思っていました。

 そんな私が何故か今!この農工大ピアノ部に籍を置いています!!

 以前は私と先生との一対一のレッスンでしたが、ピアノ部では自分の演奏についてみんなの意見を聞いたり、人の演奏について自分の意見を言ったり、お互いにアドバイスしあうことで曲を作り上げていくというのが新鮮でした。時には色々な人にあまりにも色々なことを言われて混乱することもありますが…。

 また、他の人の演奏からは技術的にも表現力の面でも学ぶことが多いし、ピアノに対する姿勢を見て感心することもしばしばあります。私ももっと練習して、今よりもっと上手くなりたいと思うようになりました。

 さらにコンサート前には出演者がそろって行うリハーサルがあるため気が抜けず、練習も以前よりはいくらか真面目にするように(せざるをえない状況に)なりました。

 めでたしめでたし(◜ё◝)

  

ピアノと私

中崎 裕一

いつ知り合ったんだろうか
気づいたら私はあなたを知っていた

時々あなたを嫌って避けたこともあった

しかしいつのまにか私はまたあなたと一緒にいる

やはり私はあなたのことを・・・・・・。。。

  

ピアノと私

横倉 精二

つい6ヶ月くらい前までは、音楽室にあるもの、又は
体育館の舞台のはじっこにあるもの、又は、ちょっと大きな
デパートの5階~7階にあるものだったピアノ。
それが、少しの勇気と勢いで、週6日は触れるものへと
変貌をとげちゃいました。
ピアノバンザイ。

  

ピアノと私

今村 綾子

ピアノ......

 抹殺したいもの、それなしでは生きていけないもの。


 誰でも一度は経験していると思う。練習が嫌で嫌で仕方がない時期を。

「お母さーん。私何でピアノ始めたのー?私自分で弾きたいって言ったー?」
「そうよ、あんたが弾きたいって言ったのよ」
「うっそー」
4才から始めたらしいが、↑のピアノとの初めは全く覚えていない。
中2で本気でピアノを習うのをやめようと考える。しかし思い止まる。
しかし中3で高校受験を期に一旦休み(フェルマータ)。せいせいした。休み。
そして時が経ち高3、受験生...。
「大学どうしようかなあ、環境系...東京農工大学か...いいかも(と、大学紹介のパンフを見ていると)ん?なになにピアノ部、ピアノ部なんてあるのか?!」
その瞬間、心はもう農工大生。環境について学び、ピアノを弾く自分の姿が目に浮かぶ・・・
前期・後期を受け、見事!!沈没。1年間の猶予期間を与えられる。
 勉強漬けとは程遠い。だが、何気なく鍵盤を触ると心に風穴がふわりと開くようで、この気持ちは何だろう・・・。
忘れもしない2002年3月7日郵便やさんが持ってきた合格通知書にはなんと私の受験番号が!(これは何かのマチガイかもしれない...!!)

 かくして私は今農工大のピアノ部員。

ピアノ...精神を乱されるもの、精神を安らかにするもの。