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ものの見方

 普段大学の研究室に閉じこもって、「あーでもない、こーでもない」と悩みつつ、時間だけが経過していくという生産性の極めて低い生活をしている身だが、旅(出張)にででると、目にする風景も変わり非日常的なことを考えるようになる。先週、学会で岡山に出かけてきたが、駅前には桃太郎が御供の動物たちと遠くを眺めている像があり、例によって呑気に写真などを撮るのだが、桃太郎というと思い出すことがある。

      
       (お供の皆さん、いい感じです)

 真っ先に思い浮かぶのが、高橋英樹さん主演の「桃太郎侍」(古いなー)であり、この世の「鬼」たちを成敗するまさに「勧善懲悪」もので、当然、「桃太郎」はいい人の代名詞である(実際に番組前半から中盤にかけて悪い奴らは悪行の限りを尽くすわけだが・・・)。

 次が若干マニアックであるが、平成10年度から14年度まで高校教科書「国語I」(筑摩書房)にも掲載された作家池澤夏樹氏の「狩猟民の心」というエッセーである。その中では、「鬼退治」は「一方的な征伐」であり(実際に桃太郎一家に害を与えていない)、お供の動物たちは、黍団子という「給料」で雇われた「傭兵」とし、鬼の所有物である「宝物」を略奪して、おじいさん、おばあさんのところに戻るというストーリーは「侵略戦争」であるとしている。「伝統的な日本人なら誰もが唖然とする」話だし、結構論争となったと記憶している。後に朝日新聞の2014年12月2日の連載エッセイ(終わりとはじまり)の中で、「教育というのは生徒の頭に官製の思想を注入することではない。(中略)一つのテーマに対していかに異論を立てるか、知的な反抗精神を養うのが教育の本義だ」と結んでいる。
(この辺りのことは、ネットでもさんざん書かれています。例えばココをご覧ください)

 朝日のエッセイの中でも、池澤氏自身が指摘しているように、このような思想は彼のオリジナルではなく、かの福沢諭吉先生が「ひゞのおしへ」(1871年に二人の息子への家訓として書いたもの)やかの芥川龍之介先生もパロディ小説「桃太郎」でも、「桃太郎」を好意的でない視点でそれぞれ解釈し、描いている。
 実際に手に取ったり目で見たりできない歴史とか思想的なものとかに対して、一面的一義的な情報発信(教育とか報道とか)というものは恐ろしく影響力があり、特に教育の影響は、国民のマジョリティーの思想を左右するほど絶大である。私も歴史を真面目に勉強しておらず、NHKの大河ドラマ、ドキュメンタリーもので学んだことが、ほぼ全てで恥ずかしい限りだが、2012年福井での繊維学会秋季研究発表会で「一乗谷朝倉氏遺跡復原」について話を伺ったとき、少しだけ武将「朝倉義景」に対する見方が変わった(非常に些末なことだが)。要は本質を理解するのに「多面的に、見る角度を変えて」という姿勢は大事かなと思います(TVの報道は意見が対立した問題について、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすることが放送法で義務付けられている。実体はどうかというと街頭インタビューなどひどいもので、ライブでやらない限り、局に都合の悪い「意見」は放送しないことが可能であり、非常に単純で効果的な情報操作と考えられる)。

 「教科書を信じない」(ScienceもNatureなどの論文も)というノーベル賞受賞者の本庶佑先生の言葉があるが、サイエンスの場合、多くの場合、エビデンスや真理に基づくものなので「納得するまで信じてはいけない」という言葉だと個人的には解釈している。こじつけ感が満載ではあるが、このことを「知的な反骨精神」と同義なことと捉えることもできる。




おまけ(先週の化学モノはあまりにマニアックと評判が悪く、ちょっと出直します)

図のような一辺が12 cmの正方形がある。斜線の部分の面積は?

   






解答例 

下図のように補助線を入れて・・・。正方形の面積(12 x 12 = 144 cm2)は、【色のついた部分の面積 x 2+ 2 x 3】に等しいので、求める面積は【色のついた部分の面積 + 6】= 75 cm2 (答)

  

(2018.11.11)