Last Up Date 4/1/1998

熊ノ平

KUMANOTAIRA


 廃止直前まで、信号場としてその責務をまっとうしている熊ノ平も、アブト式から完全に粘着運転に移行されるまでは、上下列車の交換場所として活躍していた。1966年に駅から信号場に降格されるまで、待ち合わせ列車の乗客に対し、売り子が「名物力餅」を売り歩き、静かな山峡の熊ノ平も僅かながら賑わいを見せるのであった。しかし、それも束の間。上下列車が発車していった後は、一抹の寂しさを感じたという。

 ここでは、第10号隧道(トンネル)と第11号隧道との間の僅かな構内有効長における、上下列車の交換の仕組みを簡単に紹介する。


 左上の図は軽井沢方である。左から旧下り突込線、旧本線(現下り線)、旧上り押下線(現上り線)。右上の図は横川方で、左から現上り線、旧上り突込線(現下り線)、旧本線、旧下り押下線。

 僅かな山峡にある熊ノ平では構内有効長が短く、下り列車は到着してから、そのままでは上り列車の進路を遮ってしまうため、一旦下り突込線(左上図中、左)に突入し、本線復帰のために下り押下線(右上図中、1番右)に退行しなければならなかった。また、上り列車は優先発車となっており、下り列車待ち合わせ以外は、そのまま発車することができた。熊ノ平駅を最後まで見届けた機関車であった4両のED42形による、下り列車の退行時と上り列車の出発時の汽笛合図が重なると、この一際寂しい山峡に、こだまが繰り返されたという。

 アブト式の廃止ばかりが取り上げられるが、この趣のある列車交換の風景が見られなくなったことの方が個人的には残念である。また、熊ノ平駅が全盛だった頃、崖崩れにより近くに住む職員の方やご家族がその犠牲者となったことは、決して忘れてはいけないことである。



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