Last Up Date 10/3/1998

所長の挨拶

Director's Greeting


 碓氷総合研究所開設にあたって

 私が初めて信越本線で碓氷峠を越えたのは、高校3年(1993年)の夏でした。部活の合宿に途中から参加するため、ダイヤも調べず青春18きっぷを片手に東京から上田に向かいました。ダイヤを調べなかった割には順調に進んでいたのですが、横川駅で足止めを喰らってしまいました。時刻表を見てみると特急列車はある程度の本数があるものの、普通列車はほとんどと言っていいほどありませんでした。当時、碓氷峠の存在をまったく知らなかった私は、まさかそこで1時間以上待たされるとは思ってもいませんでした。なぜ、そんなに普通列車の本数が少ないのか。それは普通列車を待つ私の前を何回も通過する特急列車の様子を見て理解できたのです。なんとそこでは、碓氷峠の一方的な急勾配を上るために後ろに2両の機関車を連結しているではありませんか。その年は例年にない冷夏で、半袖姿で出発した私には骨身にしみましたが、それが私とロクサン(EF63形)との記念すべき出会いだったのです。

 あれから4年。長野行(北陸)新幹線の開業に伴い、碓氷線(横川―軽井沢間)は多くの人々を魅了し続けたその特殊な輸送形式が故に廃線という結末を迎えなければならないのでした。当研究所では104年の歴史の中で碓氷線に携わった全ての人々に敬意を表し、碓氷線がいつまでも忘れることの無いように皆様のご参考程度になればと、このページを開設致しました。1人でも多くの方々にこのページをご覧になって頂ければ幸いです。


平成9年10月3日
碓氷総合研究所所長
丸茂 喜高


設立1周年を迎えて

 碓氷線(横川―軽井沢間)廃線3日後の平成9年10月3日に当研究所が開設されてから、丸1年が経過いたしました。その間当研究所には延べ5000人を超える来所者を数え、皆様方の碓氷峠に対する意識は依然根深いものであるということが伺えます。現在の碓氷峠は1年前の社会現象とも言える賑わいがまるで嘘であったかのように再び本来の静けさを取り戻し、麓の横川駅付近では碓氷峠で活躍してきた鉄道等が展示される鉄道施設の建設が進んでいる模様です。廃線からのこの1年間、皆様方には碓氷峠やそれにまつわる鉄道等に対して書き記すことのできない様々な想いで見守って来たことと存じます。当研究所といたしましても1年、また1年と引き続き碓氷峠を見守って行く所存ですので、今後ともご来所の程よろしくお願い申し上げます。

 最後に当研究所は様々な方々のご協力により支えられております。この場を借りまして、ご協力いただいている皆様方には心から感謝申し上げます。

平成10年10月3日
碓氷総合研究所所長
丸茂 喜高



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