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卵の雌雄を分ける
1 雄のみの飼育を考えた
1945 年 8 月 15 日太平洋戦争が終わって貿易が再開されたとき,日本から海外へ輸出できるものといえば生糸だけであった。これは明治維新の時と同様である。しかし,太平洋戦争前絹の最大消費国だったアメリカの絹靴下市場は完全にナイロンに独占されており,絹糸の需要は期待されるほどではなかった。しかし,輸出できるものが絹糸しかない状態では絹の生産性を上げて,諸外国へ輸出するしかない。
東京農工大学の大先輩である田島弥太郎博士は,絹の生産性を飛躍的に上げるには雄の蚕だけを飼うようにするのが最も手取り早いと考えた。同じ量の桑を雄と雌に与えた場合,雄は雌より絹糸の生産効率が 20 %は高いから,従来のように雌雄を一緒に飼ったのと比べると,確実に 10 %の絹の増収を見込めると考えたのである。田島弥太郎博士は日本の遺伝学の先駆者であり,遺伝学を駆使して養蚕を飛躍的に発展させた人である。遺伝学で使われた昆虫としてはショウジョウバエが有名であるが,蚕もショウジョウバエに劣らぬ学問的な成果を挙げてきている。
田島博士は,卵色突然変異を利用して,生まれてくる胚子の雌雄を識別できる方法の開発を行った。蚕の性染色体構成は ZW (♀)− ZZ (♂)であるので, W 染色体を卵色遺伝子でマークすればよいと考えた。蚕では卵色に関する突然変異が十数種知られていた。いずれも正常型の黒褐色卵とは明瞭に区別できる。卵の色は漿液膜細胞内の色素顆粒によるから,胚子の遺伝子型によって決定される。従って, W 染色体の一部に卵色に関する正常遺伝子(優性)を転座させることができれば,雌は正常色,雄は変異卵色という形で,卵の雌雄を識別することができるはずであると考えた。転座を起こさせるには X 線を当てればよい。何故なら, X 線を受けると染色体はところどころで切断を起こすが,切断端はまたつながる性質をもっている。切断端の再結合の際,もとどおりにつながるもののほか,中には異なった新しい相手とつながるものもある。これが転座である。原理は簡単なのだが,実際に A 染色体と B 染色体との間に転座を起こそうとすると, X 線の照射線量,切断の起こる確率,再結合の確率,特定の染色体との間に組換えの起こる確率など,相当の実験をせざるを得ないし,あまりにも不確定要素が多いことは判っていた。しかし,田島博士はそれを実現した。
2 黒卵と白卵
W染色体にラベルすべき標識遺伝子として,田島博士は第二白卵( w 2 )を選んだ。漿液膜の色素が普通黒色であるのは,卵内の胚子を紫外線から保護するためであるから白い卵というのはあまり生物学的には好ましいものではない。しかし,遺伝様式が単純なメンデル式で,形質もはっきりし,取り扱いやすい点を考えてこれを使うことにした。
この遺伝子をヘテロにもつ正常卵色♀( W/Z , w 2 /+ )をつくり,蛹中期に X 線( 2000 〜 7000 レントゲン)を照射した(照射世代を G 0 と呼ぶ)。次にこの♀に白卵♂( Z/Z , w 2 / w 2 )を交配して F 1 ( G 1 世代と呼ぶ)を飼育すると,蛾になって産下する卵には正常色卵(以後,黒卵と呼ぶ)と白卵が一対一に生ずる。仮に転座が起これば, F 1 の中にそれが含まれているはずであるが,それも表現型が黒卵となり,通常一対一に分離が期待される黒卵と区別できない。
そこで, F 1 全蛾区について,黒卵だけを分けとって飼育し,この区の♀に再び白卵♂をかけ合わせて G 2 をつくる。 G 2 卵の中から,白卵をピンセットで取り除いて,黒卵だけを残して飼育する。そして黒卵から出た蚕が全部♀である区を探す。そのような蛾区があれば,目的とする転座した蚕がみつかったことになる。
このような方法で,目的とする転座染色体をもつ蛾区をさがし求めた。研究開始 1 年目の成果は 1432 蛾区飼育しても1蛾区も目的としたものはつかまらず,2年目でようやく1区みつけ出すことができた。この研究のために飼育した総蛾数は 6523 蛾区で,転座の確立を 10,000 の1と予想していたが,それとそれほど大きくかけ離れてはいない結果であった。これ以後,正常卵♀×白卵♂という交配を続ける限り,毎代黒色卵からは雌が,白卵からは雄が孵化してくる。
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