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カイコの食性と人工飼料の開発

1 カイコはクワだけしか食べないか

  カイコの食料はと問えば,誰でもクワと答える。しかし厳密にいうと,カイコはクワ以外の植物の葉も食べない訳ではない。20種以上の植物を齧るが殆どは成長することができず死んでしまう。しかし,シャ,アメリカハリグワ,コウゾ,アキノノゲシなど数種の葉では蛾にまで飼育できるが,これらの葉で満足な繭を得ることは難しい。だから実際的にはカイコの食料はクワだけといいきっても誤りではない。ではカイコはなぜクワしか食べないのだろう。

桑の葉を食べるカイコ<拡大><動画再生>
  人類がカイコを飼いならしてから 5000年以上の歳月がたったと思われるが,20世紀に至るまで,誰ひとりこの問題に解答を与えた人はいなかった。
  先ず, 1946年東京農工大学OBの鳥居酉蔵森井健介の2人がこの問題に一種の解答を出した。蚕幼虫の頭部にある感覚器官,触角,小顎などをピンセットでつまんで破壊し,その蚕が桜の葉を食べるかどうか調べたのである。これによって口器の一部で小顎という部分の瘤がないと桑以外の葉をかじるということが確かめられた。小顎がヒトの舌にあたる味覚を感じる器官であることが始めて明らかになった。1935年に浜村保次は何か特別の物質がクワの葉に含まれていて,これを蚕が感じ取ってクワを食べるのだろうと考えた。そこでクワの葉に冷たいエタノールを注いで,クワの香気を抽出し,それを含んだアルコールを濾紙に吸わせ,アルコールを蒸発させると,クワの新鮮な香気をもったグリーンの紙が得られた。
  そこでこの香気のついた濾紙と脱色滓とを薄いネクタイ箱の両端に置いて,中央に4眠から起きた蚕10匹を置いてふたをし,30分ばかりたった後,ふたを開けてみると,蚕は全部濾紙に集まっていた。ところがよく注意してみると,濾紙に集まった蚕は皆,頭を上方にもたげて左右にふっているだけで,一向に濾紙にかみつこうとしない。齧りつこうとする蚕は1匹も見あたらなかった。
  その後,一端溶かしてから固めた寒天を試し,それに桑の葉エキスを混ぜると蚕が齧ることがわかった。これが蚕の食性を解明する端緒になり,現在桑の葉に含まれる蚕の摂食を刺激し食べるようにする成分がモリン,イノシトール等数多く知られている。

2 美味いから食べる,不味いから食べない

  我々が食べ物を選ぶ時も,蚕が桑だけを食べるのも理屈は似ている。食べるのは美味いものだけで,不味ければ食べない。美味いと感じさせる成分があれば美味いと感じるが,不味いと感じられるものがあれば不味くなる。美味いと感じられるものを摂食刺激物質,不味い方を摂食阻害物質とよぶ。我々ヒトは千差万別,好きも嫌いもヒトそれぞれだが,昆虫は種により感じ方が統一されている。例えば,オオムラサキ・ヒオドシはエノキ,蚕・クワコは桑,ギフチョウはカンアオイ,アゲハはミカンの仲間,ヤママユガはクヌギの仲間,といったように食草が限られたものが多い。中にはアメリカシロヒトリやヨトウムシのように何でもありに近いものもいる。


どの葉を食べるでしょう<拡大><動画再生>

どの葉を食べるでしょう<拡大><動画再生>

  なお,葉っぱを食べる芋虫・毛虫は皆甘党である。何故か?植物の葉は炭酸同化作用で作られた糖類を必ず含んでいるからである。つまり,ほとんどの植物はうまみ成分である摂食刺激物質を含んでいる。では何故,食べない葉っぱもあるのか。その理由は,それぞれの昆虫にとって不味いと感じる阻害物質が含まれているためである。桑の葉は蚕が唯一不味いと感じない,蚕に対する摂食阻害物質が少なく,摂食刺激物質が蚕にとってベストの配合で含まれている葉っぱといえる。

3 リンゴを囓る蚕がいる

  東京農工大学OBの田島弥太郎博士は,放射線を使ってフダンソウを食う食性 突然変異 の蚕を作り出した。これを利用すれば蚕の食料をクワ以外のものに代えることが可能であることがわかった。この突然変異はいわば味盲の蚕だった。しかしこの遺伝子は致死因子を伴っているので,実用品種に入れこんで利用することには難点がある。何とか致死因子をともなわない食性突然変異を求める必要が痛感された。
  食性突然変異が作り出せたのだから,自然界でも同じような突然変異は起こりうるだろう。すでに起こっていて,致死因子をともなっていないものもあるかもしれない。横山忠雄はこう考えた。そこで,蚕糸試験場(現独立行政法人農業生物資源研究所)が世界中から収集し,永年飼い続けてきた保存品種の中からさがしてみることにした。突然変異体をさがす方法は田島がさきに用いたフダンソウで拾い上げる方法にならい,毒性が少ないと思われるキャベツを給与して,これを食う個体をみつけ出す方法をとった。


広食性カイコ「あさぎり」<拡大><動画再生>

  その結果,最初の調査で日本種ではしらべた12品種中キャベツを食う個体が見いだされたのは4品種,中国種では14品種しらべて2品種,ヨーロッパ種では10品種しらべた中で1品種だけキャベツを食う個体があった。第二回目の調査でもほぼ同様であり,日本種では29品種中11品種で計32個体,中国種では37品種しらべて3品種8個体であった。
  横山は飼育の都合で,出現した変異体を全部一緒にまとめて飼育した。これは遺伝学的立場からみると,出現した系統がわからないのが残念である。飼育した食性変異蚕中40匹が蛾になり,交尾産卵した。その中から5蛾区をとり,翌春飼育した。それ以来,毎代キャベツ食下蚕割合の高い蛾区について選抜を続けた。
   選抜の効果は著しく,5代目には食下蚕率65%にも達し,この世代に一代だけクワ粉を含まない人工飼料を与えて,酷しい淘汰を行った。人工飼料食下個体の子孫を沢J(Sj)系統と名づけ,もとの系統沢N(Sn)と区別した。以上両系統とも,ふたたびキャベツによる選抜をくり返したところ,15代目からは両系統の間にキャベツ食下個体率について格段の差が認められるようになった。
  Sjの系統はキャベツを食うばかりでなく,ウメ,サクラ,カキなどの葉から,柿,リンゴなどの果実もためらうことなく食下する。この系統は,田島がフダンソウで選抜した食性異常蚕系統にみられた修飾遺伝子と同様の遺伝子群をもっていることがわかり,ここに蚕の側についても人工飼料育に適合する系統が育成できる見通しがついた。

4 人工飼料の改良


粉末の原料から人工飼料を作る<拡大><動画再生>
協力 埼玉県立豊岡高校

  はじめて人工飼料が作られたのは戦前の中国東北地方である。特産物の大豆を使って蚕を飼うというアイデアを竹村さんという方が試みて成功したという新聞記事が残されている。
  初めて科学的に立証されたのは 1960年,伊藤智雄と福田紀文の2つのグループが別個に試み,全齢飼育に成功した。初期の人工飼料による蚕の飼育成績は,クワ葉育にくらべてかなり劣っていたが,これを契機として蚕の栄養学の研究が急速に進んだ。本学の向山文雄名誉教授や濱野國勝教授らの研究も加わり,飼料価値を格段に向上させることができ,数年で実用の域に達することができた。蚕糸技術者たちは実用化研究に拍車をかけ,数年で実用可能なレベルに達した。伊藤は,蚕の人工飼料のもつべき必須条件として,つぎの4項目を挙げている。

 

  @カイコに必要な栄養素を必要な量だけ含むこと=炭水化物,タンパク質,脂質,無機要素,ビタミンなどの五大要素について,必要量が解明されたばかりでなく,これらの給源になる材料として,大豆油粕,蔗糖,でんぷん,ダイズ油,ステロール,無機物,パルプ類などの含有割合などから,カイコに適合した飼料の調整が行われた。

  A飼料の物理的性質=飼料の硬さ,水分率などについての蚕の側からの要求がかなりうるさく,結局各種原料の混合物に,整形剤として,少量の寒天を加えることとし,水分率はクワ葉の含有する水分率にほぼ近い75%を基準とすればよいこともわかった。

  B飼料を腐らせないこと=人工飼料は培養基の塊のようなものなので,細菌やカビが繁殖しやすい。そのため抗生物質や防腐剤などを添加する必要があるが,しかし多いと蚕が嫌う。そこで腐らせないし,蚕が食べてくれる適量が見出された。また,無菌飼育器またはこれに近い清浄室で飼育する方法も考案され,これが蚕の病気の研究と感染防除に予想外の効果をあげることになった。

  Cカイコの嗜好に適したものであること=このためには鳥居や浜村,伊藤の研究が大いに役に立った。蚕は嫌いなものは食下しないことはいうまでもないことで,その為に少量の桑の葉の粉末を混ぜることにより解決した。また,味盲である前述の Sjやフダンソウを食べる蚕を基にした実用品種も育成された。


5 人工飼料育の普及


人工飼料による稚蚕飼育<拡大><動画再生>
協力 愛媛蚕種株式会社

  人工飼料の組成改善が一段と進み,飼育成績も桑に近いものが得られるようになってきた。しかし,人工飼料の開発によって養蚕が工業化し,農家から蚕が奪われると考える誤った認識が根強く,実用化が阻まれたというのが実態である。実用化可能な技術が完成してから数年を経た 1973年になってようやく公式のゴーサインがだされ,国および府県の蚕業試験場の技術者たちは,実用化のための人工飼料の研究にオフィシャルに取り組めるようになった。農林水産省では技術研究会を設置して,遅まきながら実用化のための検討に乗り出した。飼料の品質を保証するための検査体制,人工飼料飼育に適合した蚕品種の調査と指定,飼育施設,環境条件の整備,標準的な技術体系の設定などと,つぎつぎ必要な手が打たれた。

 


人工飼料による共同稚蚕飼育<拡大><動画再生>
協力 大胡稚蚕人工飼育センター

開発された技術が稚蚕飼育に許可されたのは,初めて科学的に立証されてから18年後の1978年であった。桑の葉での飼育は1日に最低でも2回蚕に与えなければならないが,人工飼料育にすれば1週間ほどかかる1〜2齢の稚蚕期全体で2〜3回しか餌をやらない。桑を摘むことも無く,労力が大幅に削減できるし,病気の防除に非常に大きな効果が認められるので,たちまち全国にひろがった。しかし,時既に遅く,養蚕製糸業の退勢は蔽うべくも無かった。工業製品のコストを下げる最大の要因であるスケールメリットが既に失われていたのである。飼料のコストがクワよりも高くつくので,所要量の少ない1〜2齢期だけ人工飼料を給与して飼育しているのが現状であり,その後の養蚕の衰退を許す結果となってしまった。

 

6 広食性蚕の実用化

  先に説明した味盲の蚕を実用化して,廉価な人工飼料を作る試みもなされた。蚕の人工飼料のコストを下げるために安く手に入る家畜用飼料原料を使った人工飼料と,それを食べる広食性蚕品種の育成が同時に進行し,線形計画法による最も安く,栄養価も高い飼料の開発とリンゴを齧る指定品種が実現した。この組み合わせにより,ほとんど無菌の状態でオートマチックに飼育できる昆虫工場も本学の蜷木 理教授等により考案され,こういったシステムにより現在ではネコインターフェロンが量産されている。