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セーブル物語

1 セーブル突然変異の出現

  1933 年,西ヶ原の東京高等蚕糸学校の学生であった田島弥太郎博士は,「日照周期の化性に及ぼす影響」の研究で高名な 木暮槙太 教授から,「カイコにおける X 線誘発 突然変異 の研究」というテーマを受け,実験を行った。それはホモの黒縞黄血蚕( SY/SY )に X 線をあてて,これに形蚕白血( Py/Py )を交配し F 1 に出てくる変異個体を探そうというものであった。多くのモザイク蚕のほかにいくつかの変わり者が出現したが,見たこともない斑紋をもった蚕が一匹いた。親の黒縞よりはるかに薄くなんとなく汚れた感じの体色を持つこの蚕はセーブル(クロテンの意)と名付けられ,その遺伝子記号を Sa とした。その後この Sa は黒縞遺伝子 S や形蚕遺伝子 P の対立遺伝子であること,同じ第二染色体に座位する黄血遺伝子 Y との組換えがわずかに 1.8 %(標準値は 25.6 %)にすぎないことから,大きな欠失を伴っているらしいことが明らかとなった。 SaY/Py メスに py/py オスを交配した次代には SaY Py が分離するが,少数ながら PSaY という個体が出現した。この PSaY PSaY/py という遺伝子型であり, P, Sa, p の 3 種の対立遺伝子を持つことから,2個の第二染色体が付着していることが明らかとなった。

2 染色体の反復不分離

  田島博士は,セーブル蚕で付着しているのは2個の完全な第二染色体だろうか,それとも1個の完全な第二染色体に別の第二染色体の断片が付着したのであるかを明らかにするために, PSaY 染色体の研究を続けた。
  まず付着している染色体の大きさについてであるが,当時第二連関群における座位がはっきりとわかっている遺伝子は少なく,わずかに Y 座位の外側で標識に使えるのは o α(オーアルファ)まだら油蚕遺伝子だけだった。交雑実験の結果,解離型の SaY にも Py にも o α対立遺伝子座 O αが存在していることがわかった。このことから,たとえ染色体断片が添着したものとしても,かなり大きいもの同士がついているとみなければならない。第二染色体に関しては,付着染色体と自由染色体とを一個ずつもっている個体が何代かくり返す間に,自由染色体がさらに一個増えたものが出現してきた。これは付着染色体と自由染色体との間に不分離が起こって,これが自由染色体一個をもつ配偶子(正常型)と受精すればできるはずで,この不分離を反復不分離現象と呼ぶことにした。反復不分離の結果生じた個体は,第二染色体については成分的に四個あるテトラソミックであるが,染色体の行動的にはトリソミックということになる。(二倍体であるが,特定の染色体対だけ一個過剰にあるものをトリソミック( 2n+1 ),二個過剰にあるものをテトラソミック( 2n+2 )と呼ぶ。

3 胸おどらす発見

  田島博士の作出した PSaY のなかに PSaY 個体がメスに限られ, py は全部オスという系統が存在した。これは,付着染色体が W 染色体に転座したことを示すものであった。当時,橋本により W 染色体にはメスを決定する強力な雌性遺伝子が存在するという主張がなされていたが,形態的な標識遺伝子をもたなかった W 染色体に標識がつけられたことになる。このメスに姫蚕オスを交配して,次代を飼育してみたところ, PSaY は全部メス, py は全部オスであった。その系統は W-P Sa と名付けられた。

4 染色体手術

  養蚕農家で飼育している蚕は交雑種であることは前に述べた。この蚕種を製造するためには,発蛾に先立って,雌雄の繭を区別隔離し,同品種のメス蛾と,オス蛾が勝手に交尾するのを防がなければならない。この作業は従来専門の鑑別手の手をわずらわしていたが,斑紋の有無で区別する作業なら素人でもできる。そこで田島博士はこの転座系統を材料として,実用品種を育成する計画を立てた。
  しかし,この系統ではメスが過剰な染色体構成をもつことによって起る成長や健康度に及ぼす欠点を除去しなくてはならない。 W-P Sa 染色体をもつメスに蛹期に X 線照射を行いできる限り過剰の部分を取り除いた結果,切除型として W-P Sa から W-P と W-Sa とが得られた。前者は Sa 染色体の逸失型,後者は P 染色体の逸失型と思われる。 W-P 系統ではメスが形蚕で,オスが姫蚕である。また W-Sa ではメスがセーブルで,オスは姫蚕である。両系統ともに原系統である W-P Sa よりも成長曲線に改善がみられるはずである。それでこれら各系統のメスに別品種の姫蚕オスを交配して,5齢成長曲線をしらべた。その結果,両系統とも,メスがオスよりいく分重くなっているから,原系統よりは大分改善されたことがわかる。しかし正常系統の成長曲線とくらべると,雌雄間の開きはまだ充分とはいえなかった。
  そこで W-P 系統について,さらに過剰部の切除が進められ, K 系統が作出されたが,この系統は生糸品質にまだ問題があり,強健性にもなお改善すべき点があった。

5 転座染色体に突然変異が

  その後継代維持していた W-P 系統から第2,第3環節(胸部)の背面部分だけ暗色蚕斑紋をもったメスが一匹出現した。これに姫蚕オスをかけ合わせてみたところ,次代には完全な暗色蚕メスが数匹あらわれ,この暗色蚕メスにふたたび姫蚕オスをかけ合わせた次代から暗色蚕メスと姫蚕オスとが一対一に出現するようになった。この斑紋遺伝子は S Sa P などと同じ複対立遺伝子群に属するものであるが, W-P 系統にはあらわれたことのないもので, W 染色体に転座している染色体の P 遺伝子座に P M 突然変異が起こったものと思われ,この系統は M 系統と名付けられた。
  M 系統では K 系統にくらべてメスの成長曲線が明らかに改善されていることがわかった。そこでこの系統メスに,実用形質のすぐれた育成系統のオスを何回も継代戻し交配して, M 3 , M 5 , M 6 などの実用系統を育成した。そして国の指定蚕品種に加えてもらうため性状調査試験に提出した。
  飼育成績は予想したとおり良好で,繭重も収繭量も多かったが,解舒率(繰糸の際一個の繭の糸縷が切れずに繰れる割合)と小節点(糸縷のほぐれが悪く,小さな輪状のふしがついたもの)がやや物足りず,指定品種には加えられなかった。しかし全国共通試験で,強健性についての欠陥がほとんど除去されていることが確認できたことは大きな収穫だった。

6 起こり続ける突然変異

  暗色蚕 M 系統を用いた交雑種は性状調査のため全国16か所の試験研究期間で飼育されたので,中にはこれを失敬して,新しい蚕品種の育成材料に利用する向きもでてきた。郡是製糸試験所においてもその利用研究を進めていたが,飼育した多数の蛾区の中に,暗色斑紋がところどころ剥げ落ちたような蚕が観察されたとのことで,これは転座染色体に解離が起こるためではないかという指摘があった。この後代は暗色蚕メスと姫蚕オスとが一対一に分離するほかに,暗色蚕よりずっと黒味が強くなった黒色蚕( B )も数匹出現し,黒色蚕メス( W- B )の次代には黒色蚕メスと姫蚕オスとが一対一に出現することなどもわかってきた。このことから一見転座染色体の解離とみられる現象は,単なる解離ではなく,遺伝子突然変異に基づくものらしいことがわかった。さらにこのまだら蚕の子孫の追求を続けると黒色蚕ばかりでなく,種々の斑紋をもつメスがあらわれてきた。 B Sa P M も,いずれも P 複対立遺伝子群に属するものであるが,これらのいずれも出現した。これらは相同染色体上の互いに対立する座位に存在しているものだから,姫蚕オスとの交雑では, P とか M とか, B M とか互いに対になった一組ずつの分離は起こるが,同時に二個以上の対立遺伝子が分離することはないはずである。それが一対の親から生まれた一蛾区の中に三種も,四種もの対立形質をもった個体が現われたのである。しかも B M Sa P などの蚕はいずれもメスであるから, W 染色体に転座している第二染色体上の遺伝子に起こる突然変異であるに違いない。つまり転座したままの遺伝子から P Sa B などが突然変異として発生してくるわけで,これは一個の遺伝子 M の不安定性によるとしか考えられなかった。

7 限性品種の普及

  黒色蚕から新たに出現した暗色蚕や形蚕,セーブル蚕(仮に P' 系統と呼ぶ)は従来の M 系統にくらべて,小節や解舒率などの繭糸質が一段とすぐれていることが,佐々木 静によって報告された。


限性セーブル 普通の形蚕(白)が雄、セーブル(暗色)が雌<拡大>

限性虎蚕 姫蚕(白,斑紋なし)が雄、虎蚕(縞模様)が雌<拡大>

この系統を用いて真野保久は日131号×中131号という品種を育成した。この品種は昭和42年度に国の指定品種に加えられた。この品種はもともと M 系統から派生したものであるから繭重も重く,雌雄間の開差も正常系統とまったく変わりがなく,かつ M 系統の致命的な欠陥とみられていた小節や解舒率などがみごとに改善されていた。田島博士のもとで出現した So ( Sa の一種)系統も P' 系統と同様に小節点や解舒率に関し,従来の諸系統よりも一段とすぐれていることがわかり,これをもとにして新品種「東」および「海」が育成された。ともに中国種型の限性形蚕で,両者をかけ合わせて交雑原種「東・海」として使用する。この交雑原種を日本種型の交雑原種と組合わせた四元雑種「筑・波×東・海」(昭和49年度),「芙・蓉×東・海」(昭和51年度),「朝・日×東・海」(昭和51年度)などの組合わせが相ついで,国の指定品種に加えられ,広く国内に普及,利用された。