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狭山丘陵・新河岸川水系における環境保全運動と環境教育実践

狭山丘陵・新河岸川水系における環境保全運動と環境教育実践

永石文明
(東京農工大学非常勤講師)


はじめにー新河岸川流域における緑地系・水系団体

  狭山丘陵は新河岸川流域に属し、源流域に入る。新河岸川流域にはさまざまな環境保全団体があるが、団体をおおまかに把握する目安として、森林や湿地、動植物の保全活動を中心とした団体を緑地系、河川の水質改善や水循環づくり、流域の環境保全活動を中心とした団体を水系と定義する。狭山丘陵と新河岸川水系において、緑地系、水系の団体がどのような経緯で起こり、どのような環境教育的事業展開をしているか、また緑地系・水系のネットワークがどのように構築されているか探ってみた。本稿は、狭山丘陵において、雑木林や谷戸田の保全を対象にした、さいたま緑の森博物館や東京都の野山北・六道山公園、また、新河岸川水系の中で狭山丘陵を源流域とした河川団体を主な対象にして構成している。


狭山丘陵について

  狭山丘陵は、東京都と埼玉県にまたがる東西11km、南北の最大幅4km、面積3500haの丘陵であるが、中央部は狭山湖と多摩湖があり、湖の周囲の緑地は東京都水道局の水源保護林となって立ち入りが禁止されている。行政区では、東京都側が東村山市、東大和市、武蔵村山市、瑞穂町、埼玉県側が所沢市、入間市の5市1町に位置する。
  地形上は、洪積台地の武蔵野台地上にあり、多くの侵食谷が発達し、森林土壌からの湧水が涵養する谷戸を形成している。森林はコナラ、エゴノキ、アオハダ、シデ類などで構成された二次林で占められてはいるが、管理がされなくなってから数十年が経ち、丘陵全体から見れば、かつての武蔵野の雑木林というより、アズマネザサやシラカシで覆われた林がほとんどを占めるようになっている。


狭山丘陵における市民活動について

  狭山丘陵における自然保護運動は、1980年、狭山丘陵の一角、所沢市三ケ島に早稲田大学が進出する計画が起こり、その里山の保護運動から始まった。計画と同時にそれまで5市1町の各行政区単位で自然観察会や調査活動をしていた緑地系10の団体がネットワークを組み、狭山丘陵の自然と文化財を考える連絡会議とう行政との協議活動を中心とする自然保護団体が結成された。ナショナルトラストを進めるトトロのふるさと基金は、1990年に連絡会議等が幹事団体となって団体や個人に呼びかけ新たに起こしたものである。
  緑地系の団体が行う環境教育活動において、財団法人トトロのふるさと財団が特に活発な展開をしている。2001年に開催されたトトロのふるさと財団主催の「環境教育セミナー」では、野外で使える実践的な環境教育教材を主に地元の小中学校教師を対象にした参加者に提示した。さらに、会員向けに「カエルの学校」を開催し、さいたま緑の森博物館や不老川の大森調整池をフィールドとして動物に親しむ行事を展開している。


さいたま緑の森博物館での体験教室

  埼玉県立のさいたま緑の森博物館は、狭山丘陵の雑木林を保全し、自然そのものを野外展示物として自然観察の場などに活用する目的で作られ、1995年7月にオープンした。入間市と所沢市にまたがり、現在開園中している区域は面積が65 haの入間市宮寺にある。
  この野外博物館は、もともと連絡会議が1985年に「雑木林博物館構想」として埼玉県に提示したものがきっかけにあり、その構想が具現化したものである。開園以前に連絡会議は埼玉県自然保護課と施設の内容や位置、谷戸田の復元や雑木林更新計画、管理などについて何回も協議を重ねてきた。
  現在、博物館では、市民参加型の雑木林体験教室、稲作体験教室が行われている。市民団体が埼玉県みどり自然課、入間市みどりの課の職員とともに、里山の保全と活用を図っている野外博物館である。稲作から始まって萌芽更新、炭焼き、シイタケ栽培と伝統的な農業に従事する。ここでは、市民団体が主体的に活動し、事業のための用具や昼食の準備、後片付けするのも市民団体と行政職員がいっしょに行う。稲作やシイタケづくりを進める地元住民グループの稲仲(いなか)の会、古代米を作る早稲田大学匠の会、間伐材を利用する炭焼きの会らが、教室の講師や準備役として参画し、また事業以外にも博物館の自主的活用を図っている。市民団体は、異なる分野の団体ではあるが、共通のフィールドで同じ活動をするため、ゆるやかなネットワークで結ばれ、団体スタッフの交流が行われる。スタッフとして行政側が3,4名、市民団体が数十名と多いのも、この博物館事業運営の特徴である。管理運営についての話し合いは、主な主体メンバーが実際の作業前後に行うことが多く、寄り合い制度的な面をもっている。


さいたま緑の森博物館における自然ガイド

  1997年から博物館では、毎日曜日の午前中、野外を歩きながらの自然案内・解説(インタープリテーション)が行われている。講師は5人体制で、交代勤務である。四季によってフィールドとなる雑木林や水田、湿地(いわゆる里山景観)の環境も変化し、参加者を飽きさせないが、講師も方法をまかされているため、専門も違い、変化に富んだインタープリテーションとなっている。また、夏休みの巣箱づくり教室や県民の日の自然体験教室もあること、さらに2002年度から日曜日の親子自然体験教室を数回開催することも企画している。環境教育のニーズも高まる中で、この博物館における役割も変化していくことが予想される。


東京都の公園における里山管理と体験教室

  東京都側では、野山北・六道山公園(武蔵村山市・瑞穂町)や八国山緑地(東村山市)があり、連絡会議は、野山北・六道山公園においてはトトロ財団や武蔵村山自然に学ぶ会、瑞穂自然科学同好会とともに、八国山緑地においては、東村山自然を愛し守る会と北山自然を守る会とともに、工事設計や整備について、東京都西部公園緑地事務所と現地や室内で定例協議を行っている。1999年3月、トトロ財団は、東京都へ管理運営計画案を提示した。以後、管理運営に関する協議も同時に進めている。
  野山北・六道山公園は、東京都は管理運営計画を策定するため、1999年10月より学識経験者、地元代表、自然保護団体、地元団体を構成メンバーとする懇談会を設置し、開催した。この懇談会は2000年から発展して協議会となり、定期的な会合を行っている。
  実際、植生管理の一部については地元の団体が中心に活動を行っている。野山北・六道山公園の武蔵村山市域には、カタクリやイチリンソウが生育する場所があり、武蔵村山自然に学ぶ会は植生管理の作業に自主的に計画を立て、作業している。八国山緑地では、雑木林更新地区、アカマツ更新地区、湿地管理について、現地や東村山市内の公民館で協議を行いながら、同様に東村山の会と北山の会が更新地区の調査や手入れなどを行っている。
  199年から野山北・六道山公園宮の入に東京都立の「里山施設」が完成し、周辺の雑木林や岸田んぼでは、当年から里山体験教室を開催し、雑木林コースと田んぼコースを設けて、都民が里山管理の学習と体験をしている。この公園では、武蔵村山市の農家を主体とした「岸田んぼの会」が体験教室の講師の役を担い、伝統的農業の指導を行っている。
  野山北・六道山公園は、開園した面積が約258haと広大なため、地域団体と連携するうえで公園全体を網羅した事業は展開しづらい。そのため、拠点となる里山施設がある岸田んぼが中心となって里山体験教室が継続していくと考えられる。


新河岸川水系についてー新河岸川の支川

  新河岸川水系は、新河岸川本河川に流れ込む支川からなり、主な支川として北から順に不老川、福岡江川、富士見江川、砂川堀、柳瀬川、野火止用水、黒目川、越戸川、白子川がある。さらに柳瀬川の支川に北川、空堀川、東川がある。黒目川の支川に楊柳川、小平排水、落合川、中沢川がある。本川としての新河岸川は河口近くで隅田川となり、東京湾に流れ込む。


新河岸川流域における河川保護団体

  現在ある新河岸川水系の団体は、1995年夏、河川審議会の答申である「河川行政にも住民参加を」を受けて、建設省荒川下流工事事務所が、新河岸川に流れ込む5河川(不老川、砂川堀、柳瀬川、黒目川、白子川)を対象に、それぞれに参加者を募って始まったものである。各懇談会には、荒川下流工事事務所職員およびコンサルタントも加わって、最初の年度には4回の懇談会を開催した。懇談会の内容は、対象の河川を知ること、現地視察と今後の川づくりなどである。1996年度もコンサルタントがつき、懇談会の自立に向けて団体の活動を補佐した。各懇談会は、地方自治体への要望、あるいは連携することも活発になり、1997年度から建設省の懇談会への補助度合いも異なる中で、自立への道を歩むことになる。この懇談会はやがて次の新河岸川流域川づくり連絡会へとつながっていく。


新河岸川水系水環境連絡会

  新河岸川水系の水質改善のため、市民参加による「新河岸川水系身近な川の一斉調査」を実施している。毎年、国土交通省荒川下流工事事務所が助成し、参加団体は任意団体をはじめ、自治体、生活クラブ生協、学校など50団体を超えている。水の検査は実験施設が必要なため、流域の学校が協力している。新座北高校、志木市立宗岡中学校、所沢西高校、所沢北高校、朝霞台第三中学校、朝霞第五中学校、和光市立大和中学校、東村山第一中学校などである。
  調査後、報告形式のマップを作成し、流域の団体や教育機関に配布している。川を自ら調査体験し、川の状態を知り、川を身近に感じさせるうえで、水環境連絡会の果たす役割は大きい。


新河岸川流域川づくり連絡会

  不老川、砂川堀、柳瀬川等の流域市民団体は、1997年、建設省荒川下流工事事務所と共同で、新河岸川流域川づくり連絡会を結成した。川づくり連絡会の構成団体は、おのおの河川で水循環形成を図りながら、流域フォーラムや『里川通信』の発行、定期的な会合など、市民と行政とのパートナーシップで取り組んでいる。川づくり連絡会により、各河川のネットワークが進み、情報交換や水系全体の保全などが推進している。毎月の連絡会の会合は、旧建設省の呼びかけで懇談会形式で始まった流域の団体の幹事数名および国土交通省荒川下流工事事務所職員で構成される。河川団体は、不老川流域川づくり市民の会、砂川堀流域川づくり懇談会、柳瀬川流域川づくり市民懇談会、黒目川流域川づくり懇談会、練馬白子川源流・水辺の会の5団体である。事務局は新河岸川流域川づくり連絡会新所沢事務所にある。
  毎年、新河岸川流域フォーラムあるいはシンポジウムを開催しているが、2001年には、環境教育をテーマとしたフォーラムが行われた。


狭山丘陵における水系・緑地系ネット

  狭山丘陵の北西側から流れる川に砂川堀がある。砂川堀は狭山丘陵を源流として早稲田大学敷地の湿地から所沢市の西に広がる農地の間を流れ、所沢市街地を抜け、富士見市、大井町を通って、新河岸川、さらに隅田川へ流れる川である。この川では1997年に水系保全の市民団体、砂川堀流域川づくり懇談会(以下、砂川堀懇談会)が生まれ、現状の都市下水路から河川に戻そうと、農地景観や流域文化の保全活動を展開してきた。特に上流域では野菜畑や桑畑が広がり、農家との連携が図られて始めている。しかし、最近になって、農地をつぶした大規模住宅開発計画、さらに砂川堀源流域に早稲田大学所沢キャンパスの研究棟の開発計画が起こってきた。そこで、砂川堀とその周辺で関わってきた団体、砂川堀懇談会、トトロ財団、連絡会議、文化財保存全国協議会等がネットワークを組み、文字通り、「砂川ネット」を立ち上げた。このネットは、砂川堀周囲の農地や湿地や文化の保全計画をより積極的に提案していくことを目的としたものである。
  一方、東京都水道局による多摩湖堤防工事に関して、多摩湖が柳瀬川の源流であることから柳瀬川を中心とする団体がネットワークを立ち上げた。この工事は狭山湖から始まったものであり、阪神淡路大震災を教訓にした堤防の耐震補強工事ということで、今までの堤防を土で厚くして巨大堤防にしようというものである。多摩湖は2003年から同様の工事が予定されている。堤防工事について工事に必要性、環境影響問題に対処するため、2000年秋、流域の水系だけでなく緑地系も加わり、11の団体が「多摩湖堤防耐震工事問題に関する市民団体ネットワーク」を設立し、東京都水道局との対話を始めている。
  この「砂川ネット」および「多摩湖堤防耐震工事問題に関するネットワーク」は、緑地系と水系の団体が活動の領域を越えて新たな連携を取り始めたものとして注目される。


水辺における環境教育

  総合的学習が2002年度から始まろうとする中で、自然体験とりわけ流域では水に親しむという行事が行われるようになってきた。特に、北川、空堀川、黒目川、不老川では盛んに行われている。北川では毎年夏恒例の夏祭りが行われ、川をせき止めて行うカヌー体験や音楽祭、不老川ではザリガニ釣り、黒目川では魚のつかみ取りなどである。空堀川では1999年の通水の改修工事をきっかけとして、以後、地元の東村山市、商店街、市民らが連携した「空堀川川まつり」を開催し、子供が空堀川で遊ぶことを企画の中心に据えている。ほかの河川でも、最近では、柳瀬川では川遊びやカヌーによる川くだりが行われ、砂川堀は河川自体が廃水のため、水辺に親しむことは困難であるが、流域の雑木林や農家をフィールドとして、流域の小学校の総合的学習としての調査活動に協力している。
  水辺は、本来の子供の遊び場として環境教育の素材を提供してきた。本来、水辺の環境が備えてきた原体験の場であった。河川の豊かな環境は高度経済成長期に河川工事等でなくしてきたものであるが、ようやく原体験の貴重な場として水辺が見直されてきている。環境教育を進めるうえで水系の団体の必要性はますます高くなってくるであろう。


最後に

  狭山丘陵を緑地系、新河岸川水系を水系団体と捉えた場合、両者は設立経緯も行政とのパートナーシップも異なっているが、本来、地域における自然保護活動において、連携していくことが当然予想され、連携した団体もみられるようになってきた。また、環境教育においても、水系団体は、農地や森林の保全を考えた水循環を目指すものであるから、緑地系との協同がより必要となってくるであろう。将来、環境教育を媒体として、市民団体と行政、教育機関が連携したしくみがよりいっそう推進していくことが期待される。


                                                  (永石文明)





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