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教育における親の地位と教育改革

教育における親の地位と教育改革

小島喜孝
(東京農工大学)


 日本の学校教育は、国民皆教育(学校)制度として始まってから既に130年の経験をつんでいる。その間、もっとも大きな不幸は、第二次世界大戦の一角をなしていった「15年戦争」といわれる日本帝国主義によるアジア地域への侵略と太平洋戦争に教育(子ども)が奉仕させられていった一連の天皇制絶対主義下の教育体験であった。そこでは、教育は子どもの幸福追求に奉仕するのではなくて、侵略戦争に命を捨てる子どもにしたてていく日本帝国主義の教育政策に奉仕したのであった。
 教育は子どものためにあるというごく当然の命題が後景に退けられ、実は客観的には子どもを何ものかの手段とするために育てているという形になっていくのは、後に述べるように、130年の近現代日本教育史のほんのいっときというものではなく、そのほとんどの期間がそうであったのである。
 そこで以下、近代以降の日本教育政策において子どもが国家政策の手段化された事情を成り立たせてきた主因の一つとして教育制度における親(親の権利)の位置付けがなかったという問題、さらに、近年の教育改革とりわけ学校選択自由化が果たして親の権利の正統化なのかという問題を検討する。


1 民衆の学校教育への期待とその性質

 なぜ日本では「子どものための教育」にならずに、「教育のための子ども」になってきたのだろうか。なぜ、「子どものための学校」にならずに、「学校のための子ども」になっているのだろうか。最大の問題は、日本の学校制度の成り立ちが、その後の教育の性格を色濃く規定してきたこと、それを克服していく民主主義の思想が成熟しきれていないことである。
 江戸時代の封建制身分制度下における藩校と寺子屋という学校システムにおいて、民衆の教育要求に支えられかつそれを掘り起こす役割もになっていた寺子屋は、近代国民教育制度に吸収され民衆の小学校教育機関として姿を変えていった。しかし、近代国家における「市民平等の国民皆教育」政策の下で、建前としては封建的な身分に基づく<藩校と寺子屋>という教育における身分差別の廃止にもかかわらず、藩校はその後多くが中学校になっていったことにも示されるように、藩校と寺子屋の階層的序列関係の歴史は戦後改革を経た今日まで連綿と引きずるものとなっている。近代日本の学校制度の成り立ちが、明治維新国家による「上からの」制度化であったこと、そして建前としては藩校と寺子屋という身分上の学校差別が廃止され、それらが一つの学校制度体系に配置される「四民平等の皆教育学校」となったこと、したがって明治新政府の学制発布当初は民衆による「反学校」風潮(学校打ちこわし騒動など)があったものの、むしろその後は立身出世主義や身分の高位なものと同じ世界を共有できることへの喜びを伴う同調性をともなって「上から」の学校制度への民衆的参入がすすんでいったこと。これらの教育事情が、日本近現代における民主主義への弾圧を含む未成熟と相互に補完しあって、「学校のための子ども」、あるいは「教育していただく」学校という日本人の学校観として今日まで深く根をおろしている背景があると考える。戦後改革はそれを払拭する糸口をつかむいいチャンスではあったが、そこでもまた民衆は階層的序列と一体の複線型学校体系がこわされた新しい「六・三制義務教育学校制度」に「平等」への期待感をもって受け入れ、戦災と敗戦による物資不足の中、すすんで新制中学校建設を資材あるいは労力の形で支えた。
 明治、昭和における二度の国家体制の大変革にもかかわらず、民衆にとってはそれらは何れも身分や階層の序列を這い上がる夢がもたらされるものであったのであり、制度そのものを民衆的に築くというより「与えられた」制度への参入のかたちをとっていったのである。参入した制度の中で、その良し悪しを自分たちの主体的な判断で評価していく風土は、いまなお課題である。
 やっと今日、いわゆる「教育の荒廃」といわれる状況の中にあって、とりわけいじめや不登校問題を通じて、さらにはわが子の「非行」に苦悩する親たちまで、与えられた学校制度を対象化し学校とは何かを問い直す動きが全国的に生まれてきた。その中で、「日本の教育改革をともに考える会」など、相変わらずの上からの「教育改革」を客観的に診断し異質の観点からの改革を提案する動きも出てきている。
 しかし他方で、市場原理万能主義による新しい競争原理の「教育改革」が持ち込まれる中で、いっそうの競争状態に不安を持ちつつそこに組み込まれていく国民的状況も根強くある。そうした三すくみ状態に入りつつある今日、学校を問い直し「子どものための学校」に再編しなおす主体の形成を展望するために、「教育における親の地位」の検討が重要であろう。それは、130年間の近現代日本教育史における「教育(制度)の主体」を問い直すことであり、さらには「教育(制度)における主体としての親の地位」という観点を教育制度論として浮上させ、正当に位置付ける試みである。


2 学校制度と親の地位

 日本の学校制度で、親(保護者)は法的にどのように位置付けられているのだろうか。そこには、親は教育における主体だという正当な法的確認があるのだろうか。結論から言って、残念ながら、現行教育法ではそのような位置は親に与えられていない。むしろ、義務教育制度の中での「親義務」が学校制度の骨組を構成するものとなっており、保護する子女を就学させる義務をもつ者として重要な位置があるにとどまる(学校教育法22条)。
 憲法26条は国民の教育を受ける権利を規定している。そこでの国民の権利性を、国民が教育制度形成への主体的位置を占めるという「国民の教育への権利」としてとらえる議論が有力ではあるが、それは教育における国民の法的権利を広義にとらえたときの国民の権利性を意味しており、教育における親の法的位置を論じる際の、条文解釈論としては困難であるものの、国家に対する国民の権利性を規定する憲法原理と理論構造からすればもっとも根底的な憲法上の根拠と考えることができる。
 しかし、教育制度上の法的規定としては、それはあまりにも広義に過ぎるのであって、学校法制の次元で、<学校における親(保護者)の権利>が幾重にも規定されねばならないのはいうまでもないだろう。その意味で、日本の教育法制を振り返れば、「親」の権利性は極めて軽視されてきた歴史があるのであって、戦後改革においても、残念ながらその点は克服され得なかったのである。
 教育行政制度にあっては、戦後改革による教育委員会法が教育委員の公選制を採用し、「教育の地方自治」原則を組み立てる<教育における地域住民の主体的位置>を制度化したのであった。親(保護者)もまた、一地域住民として教育行政制度上の意思表明権、教育行政参加権を得たのである。しかし、この画期的な教育制度は、実に無残にも、定着への時間的余裕をもつことなくたった7年で葬り去られることになった。学校制度における親の地位の法制化まで進みゆく未来可能性は、ここでも大きく後退したのである。
 振り返ってみれば、親や地域住民の教育における主体的地位を考えるとき、先に触れたように、日本の近現代教育史において、学校教育における国家統制から相対的に自由な風土を持ち得た時期はほんのわずかであったことに注目せざるを得ない。つまり明治新政府による学制発布の当初及び戦後改革における新憲法・教育基本法の成立とその一環としての教育委員会法の時期である。年数としては学制発布の明治5(1872)年から教育大旨(聖旨)の出された明治12(1879)年までの7年間、および戦後の教育委員会法成立の昭和23(1948)年から廃止された(それに代わって地方教育行政の組織および運営に関する法律が成立した)昭和31(1956)年までの8年間である。130年の歴史のうち、実にわずか十数年を除いて日本の教育は国家の直接管理や統制という呪縛の下に置かれてきたのだった。このことは、単に教育にとっての問題というだけではなく、教育の性質を通してひいては日本における民主主義の成熟度に大きく関わる問題といえるだろう。戦後民主主義の否定論や、逆に今日すでに日本は成熟社会に入ったとする見方は、いずれも日本における民主主義の未熟さと発展可能性を正しくとらえることのできない議論である。その要因のひとつとして、それらの議論は、いま述べたような日本社会の教育における長い民主主義抑圧の時間量、すなわち国民の民主主義的体験と学習の可能性を封殺されてきた近現代史を正しく見据えていないことにあると思われる。


3 親権と教育改革

 学校制度(学校教育法制)における親の地位(権利性)の無さが顕著であるが、その外側では親権の規定がある。この親権は、子どもの教育のなかでどのような意義をもつだろうか。拙論に即して換言すれば、親権は<子どもの教育における親の地位>という主題にとってどのような意味をもつだろうか。
 民法820条は、親権の効力の一つとして「親権を行う者は、子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う。」と規定している。その他の効力には、居所指定権(821条)、懲戒権(822条)、職業許可権(823条)、財産管理権・代表権(824条)がある。これら効力のうち監護・教育の権利義務は、その民法条文上の位置からのみならず、社会を構成する諸人間関係のなかで親子関係のもつ自然的性質および子どもが人として生きるに必要な成長発達を支える性質の権利義務だという点で最も基本に位置する親権だといってよい。
 さらに、憲法26条では国民の権利として「教育を受ける権利」とし、学校教育法28条では教諭の職務規定として「教諭は、児童の教育をつかさどる」としている。民法に言う「教育をする権利」については、日本の法制度の中で唯一この条文だけが明確に教育を「する権利」と表現しているという特質が認められる。そのことはどのような意味をもつと考えられるだろうか。特に、それは学校教員の行なう教育活動とどのような関係にあるのだろうか。
 教諭の職務としての「つかさどる」には、もちろん「教育をする」ことが含まれるのであるが、その場合、それは学校制度の中でのことだということが注意されねばならない。そこには二つの事柄が含意されている。一つには、教諭の「教育をつかさどる、する」は、学校制度における学校の諸機能・活動(諸職種に分掌される職務の総体)のなかでの教諭の職としての職務規定だということである。それは学校法制度論としては、教諭の職務権限ということになる。二つには、教諭の職務権限は、学校制度の内側に教諭として存在する限りでの固有の権限であって、学校制度を離れた場面、例えば学校外での日常の市民社会の場面では意味をもたない。かつまた、定年等で教諭の職を離れたときにはその権限も喪失する。もっともこの権限は、教育行政との関係では、それに対する教員の職務の独立性の法的確認として積極的な意義があることは重要である(教育基本法10条)。
 これに対して、民法の規定する親権としての「教育をする権利」の場合は、子どもが成人するまで常に親の権利として存在するのであり、かつまた、学校等特定の場面に限定された権利ではない。したがって親権としての教育する権利つまり親の教育権の意義は、教員の教育権限との関係にあっては、一般に権利は権限に対してより根底的であること、学校制度内部に限定されないより包括的な権利であること、さらにまた、学校制度に子どもが入りゆく前に、その前提として子どもの存在は親子関係によって成立しているのだから、親子関係における親権としての教育権が第一次的権利だということ、である。
 したがって、親権としての親の教育権が学校制度の基盤にまず存在するのだから、学校制度における教員の教育権限は親の教育権に支持されて成り立つと考えることが正当である。これを、教育法学の通説は、教員の教育権限は親の教育権を信託されたもの、ととらえるのである。
 にもかかわらず、法制度上は、親の教育権が学校制度上で具体的な仕組みにされていないことが問題である。この背景には、民法は私人間の関係の法的規律であるから学校制度という社会的な関係においてそのまま適用できないとの考え方がありうる。そうだとしても、親権の理念を学校制度に反映させ、学校制度上でのあり方を独自に考えることなくては、根底的で包括的な親権の効力を学校制度場面で貫徹させることがあいまいになる可能性が生ずる。現に、これまで学校場面での親の教育権はむしろ軽視され、そのことが代議制民主主義をルートとして子どもの教育が親の意向よりむしろ国家の学校管理や統制の下に置かれてしまうという問題の原因になってきたということができる。


4 学校選択の自由と親の教育権

 近年の教育改革で、新自由主義に基づく「選択の教育」、さらには親による義務教育段階での就学させる学校の選択自由化の動きが出てきている。この動向を、理論的には、親の教育権が学校制度場面で初めて正当に位置付けられるようになったものとみる見方もありえよう。言いかえれば、学校の行う教育活動の正統性の根拠として親の教育権が登場してきた、と。しかし、はたしてそういうことなのか、吟味が必要である。
 この動向の背景には、86年臨教審3次答申の通学区弾力化提言が90年代に入って、ソビエト連邦の崩壊を契機とした市場原理万能主義の国際的台頭によって時代潮流としての勢いを持ち、その市場原理主義に遅れまいとする日本財界の「聖域なき規制緩和、自由市場化」要求が強力に展開されていったことである。周知のように、91年に経済同友会は「選択の自由」を教育運営の基本にせよ、と主張(1)し、経団連は93年に「教える側に競争原理を」と主張している(2)。
 それまで学区制度を公教育学校制度における機会均等原則の観点から保持してきた文部省は、時代の展開を基礎にした財界要求に抗することなく97年以降政策基調を転換したのである。すなわち、97年1月には保護者の意向配慮という形で学校選択弾力化を容認し(3)、さらに同年7月には、第16期中教審二次答申が自己責任原則と一体の学校選択自由化・学校複線化をうたった。
 このような文教政策の転換としての学校選択自由化は、親の教育権を基礎とした学校制度への転換といえるのだろうか。その点を次の三つの角度から検討する。
 第一に、親の教育権の内容、第二に親の教育権の機能、第三に親の教育権の社会的性格である。
 親の教育権の内容は、単に学校選択権にとどまるものではない。親の発言権があってしかるべきである。つまり、学校を選択すればあとは学校にお任せなのかということである。そうではなく、学校と親の連携と共同がむしろ子どもの教育にとって日常的に必要な事はいうまでもない。これまで文科省も口すっぱくその学校・家庭・地域の連携の重要性を主張してきた。選択を契機にすればむしろ学校と親(家庭)の連携が必要になり強化されるとする説がある(4)。しかし残念ながらそれは学校選択自由化政策への転換の動機ではない。むしろその動機は、財界が主張してきたように、学校選択と自己責任原則の結合にある。選択したのだからその結果は自己責任として処理される運命にある。選択を契機に、親の発言権が是認され協議の場が設定されていくみちは政策としては予定していない。親としての発言ルートは学校評議員制度にとって代わられるだろう。
 第二に、親の教育権は学校選択自由化の中でどのように機能するだろうか。これまでの、学校設置者別の学校選択をこえて、同じ地域の中での公立学校の選択である。選択の前提には、「ちがい」がなければならない。となると、義務教育における公立学校の存在意義は何か、という問題が出てくる。公立義務教育学校は、憲法26条の国民の教育を受ける権利を保障することに第一義的な任務があるはずだ。文科省としてはそこに学習指導要領の存在を位置付けるだろう。その当否はここではおくとして、指導要領は選択の材料になるのだろうか。最近、文科省は国民の多くが学力への不安をもち指導要領を批判してきたことに対して、指導要領は最低基準だと言って批判をかわそうとしている。最低基準だから付加価値をご自由に、ということであろう。そうなると、高等教育ならともかく、基礎基本を旨とする義務教育の本筋があいまいになる。また、個別学校の付加価値部分での選択をと言うなら、それはその程度の(付加的な程度の)選択材料でしかない。そんな部分に教職員の熱意をかきたたせ競争させようとするのだろうか(5)。こうして、既に形成されている教育競争状態、つまりいわゆる「学力」をめぐる学校序列化状態を促進させることしか学校選択機能はもたないことになるのである。また、それこそ、「個性重視、学校複線化」政策の基本的動機なのである。
 第三に、親の教育権の社会的性格とは、学校選択における親の権利は当然ながら個別の親に所属する。しかるに、親の教育権は権利所有の個別性にだけ意味があるのだろうか。民法の親権にしろ子どもの権利条約に言う親の権利にしろ、個別の親の権利の承認であると同時に親一般の権利の承認であることも明らかである。つまり、それら何れも、無制限の親権なのだ。親なら、無条件に、承認される権利である。ということは、親であればという意味なのであり、親なら誰でも、つまり親一般として、という意味がこめられているのである。これは国民の権利といったときと同じである。親一般、すなわち親としての共同性が親の教育権には含意される。親の共同性は、学校を個別に選択する権利にとどまらず、公立学校に対する親の共同の権利、たとえば学校に対する発言権などとして実体化するのであって、それは親が協議し共同する仕組み(例えば、現在はPTAなど)がむしろ重要だということになる。親の共同性と公立学校という義務教育制度の特質、その具体的な場面として地域の重要性がうかびあがる。地域で親が共同し、地域にある公立学校を共同で良くしていく、そして学校教職員との共同も個別学校にとどまらず地域レベルでも根付かせていく。そのような場面でこそ、義務教育制度としてふさわしい充実が可能になるであろう。

 (1)経済同友会「『選択の教育』を目指して−転換期の教育改革−」1991.6。
 (2)経団連「新しい人間尊重の時代における構造変革と教育のあり方について」1993.7。
 (3)文部省初等中等教育局長通知「通学区域制度の弾力的運用について」、平9.1.27。
 (4)東京・足立区は2002年度から区立小中学校の「学校選択制度」をはじめたが、その制度設計を行った学校選択の自由化懇談会報告には次のような記述がある。「選択してくれた親や子どもは、その学校の教育方針や理念を積極的に評価した結果、入学するわけであり、そのために自然に協力体制が構築できる利点がある。」(同懇談会「『学校選択制度』の導入についての報告書」1.学校選択制度の基本的考え方、平13.1。)
 しかし、教育方針や理念は、学校側だけではなく保護者(ときに子ども)参加でつくられることこそ望ましいのだ。
 (5)たとえば西東京市教育長は、教育計画の特色に各学校の違いをもたせる事が学校を選択の市場にするうえで重要だと、次のように言う。「区市によっては緩やかな学区域の弾力化、さらには学校選択制の導入など、学校教育に対しても『市場原理』を取り入れる動きが出始めました。製品の販売拡大(多くの人に認められ受け入れられる学校づくり)のためには、市場の動向(社会の要請)や消費者(児童・生徒、保護者、市民)のニーズを調査し、経営戦略(学校の教育目標)を立て、そのもとによい製品(特色ある教育計画、教育内容など)づくりのための研究・開発を行う必要があります。また、できた製品の特徴や同種(他の学校)の製品との違いを明らかにし、それを消費者に宣伝(公開授業、地域・家庭との懇談会、積極的な情報公開)するとともに、製品のモニタリング(学校運営連絡協議会、外部評価など)により、製品の工夫、改良していくことが重要となります。(茂又好文「指導課だより発行にあたって」、西東京市教育委員会指導課「指導課だより」第1号、平13.10.1)
 学校の特色ある教育計画、教育内容を製品と見立て、その販売拡大競争を、というわけだ。しかし、その製品の規格は学習指導要領によって基準化されている。したがって、特色つまり付加価値とは、その基準の味付けやデザイン(指導方法を中心とした)ということになる。そんなことは現在も各学校で工夫しているわけであり、ことさら新しいものではない。だから、特色といっても大体は中教審お薦めの国際化とか情報化、あるいは総合的学習の時間といったことになる。それら「よきもの」は、むしろ競争というより、各学校で他を学び合い相互に進歩していくというのが本当だろう。
 加えて、この教育長の発想には、教育計画に基づく授業その他の教育活動は児童・生徒とのやりとりの世界で形成されるという教育実践の視点が根本的に欠落している。学校側の教育計画をいかに競い合っても、実は、もっとも大事な教育実践のいのちは、子どもとの関係、子どもとともに創るということなのだ。学校側に競争原理を働かせるという市場原理導入は、実は、かんじんの教育の主体である子ども(したがって、親を)置いてきぼりにすることなのだ。物品の場合は、製品のよし悪しは購買という消費者の選択に表れ、あるいは、モニタリングや市場調査によって消費者を主権の地位に置くといってもよい。しかし、学校教育の場合は、よし悪しをはかる<教育活動>は子どもと教師がともにつくりあげる実践場面なのであり、子どもは物品(製品)を使う消費者(客)と違って、子どもと創る教育実践(教え学ぶ)の主体なのだ。市場原理の教育への導入は、子ども(したがって親)を学ぶ主体の地位から消費者(客)の地位に落とし込むことなのである。


                                                    (小島喜孝)





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