懐かしい化学部の匂い

                                     野見山敏雄

 高校時代の僕は,勉強や運動に精を出すこともなかったこともあり思い出はあまり無いが,化学部で過ごしたことだけは鮮明によみがえる。化学部への入部の契機は,部室を見学したときに嗅いだ妙な匂いだった。実験室の棚には化学薬品が並び,独特の匂いが発散していた。入部すると先輩達は変人ばかりだった。化学部なのに超音波発生装置を自作していたTさん。炭塵爆発の実験に命を燃やしていたSさん。遊び人のMさんからは色々と教えてもらった。そして,同級生の部員は7〜8人はいたと思うが,ほとんどが他のクラブと掛け持ちで,僕は化学部「専業」の少数派だった。

 化学部のメインイベントは文化祭の発表展示だ。日頃は部室でだべったりトランプをするだけの不良部員も,文化祭の2か月前頃から全員が実験を始めた。文化祭の直前は,夜遅くまで実験とパネルの作成に追われることが年中行事だった。僕は有機合成樹脂(プラスチック)を専門書を見ながら製造していた。何がおもしろくてこのテーマを選んだのかよく思い出せない。

 文化祭が過ぎると,化学部の活動は通常モードに戻る。化学部にはバーレーボール委員会,動物園委員会など幾つかの委員会があった。バーレーボール委員会では,参加者が円形になってレシーブをできるだけ長く続けるという遊びを休み時間や放課後によくやった。動物園委員会では,福岡市立動物園に年に2,3回は行っていたと思う。動物を見たり,弁当を食べるだけの活動だった。いま考えるとこれらの遊びは,勉強からの一種の逃避だったかもしれない。

 化学部での愉快な「活動」はこの外にもあった。一つは部室で毎日のように遊んだトランプゲームのナポレンオンだ。細かなルールは忘れてしまったが,親(ナポレオン)と副官がそれ以外のメンバーと対抗するゲームだった。副官に指名された者はギリギリまで身分を明らかにせずに,ナポレオンに協力するといった心理戦がとてもおもしろかった。今ひとつは,SF小説を読み漁って先輩や後輩達と批評したことだ。僕の人生でも,読書量が多かった時期だったと思う。互いにお気に入りの本を貸し借りして,アシモフやクラーク,星新一,小松左京などを次々に読破していった。

 以上,振り返れば,化学部らしい活動をしていたのは,文化祭前のごく短期間だけで,ほかは勝手に遊んでいたのだ。自由になる時間はわずかだったが,遊びに集中していた。福岡高校と化学部にはそれを許す佳き伝統と雰囲気があったと思う。

 ところで,いま私は東京農工大学で農業経済学(農産物流通論)の教育と研究を担当している。学生達が自分の研究もせずにのんびりと過ごしていても,自らを振り返るとやかましく指導も出来ない。彼らには精一杯青春を謳歌して欲しいと望むだけである。そして,僕の高校時代を思い出すとき,化学部で嗅いだツンとしたあの匂いが鮮やかによみがえってくる。

福岡高校・27回同窓生情報誌 「船出会ジャーナル」7号,2005年7月1日

高校時代,私は化学部に入っていました。その時の思い出をジャーナルの事務局から投稿を依頼されました。
いまから想えば,とても懐かしい思い出です。

本物はこちら(PDF)